「NO-Title5」
まだ葉っぱのない桜の木を見上げて歩きながら、枝の隙間から覗く太陽に目を細くする。
もうそろそろ桜前線がやってくるらしい、日増しに暖かさは増し、マスクをつけて花粉症に苦しむ人の姿も多くなってきたようだ。
命の芽吹くこの季節、日々は新鮮で、新しい気配に満ちている。
まだ肌寒い風に鼻をすすって、垂れてきた薄いマフラーをもう一度首に巻きつけた。
「去年はもう桜が咲いてたよなあ」
光は隣を行く紅葉を振り仰いだ。
「そうだね」
二人して中央公園で、今日は本でも読んで過ごそうと連れ合って出て来た所だった。
あの過酷な日々も今はもう昔の出来事。
いまだ時折名残のように暗闇にまぎれて異形の者達と戦う日々は続いていたが、それでも時間は穏やかに過ぎて、ここには紅葉と光、それに手の指で足りる数の戦友達だけが残っている。
皆、思い思いの道へ進み、頑張っているはずだ。
それは希望ではなく、確信を伴う現実だった。
「あ、ほら、あそこ」
さした指の先に同じように桜の芽を見つけた紅葉が微笑む。
「ああ」
「もうあと数週間って所かな、あ、そういえば、前に京一に聞いたんだけど」
「何だい?」
「何だったかな、幹を割いて見よ、花の在り処は、とかなんとか、確か神気の話で」
「うん」
雑談を交わしつつ、適当なベンチを見つけて腰を下ろす。
光が持ってきた本は冒険小説だった。紅葉は中堅作家の文学小説。
話に適当に区切りをつけて、二人は本来の目的どおり黙々と本を読み始めた。
春だった。
温かな陽気の中に、適度な静けさが満ちている。
平日の昼間なので老人や会社員の姿が多く見られるが、そもそもの絶対数が少ないので人の気配はほとんど無いに等しい。
平和、と言う文字を形にしたらきっとこんな風景が見られるのだろう。
信頼する人々と共に戦って勝ち得た、何物にも代え難い穏やかな日々。
読むのに疲れてふと顔を上げると、紅葉は隣にいる光を見た。
僕にもこんな時間が来るなんて、思ってもみなかったよ。
拳武で働いていた頃には想像すらできなかった。その契約も高校卒業時に切れて、今は裏家業のつてや経験を基にした始末屋のような仕事をしている。
人は、もう殺していなかった。
だからと言って殺人者の烙印が消えるとも思えなかったが、それでも以前と今は確実に違っている。
そっと細めた瞳の先で、光がふと振り返った。
「何?」
「いや」
なんでもないよ、といいながら、漆黒の髪を撫でると掌に心地よかった。
光は座ったまま僅かに首をかしげるようにして頭をこちらに寄せている。
「春だな」
「ああ」
「また季節の巡りが始まるんだよな」
「そうだね」
「紅葉」
「うん?」
振り返った光が、そっと微笑む。
「ずっと、側にいて」
「うん」
紅葉も笑った。
風が頬を撫でていく。
側に置いておいて欲しいのは僕のほうだよ。君を想い過ぎて、見放されるのが怖くて仕方ない。
君がそんな事をする人じゃないと知っているし、信じているけれど、僕の不安は僕だけのもので、誰かが解決できるものでもない。僕自身ですら解消しきれずにいるのだから。
シャツを握る光の手に掌を重ねて、そこから伝わる熱を確かに感じながらもう一度だけ髪を撫でた。
「一生分の春、全部一緒に見ような」
「そうだね」
微笑んだ光は満足したようだった。
本の続きをまた読み始める姿を見つめて、紅葉も手元の文章の続きに目を移す。
繋がっている思いを結んで、解いて、また結びなおして、丁度いい距離感で続いていくのだろう。
これからも、ずっと。
それだけが望みで、それ以上はいらないと思った。
貴方が側にいてくれるだけでいい。
穏やかなその気持ちは、春に似ていると思った。
君を思う心は、まるで春のようだった。
(完)