ビリリと神経を逆なでするような嫌な気配がして、蓬莱寺は暗幕を構わず押しのけながら出口付近の光の待機している辺りへと駆け出していた。
「姫!」
途中ブチブチと紐が切れて、お化け屋敷の装丁が台無しになっていく。
突然の出来事に大騒ぎする周囲を尻目に、たどり着くと出口から入ってきたらしい村雨と如月がすでに現れていた。
蓬莱寺から少し遅れて、蒼い顔をした美里もやってくる。
村雨の腕の中に、意識のない光の姿が横たわっていた。
「やられたぜ、クソッ」
心底腹立たしげに呻く隣で、如月も苦い表情をしていた。
一瞬呆然とした直後、怒りに任せて蓬莱寺は手に触れた暗幕を引きちぎっていた。
様子がおかしいことに気付いたクラスメイトの数名が悲鳴をあげる。
傍らに走り寄った美里が、治癒の術を施そうとした。
「美里さん、ここではいけない」
「どうしてっ」
如月に制止されて、彼女は半狂乱になって振り返る。
「人目なんて気にしている場合じゃありません、光が、光がっ」
「貴方の治癒だけでは彼は目覚めない」
美里はビクリと震えて、驚いたように如月を凝視する。
「残念だがな、姉さん、そいつの言ってる事は本当だ、こりゃ俺たちだけじゃどうにもできねえ」
光の腕を首に回して、村雨が立ち上がった。
「おい、蓬莱寺、手伝え、これ以上騒ぎがでかくなる前にずらかるぞ」
「ど―――こ、連れてくんだ」
「病院だ」
そっけなく答えて、早くと急かされた。
蓬莱寺はそれ以上何も聞かずに光のもう片方の腕を首に回して支えた。
そのままさっさと歩き出す様子を、周囲は呆然と見送っている。
たぶんまだ現状が把握できていないのだろう。
座り込んだままの美里に手を貸して、立ち上がらせながら如月はそっと耳打ちした。
「朋恵さんに連絡を取ります、貴方も一緒についていってください」
「でも、でも、私は」
「貴方の治癒の力も必要だ、早く」
まるでスイッチが入ったかのように、美里はフラフラと教室を小走りに出て行った。
誰かが教員を呼んでこいと指示を出している。
退場する前に、如月は近くにいた見物客の手から水の入ったペットボトルを失敬した。
相手が反応するより素早く、キャップを空けて宙に振りまきつつ呪を発動させる。
「幻水の術!」
飛び散った水滴が辺りの人間全てに降りかかると同時に、彼らは一様にぼんやりと夢見るような表情を浮かべた。
これで、しばらくは情報が交錯してごまかしが効くだろう。
効果を確認してから彼も後を追いかけて走り出した。
焦燥感と無力感が蹴り上げる足に自然に力を込めるようだった。
桜ヶ丘病院に担ぎ込んだのが三時間前。
直後に緊急処置室へ運ばれて、院長が美里を伴って入室してから何の沙汰も無い。
三人は扉脇のベンチに腰を下ろしたりなどして、ただイライラと時を見送っていた。
如月が電話して、一時間もしないうちに朋恵は駆けつけてきた。
その程度の時間で移動できる距離でもないはずなのに、不思議に思って尋ねると光が倒れた直後にはすでに家を出ていたらしい。
彼女は守姫の直感で剣の危機を悟ったようだった。
「守人が三人もいて、お兄様をお守りしきれなかっただなんて!」
朋恵の叫びは彼らにというより、むしろ自分自身に向けられているようだった。
そのまま彼女も緊急処置室に入ったきり、出てくる気配はいまだにない。
落ち着かない気持ちが、まるで澱のようによどんでいた。
「クソッ」
蓬莱寺が毒づいて、何度目かわからない拳で壁を殴りつけた。
乾いた音が廊下に響いて、如月が非難の眼差しを向ける。
「ここは病院だ、いい加減やめたまえ」
「うるせえ、俺は、腹が立って仕方ねえんだっ」
再び一撃。
「バカ野郎、そりゃ俺たちだって一緒だ」
村雨も顔をしかめる。
「あの場所には守人が三人もいたんだぞ、こいつも、俺も、はらわた煮えくり返ってる」
「俺は姫を守るって決めてたんだ!」
なのに。蓬莱寺は唇を噛み締める。
何も出来なかった。
壬生が現れたことにすら気付かなかった。
あの男が光に五門目を施して、姿を消すまでわからなかった。
何より憎らしいのは自分自身だ。
どうして守れなかった、どうして阻止しきれなかった。
今度こそ確実に守ると誓ったのに。俺はいつからこんな情けない野郎に成り下がったんだ。
イライラした気分を自分でもどうすることも出来なくて、再び壁を殴りつけようとした、その時だった。
「見苦しゅうございますわよ、蓬莱寺様」
三人は驚いて振り返る。
「朋恵ちゃん!」
真っ先に駆け寄ったのは蓬莱寺だった。
処置室から出てきた朋恵は少し青ざめているようだった。
それでも気丈に立つ姿を見て、村雨がわずかに瞳を細くする。
「姫、いや、光は?」
「大事無いとは言えませんが、かろうじて命はとどまっております」
「それはどういうことですか?」
「お兄様の意識は、いまだ戻られておりません」
一同はゴクリと息を呑む。
朋恵は瞳を伏せた。
「五門目が施されたことによって、あの方はすでに剣としての使命を失いつつあります」
「そ、それは、それが無くなったら姫はどうなるんだ?」
返ってくる答えは無い。
「村雨様」
急に声をかけられて、村雨は驚いたように朋恵を見た。
「―――何だ」
「御門様は、貴方が守人の役をお請けになったと仰ってました、それは本当のことですか?」
「ああ」
「ならばこれをお受け取りくださいませ」
彼女が手を振ると、まるで魔法のように一振りの小太刀が現れた。
深紅の柄と鞘を持つ、炎の気配を纏った武器。
蓬莱寺と如月は一目でそれが御剣の宝剣であると気付いた。
「名は雀炎刀、四神の一柱、朱雀の力を封じた小太刀です」
「何でそんなもんを俺に?」
「守人の役を果たすため、貴方に必要なものだからです」
村雨は朋恵の手から雀炎刀を受け取った。
瞬間、体の内側に炎の気配が渦を巻く。まじまじと小太刀を眺めて、にわかに口元に強気な笑みが浮かんでいた。
「―――こりゃ、すげえな、これを俺にくれるのか」
「差し上げたのではありません、預けたのです、それを持ってお兄様をお守りくださいませ」
「なんだ、ケチくせェ、大体俺は小太刀なんて使わねえぜ、こいつがありゃあ」
懐から花札を何枚か取り出して見せる。
「俺は札使いだからな、物騒な得物は持ち歩かない主義なんだ」
「ご心配なく、それは貴方に朱雀の力を与えるための触媒、振るわずとも、お役に立つでしょう」
ふうんと唸る村雨から、朋恵は如月に視線を移した。
「如月様、お久しぶりですわね」
「朋恵さんもお変わりなく、またお会いできて光栄です」
「ええ」
簡単な挨拶を交わす二人を蓬莱寺は見ている。
「時に如月様、貴宅に預けた宝物のことですが」
「はい、以前報告したとおり、虎爪刀はすでに御剣様の手ずから蓬莱寺君に渡されてあります」
「そうですか」
朋恵はもう一度手を振る。
そこに、今度は黒い柄と鞘の小太刀が現れた。
「ならばこれは私が授けましょう、先々代の守姫が飛水に預けた一振り、蛇亀刀です」
如月は小太刀を恭しく受け取った。
「これで四神の宝の三つは定まりました」
ふと表情を暗くして、朋恵はまた少し視線を床に落とす。
「あと一振り、あの太刀は―――」
「そんなことより朋恵ちゃん、姫はどうなってんだ!詳しい事を教えてくれよっ」
堪らず声を上げた蓬莱寺に三人の視線が集中する。
「蓬莱寺様」
「守人だか何だか知らねえが、そんなものは関係ねえ、俺はあいつを守るって決めたんだ、なのに」
光はついに五門目を施されてしまった。
集中治療室に入っていく前、ここまで運んでくる途中、彼はまるで紙で出来た張りぼてのように薄っぺらな存在へと変わってしまっていた。
すでに事切れてしまったかのように。
動きもせず、呼吸も殆ど聞こえない。顔色は青くて、苦しんですらいなかった。
冷たい体を抱きかかえて、一歩踏み出すたびどれだけ呪いの言葉を吐いたか知れない。
壬生が、自分自身が憎らしくてたまらない。
朋恵がフッと瞼を伏せた。
「お兄様はまだここに居られます」
けれど。静かな声が続ける。
「残る封印はひとつきり、あなた方には、その宝刀を用いて必ずや剣をお守りいただかなければなりません」
「守りきれなかったら、って、今更愚問だな」
村雨が乾いた笑いを洩らした。
朋恵は張り詰めた眼差しで一同をゆっくりと見回していく。
「六門封神完成のあかつきには」
声が一層深刻さを増す。
「この世の全てが闇に包まれると―――そう、覚悟なさいませ」
雀炎刀と蛇亀刀が彼らの手の中で淡い輝きを放っていた。
まるで守姫の言葉に反応するかのように、触れた部分から力の奔流が伝わってくる。
「御剣の守人よ、役目を果たすのです」
年齢にそぐわない威圧感に睨まれて、蓬莱寺たちは思わず頭を垂れていた。
光の生死は多くの影響を及ぼすのかもしれないけれど、そんな事本当はどうだっていい。
「剣」ではなく、御剣光という存在を守りたい。
それはこの場にいる全員が等しく願っていることだった。
辺りには静寂ばかりが満ちている。
息苦しくて振り返った処置室のドアは、まだ閉じられたままだった。
「姫―――」
蓬莱寺の声は、その向こうまで届くことはなかった。
(縲枷・了)