「お兄様!」
朋恵が叫ぶ。
闇に飛び散る血と燐光を目の当たりにして、守人たちはようやく恐怖という名の呪縛から開放されていた。
「ひ、かる?」
愕然とする壬生の目の前で、柳生の腕が光に伸びる。
「ッつ!」
直後、まるで弾かれるように飛び起きた彼の足先が、鋭くその手を蹴り上げていた。
柳生の目の前に飛び込むと、横様に光を攫って逃れる。
背後から虎爪刀を振り上げた蓬莱寺が迫っていた。
「てめええええ!」
絶叫と共に落ちてくる剣先を、斬馬刀の一撃が彼諸共吹き飛ばす。
「猪鹿蝶、紫雷ッ」
落ちてきた雷を刀身が受けて弾いた。
「水流尖の術!」
水柱は拳の一撃で粉砕されてしまった。
柳生は高らかに笑い声を上げる。
「お前達、それで御剣の守人を名乗るつもりか?!腑抜けすぎて話しにならぬぞッ」
「くそ、ざっけんなあああ!」
闇に吼える蓬莱寺の声をどこか遠く聞きながら、壬生は光を抱きかかえたまま呆然としゃがみ込んでいた。
触れる指先がヌルリとして燃えるように熱い。
全身が寒くも無いのにガタガタと震えている。
こんな、これは何だ、一体何だ。
「ひ、かる?」
蒼白の唇が動くことは無い。
そっと頬に触れると、黒々としたものがこびりついた。これは、血液だ。
壬生はいよいよ大きく瞳を見開いて、だらりと弛緩した肢体を抱きしめていた。
ドクドクと鼓動が鳴っている。
制服に染みて、肌に滲んでくる。
生暖かな感触。
温もりがじわじわと失われ始めているようで、壬生の手足も先端から痺れたように動かなくなっていく。
頭の中が真っ白に染まっていた。
何も考えられない。ここにあるのは何だ。これは何だ。どうして、どうして―――
「邪魔だ!」
蓬莱寺達の攻撃を跳ね飛ばして、柳生の怒号が闇に響いていた。
風圧の余波を受けて、壬生の体がわずかに揺れる。
それでも、彼は光を抱きしめたまま、そこから動けずにいた。
殺気を孕んだ視線が背中を貫いた。
何も無いはずの空間に、コツ、コツと足音が近づく気配がする。
禍々しい気が、すぐ後ろまで迫っていた。
「壬生!逃げろ!」
蓬莱寺の声が響く。
直後、何かが空を切って振り上げられたようだった。
「去ね」
暗い声が響いた、直後。
「召神、嵐龍!」
鋭い叫びと共に、突如現れた竜巻が柳生を巻き込む。
「ぬうッ」
彼の体は天高く吹き上げられて、落下した箇所でかろうじて両足を踏みしめ、転倒だけは何とか免れていた。
瞳が赤い色を引きながら、声の主をギロリと睨みつけた。
「貴様、守姫」
そこに立っていたのは、薙刀を構えた朋恵の姿だった。
すでにボロボロのワンピースの裾を翻して、片方の手で印を組んで唇に指先を当てている。
「剣を害せしモノよ、そなたを守姫の名の元に排除する」
「フン、貴様ごときに何ができるというのだ、小娘」
「黙れ」
短く言い捨てて、柳生を睨む彼女の姿は、先ほどまでとまるで気配が違っている。
双眸は凍りつき、気配は硬化し、膨張して、纏う気は漆黒であるかのようだった。
禍々しいというより、一切を破壊しつくすような無情の姿。
驚いたのは蓬莱寺だけではないようだった。
満身創痍で闇の中に倒れこみながら、如月も村雨も彼女を凝視している。
朋恵の輪郭が淡い黄金を纏っていた。
「小癪な」
柳生が刃を構えて、その姿に向き直る。
「鞘ならば、おとなしく打ち捨てられておくがいい、貴様に用など無い」
「召神、甲水」
闇の中からヌラリと、何かが立ち上がった。
黒々とした水柱が飛沫を迸らせながら柳生の体にまとわりつく。
表皮から体内に侵入を試みようとする、意思ある水が、全身を激しく圧迫した。
「くおおおおッ」
斬馬刀を握り締めたままで胸を掻き毟りながら、柳生は闇の中でのた打ち回っていた。
離れた場所で恐々と様子を伺っていた影生が、慌てて駆け寄ってくる。
「柳生さん!」
「ぬううう、おのれぇぇぇ―――ぬううん!」
掛け声と共に気を放って、全身を拘束していた水の蛇を弾き飛ばす。
直後に朋恵が再び叫んだ。
「召神、凰火ッ」
ゴウ、と熱気が渦巻き、柳生の周囲から炎が舞い上がった。
「赤赫!」
続けて唱えた声と共に、更にその全身を包み込むようにして火柱が上がる。
「ぐおおおおお!」
柳生が絶叫した。
燃え盛る彼にすがりつきながら、影生は半ば半狂乱になって髪を振り乱していた。
なぜか―――朋恵の攻撃は、彼を傷つけることは無い。
「柳生さん、柳生さん!」
「ぐううう、オオ、グおおおおッ、熱い、熱いィいッ」
「柳生さん!」
「おのれ、守姫めえええッ」
怨嗟の声に反応するかのように、黒ずんだ瞳がギロリと朋恵を睨んだ。
「―――お前」
影生に呼ばれて、朋恵が不意にビクリと身体を震わせる。
様子を見ていた蓬莱寺がふと違和感に気づいた。
不意に、何かから逃れるようにして壬生の背中に目をやると、薙刀を振り上げながら叫ぶ。
「御剣の守人、しゃんとなさいませ!」
壬生がビクリと肩を震わせた。
光を抱きしめたまま、青ざめた表情が振り返る。
「これから道を開きます、お兄様をつれてお逃げなさいッ」
あなた方も、と、朋恵は振り返って叫んだ。
「逃げるのです、お兄様のために!」
「け、けど、朋恵ちゃん、アンタは」
強ばっていた少女の顔が、蓬莱寺に向かってちょっとだけ微笑を浮かべる。
その様子があまりに光に似ていて、はっと息を呑んだ。
「私も退きます、ここは、あまりにも分が悪い、さあ早く!」
燃え盛る柳生を一瞥して、薙刀を大きく縦に振った。
すると、闇の中に亀裂が生じて、先ほどまでいた病室の景色が唐突に現れる。
「お行きなさい!」
その一声が合図であったかのように、一同は渾身の力を振るって立ち上がっていた。
まず、光を抱いた壬生が、そして蓬莱寺が、如月が、村雨が、亀裂をくぐって異界より抜け出す。
朋恵は駆け出しながら、横目でちらりと影生を窺っていた。
もうすぐ炎は消えてしまうだろう。あの魔人相手に、守姫の力だけでは到底太刀打ちできるものでもない。
(けれど、それ以上に)
ギラギラした双眸と僅かに視線が合いそうになって、朋恵は急いで亀裂をくぐっていた。
あの者の目に睨まれたら、私はきっと動けなくなってしまう。
あれは、あの目は、まさに―――
病室の床では守人達がうずくまっていた。
光は、壬生の腕の中でグッタリと意識を失っている。
彼も彼を抱いている壬生の体も、血でべっとりと赤黒く染まっていた。
朋恵が病室に現れるのと同時に、亀裂がグニャリと歪んで閉じた。
闇の奥で一瞬赤色が光ったように見えて、それもすぐさま消えてしまう。
部屋からベッドが無くなっていた。
「え?」
消え始めた薙刀から手を離すと、視界の向こうで病室のドアが開く。
そこに、高見沢が立ち尽くしていた。
「きゃ、キャーッ、みんな、どうしたの?!」
一瞬遅れて悲鳴をあげて、大慌てで駆け寄ってくる。
途中で光の姿に気づき、その場で立ち止まってハッと口元を押さえた。
「ダーリン!」
ヨロリと一歩後退して、直後に踵を返すと、猛烈な勢いで病室を飛び出していく。
「先生ッ、ダーリンが、みんながッ、早く、早く!」
遠くなっていく声を聞きながら、蓬莱寺はヨロヨロと壬生の傍に近づいていった。
「ひ、姫」
覗き込んで、改めて愕然とその場に両手をついた。
―――結局、守れなかった。
何度も決心して、その度果たせなくて、ついにはこんなことにまでなってしまった。
不甲斐ない自分が、心底憎くて堪らない。
そして、同じくらい柳生が、影生が憎くてたまらない。
床を殴ると拳がきしんだが、蓬莱寺は構わず何度もタイルの表面を殴りつけていた。
「クソ、クソ、クソッ―――」
皮が擦り剥けて、血が滲み出した頃、そっと腕をつかまれる。朋恵だった。
「おやめなさい、貴方が自身を傷つけても何もなりません」
く、と歯を食いしばって、悔しげな表情がガックリと頭を垂れる。
病室内に、血の臭いと絶望が満ちている。
光は、まるで存在自体が消えかかっているかのように、時々淡く発光しながら壬生の腕に沈み込んでいた。
青ざめた姿は、身じろぎすらしない。
絶え間なく流れ続ける血の色が、視界にやけに痛いようだった。