「久しいな、剣よ」
「柳生」
紅蓮の衣服に身を包んだ、柳生は不遜な態度でその場に佇んでいた。
側に控える影生は漆黒の衣服に身を包み、足元で傅いている。
壬生の表情が忌々しげに歪んでいた。
光は、静かに柳生を睨み付けていた。
「どうやら俺がつけてやった傷は癒えたようだな、それでこそ、剣たるモノ」
「黙れ」
「そちらの犬も飼い主の元へと戻ったか、フン、なかなかに勝手のいい忠犬であった」
苛立つ壬生を、朋恵が抑えているようだった。
光は一歩前へ進み出た。
「―――影生を、どうした」
「これは、つまらぬ事を訊く、賢明な星視の姫がすでに告げているのであろう?」
「答えろ、影生をどうしたんだ、なぜお前の足元に傅いている」
「これは、我が剣ゆえ、わが意に従う」
片手で軽く頭を抑え、揺らしても影生は微動だにしなかった。
暗い双眸はただじっと闇を見詰め、息をしているのかどうかさえ怪しいくらい、彼からは生者の気がまるで感じられない。
「ここに至るまではなかなか難儀であったが、その甲斐はあった、我はこの世に二つとない偉大なる力を受けるための杯を、自ら生み出した」
モノだ。
光は奥歯をかみ締める。
今の影生は、弓月や、朋恵が言っていたように―――陰の器としての最終段階に至っているのだろう。
くっと小さく声がして、背後から唐突に壬生が身を乗り出してくる。
「依人!」
叫び声に光はわずかに彼を伺う。
朋恵の制止する声が聞こえたが、かまわず壬生は更に叫んだ。
「依人、僕だ、紅葉だ、わからないのか?」
「―――よいのか、剣よ、そなたの想い人が、他のモノに心奪われておるぞ」
嘲笑する柳生を光はキッと鋭く見据えていた。
「我を睨んでどうする」
燃えるような色の髪を風に躍らせて、邪悪な色をたたえた瞳が揶揄に眇められる。
「ヒト、とは愚かしきモノよ、感情などという下らぬものに囚われ、記憶などという曖昧模糊としたものを尊ぶ、剣よ、そなたもモノであろう?ならばなぜ自らの想いに心を乱す、そのようなもの、そなたの真の意義の前では無意味かつ無価値なものであろう」
「俺は、ヒトだ」
光の声に続くようにして、壬生が再び影生を呼んだ。
「依人!」
「無駄だ」
柳生は余裕の表情で、口の端を上弦の月のように吊り上げて笑っていた。
「貴様の声も、思いも届かぬ、今ここに在るものは人にして人に非ず、我が造りし影の『剣』だ、その身はただ龍を降ろし、時代の覇王たる我に仕えるためにだけある―――そなたも然り」
視線の先に光の姿を捉える。
「六門封神でおとなしく心を封じられてあれば、今頃は立派な剣として目覚めていただろうに」
「愚かな」
朋恵の微かな呟きは、光にしか聞こえなかったようだった。
光は、表情を変えずに柳生を睨み続けている。
―――『剣』のこと、御剣のこと、この男は器の何たるかを、まだ真に理解していないらしい。
(それなら、そこに勝機があるかもしれない)
「依人、意識を戻せ、依人!」
柳生が煩わしげに壬生を一瞥すると、彼に向けてさっと腕を伸ばした。
途端、ふらりと立ち上がった影生が、次の瞬間には壬生に向けて膨大な発頸を打ち出していた。
「紅葉ッ」
咄嗟に飛び掛った光が彼を押し倒してよける。
気の塊は家屋を容赦なく破壊した。
そこに、2撃目を放とうとした影生が動くより先に光は体制を整え、一瞬で間合いを詰めて同じく発頸で攻撃を相殺した。
ひらりとかわした影生に、柳生は戻れと指示を下した。
「フフ、さすが御剣、本家の『剣』は切れ味が違うということか、面白い、そうでなくてはな」
影生は、再び柳生の傍らに控えている。
額づく彼を省みもせず、柳生は片手で短く印を切った。
そこに、以前桜ヶ丘病院で見たような闇が、空間を割いて露出した。
「貴様」
悔しげな壬生の声を背中に聞きながら、光は油断なく構えを取り続けている。
朋恵の気配も殺気立っていた。
三人をぐるりと見渡して、再び頬の筋肉を引きつらせると、柳生は闇に片足を突っ込みながらこちらを振り返った。
「今日は挨拶に来ただけだ、いずれ、年の変わるのと共に、世界は新たな支配者によって作りかえられる定めにある」
「―――そんなことは、させない」
「さて、龍の力を得、時の覇王となるのは俺なのか、貴様なのか、楽しみであるな、御剣の剣よ」
答えない光に構わず、柳生はそのまま闇の中に踏み込んでいく。
「また遭おうぞ」
後を追おうとした影生を、紅葉が再び声の限りに呼んだ。
「依人!」
けれど、影生はこちらを見向きもせずに、そのまま闇の中に姿を消してしまった。
二人分の質量を飲み込んで、闇が閉じる。
後にはただ寂寞とした冬の風景が残るのみで、力なく項垂れた壬生を、朋恵が厳しい眼差しで睨んでいた。
「壬生」
「―――はい」
「今の無様な姿、あれは一体どのようなつもりか、お前は御剣に再び許されたばかりの身であろう!」
「申し訳、ありません」
「お前はッ」
「朋恵」
振り返った光が、まっすぐに妹を見詰める。
「いいんだ」
「お兄様?」
「紅葉と約束したんだ、影生を助けようって、だから、いいんだ」
朋恵は両手で口元を押さえて、なんて事をと小さく呟いた。
その目にありありと嘆きを孕んだ衝撃が映し出されているようで、居たたまれなくて視線をそらす。
にわかに沈んだ空気の中、控えめな朋恵の声が北風に乗って響いていた。
「―――ですが、あのように成り果てたものを救う手立てなど、いくら剣といえど不可能ですわよ」
僅かに揺れる壬生の気配に、光は再び彼女を見詰める。
「でも、まだ、諦めたくないんだ」
「お兄様」
「ダメでも、無理でも、頑張ってみたいんだ―――紅葉の辛そうな姿を見るくらいなら、そのほうがいい」
今度ははっきりと失意の色を見せる朋恵に、兄は頭を垂れた。
「ごめん」
「お兄様」
「でも、俺、そんな風にしか考えられないから」
望みはいつでもただひとつ。
けれどそれは―――決して叶うことのないものだと、生まれたときから知っている。
守姫は剣の想いを言わずと汲んでくれたようだった。
一瞬浮かんだ悲しげな表情が、光の胸に突き刺さる。
「わかりました、ならば、御身の御気の済むままになさいませ」
「朋恵さん」
「私は剣の守姫、なれば、御身の望むは我が望み、壬生のためではなく、お兄様のために、力添えいたします」
そうして壬生を一瞥すると、彼は深々と礼を返した。
「ありがとう、朋恵」
仄かな笑顔で妹に答えて、光は再び柳生の消えた闇を睨みつける。
(もうすぐ、なんだ)
あと数日の内に日本最大の龍穴が開き、黄金の龍が咆哮を上げる。
そのとき世界はどうなるのだろう。
柳生は、影生は、仲間たちは―――
(俺、は)
拳を握る、光の全身が淡く金色に輝いていた。
壬生はその姿に瞳を奪われ、朋恵は僅かに視線をそらす。
万人の上にめぐる、宿星という名の大いなる輪が、今まさに唸りを上げ速度を増しながら、彼ら全ての行く先を紡ぎだそうとしているようだった。
(兆・了)