結界を解いた直後に家の者たちは駆けつけてきた。
救急車が到着するまでの間、朋恵はどんなに周りに声を掛けられても光を手放そうとしないので、人々はただ見守ることしか出来なかった。
ややして救護員が駆けつけ、病院へと搬送されるのに付き添って朋恵と蓬莱寺も車に乗り込む。
到着した先で光は集中治療室へと運ばれ、緊急の手術の手続きを取っている間からずっと、行き場の無い感情を押し殺すように朋恵の表情には色がなかった。それは蓬莱寺も同じであった。
言葉もなく待合室で隣り合って座る。
ベンチの冷たさがそのまま全てを凍らせてしまいそうだった。
時間もわからないほどの間待って、ようやく出てきた光に付き添って、今度は病室へと赴く。
「手術はおおむね成功です、後は本人の回復を待てばいいでしょう」
担当医師はそう言って、怪我の割には出血も少なく、破損部位もそんなに酷くないと付け足した。
安心させるつもりで言ったのだろうが、蓬莱寺だけはその言葉に一つの確信を得ていた。
「なあ、朋恵ちゃん」
ベッド脇に用意された簡易椅子に腰掛けて、意識のない光を見つめながら蓬莱寺がポツリと呟く。
同じように兄を見つめている朋恵の返事は無かった。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
今は何時頃だろうか。深夜をまわった病院はまるで廃墟のように静かだった。
「あんたと光は一体何者・・・いや、何なんだ、お前らって」
不意に振り返った朋恵の黒い瞳が、蓬莱寺を鋭く射抜いた。
それは、年下の、こんな幼い少女が浮かべるような表情ではない。
わずかに息を呑んだ蓬莱寺に、静かな声がぴしゃりと言い放った。
「貴方は知らずともよいことです」
その冷たい言い草に僅かに腹を立てて、蓬莱寺もまた強く朋恵を睨んだ。
「俺は光のダチだ、ダチが何度も死にそうな目にあってるってのに、蚊帳の外なんかに居られねえ」
「これ以上は御剣の内の事、お話しすることはできません」
「俺はこいつを守りたいんだよ!」
立ち上がって怒鳴り、直後に後悔して座り込む。
朋恵は黙ったままであったが、ややして不意に表情を歪ませると小声で一言だけ呟いた。
「すみません」
それっきり黙ってしまったので、何となくそれ以上掛ける言葉を見つけられない。
蓬莱寺は困った挙句、深いため息を吐き出して両膝に腕を置き、背中を丸くした。
「まあ、いいや、喋れねえってんなら、これ以上聞かねえよ」
しばらく俯いて、それから青ざめた光の横顔を見上げる。
「でも、これだけは教えてくれ、でないと俺はどうしても納得いかねえ」
「・・・なんでしょうか」
控えめな問いかけに隣を振り返った。
「壬生紅葉は、光の何なんだ?」
途端、細い肩がビクリと震える。朋恵の横顔が僅かに歪んだ。
「あれは」
話す口ぶりすら硬い。
「兄の、守人です」
「もりびと?」
「御剣の主を守る任を負う者のことです」
「えっ」
蓬莱寺は目を丸くした。
壬生紅葉は、確か光を殺すと言っていなかったか?
その男が光を守る役目を担っているとは、一体どういう意味なのだろう。
一瞬にして脳裏が疑問符で埋め尽くされる。
「正しくは守人になるべく育てられていたというべきでしょうか・・・兄を守るために武術を仕込まれ、今は拳武の暗殺組に籍を置いていると聞いております」
「暗殺?」
「あの男は守人を除籍された後、その力を拳武の本来の目的のために行使する事を要求されて、その指示に従って働いています」
「本来?拳武って、あの拳武館高校か?」
それはスポーツ特待生を大勢擁する都内の私立高校だった。
偏差値は標準程度であるものの、目黒の鎧扇寺学園高校と並んで体育会系に支持されている名門校の一つだ。著名なスポーツ選手をすでに何十人と輩出している。
「拳武の本来の目的が、暗殺?」
驚きを隠せない蓬莱寺に、朋恵はちらりと諌めるような視線を向けた。
「何人たりとも知る事のない真実です、不用意に人に話せば、貴方はお命を狙われます」
「そ、そんなこた、しねーけどさ・・・」
正直ぞっとしない気分だった。
表面に見えてこない部分の闇は深い。そこに連なる壬生紅葉とは、どんなとんでもない人物なのだろうか。
「なあ、奴はどうして守人を除籍されたんだ?」
それには答えたくないように視線を背けて、朋恵は深い息を落とした。
「守人としての禁を犯したのです」
「禁、て」
「剣に未練を生じさせました」
「剣?未練?そりゃ一体」
「兄の・・・心の奥に、入り込んだのです」
蓬莱寺は思わず膝に置いた掌を握り締めていた。胸の奥がずくんときしむ。衝撃よりも「やはり」という思いが体中で重苦しく渦を巻いている。
(やっぱりそうだ・・・光はあいつと、そういう仲だったのか)
そう思った瞬間、沸き起こったのはやるせなさ。
同性愛者だと疎む気持ちや、偏見は微塵も浮かんでこなかった。性別云々ではなく、二人が惹かれあっていた事実の方がいっそう酷く蓬莱寺を打ちのめしていた。
「守人は、その名のとおり守る者、守られる者と心を通じ合わせるのは当然の事です、そうでなければ身を賭してまで、主を守りきれるはずもない」
朋恵は横たわる光を見つめていた。
その眼差しには何ともいえない、複雑な色が浮かんでいる。
「兄と壬生もそのようでした、そして、それ以上に深く繋がりあってしまった・・・私は、私も兄を守る一人として、二人を引き離すよりほかなかった」
痛ましい姿の兄は、その結果によりこんな痛苦を味わう事になってしまった。
「・・・今となっては、その判断が正しかったのかどうか、私自身よくわかりません」
多分に自嘲を含んだ声で言う。
「ただ、私のせいで兄は・・・いらぬ苦労を、背負う事になってしまったのかもしれません」
「朋恵ちゃん」
「これはあの男を嫉んだ、私への罰なのです」
振り返った表情が痛ましく微笑んだので、蓬莱寺は思わず視線をそらしていた。
「蓬莱寺様」
朋恵の声が不意に真剣な色をはらむ。
「折り入ってお願いがあります、貴方にしか頼めない事です」
蓬莱寺は再び振り返った。
「どうぞ、兄をお守りください」
「え」
「真神で知り合ったのが貴方であったのなら、それは貴方にしかお願いできない事です、どうぞ頼みます、兄の命をお守りください」
「ちょ、ちょっと待てよ、なんだよそれ」
どうにも奇妙な言い回しが気になった。真神で知り合ったのが貴方であったなら、と。
(どういう意味だ?)
光は随分妙な時期に転校してきたが、それすら何か意味を持つというのだろうか。
いや、それに限らずわからない事だらけだ。光のこと、朋恵のこと、御剣の事、なにもかも。今聞いた限りでは、壬生紅葉のこともまだよくはわからない。
(わからねえ、わからん事が多すぎて、本当に何もかもさっぱりだ)
実に気味の悪い状態だった。
これだけ巻き込まれているにも関わらず、一番大事な情報は何一つ明かしてもらえない。
それなのにこの少女は兄を守って欲しいなどと懇願してくる。
(正直、感じ悪ィよな・・・)
それは否めなかった。こんな得体の知れない展開、普段ならとっくに投げ出している。
(けど)
蓬莱寺はベッドの上に目を走らせた。
転校初日から知り合って、これまでずっとその姿を隣で見てきた。容姿がいい、性格がいい、武術の腕前が非常に優れている、それだけでなく、光には心惹かれる何かがある。それをはっきりと言葉にするのは難しいが、自分は確かに、そしてとても強く感じている。
(光・・・)
「蓬莱寺様」
朋恵の声が控えめに蓬莱寺を呼んだ。どうやら返事を待っているらしい。
(なんもわからないままだけど)
・・・今更他人面なんて、出来るわけがない。
「いいぜ」
唐突に答えると、朋恵は驚いたように蓬莱寺をじっと見つめた。
振り返った蓬莱寺は唇に薄い笑みを乗せて、ちょっとだけ頷いてみせる。
「さっきダチだって言ったろ?ダチが困ってんなら、助けんのは当然だかんな、まあ、任せとけよ」
「蓬莱寺様・・・」
間を置いて朋恵はふわりと微笑を浮かべた。
きつい風貌の少女がその瞬間、温和な兄と酷く似た印象に変わったので、蓬莱寺は動揺しかける自分に気づいて更に気を惑わせた。
「ありがとうございます」
ペコリと礼をする彼女につい照れ笑いを浮かべる。
ベッドの上の光に再び視線を戻して、蓬莱寺は胸の奥で今の言葉を強くかみ締めていた。
カーテンの隙間から、病室に長く透明な月の光が差し込んでいる。
たが、鋭利な白刃の切先は、あいにく横たわる光の元まで届かずに終わっていた。
(因果・了)