光は敷かれた布団の脇で、意識の無い蓬莱寺を一時間以上じっと見守り続けている。
余裕の様子だった壬生と違って、体のそこかしこに裂傷や打撲等、大きな傷をいくつも負っていた。
「光」
背後でふすまが開いて、振り返ると如月が立ったままこちらを見ていた。
「根を詰めすぎると、君まで具合が悪くなってしまうよ、雨にも濡れたのだし」
「俺のことなんて・・・」
呟いて、不意に俯くと、光はふらりと立ち上がった。
振り返ったまま如月をじっと見つめて、申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ごめん、心配してくれたんだよな、迷惑ばかりかけてごめん」
「そんなことは無いさ」
如月はフッと微笑んで、気弱な背中をポンポンと叩いた。
「おいで、夕食もとっていないのだろう、しっかり食べて、体を休めないと」
「でも」
蓬莱寺を振り返ると、大丈夫と優しい声が答えた。
「彼の分もある、目が覚めたら食べるといいだろう、それより今は君の事だ」
うん、と素直に頷いて、物音を立てないように気遣いながら光は如月と共に居間へと向かった。
ふすまを開けるといい匂いがして、卓上に二人分の食事の用意が出来ていた。
「君の口に合うといいんだが」
ご飯をよそってもらった茶碗を受け取って、焼きアジを箸先でつついて口に入れるととても美味しかった。
煮物も和え物も食べてみて、大丈夫、美味しいよと答えると如月はフッと微笑を返してきた。
「ならよかった、たくさん食べるといい」
如月は付け足すようにポツリと呟く。
「君は疲れすぎているんだ・・・体も、心も」
その言葉は光の胸の奥深くにずっしりと響き渡った。
「ごめん」
「謝る必要は無い、それより、今後どうするかを考えた方がいい」
「うん」
けれども頭には何も浮かんでこなかった。
俺は、本当はどうしたいのか、壬生に何を求めているのか、これからどうすればいいのか・・・
「光」
顔を上げると如月がやれやれと笑いかけてくる。
「真面目すぎるのかな、光は」
「自分のことは、よくわからない」
「それは困ったな」
返すべき言葉が見つからなくて、思わず口を閉じた。
「剣は、龍の権威の全てを与えられて産まれてくる」
如月の不意の言葉に、光は困惑した視線を向ける。
「剣は意思の代行者だ、思い、望んだこと全てが、世界を動かす力になる」
「翡翠?」
「君は迷わなくていいんだよ、光」
如月の黒い瞳がじっと光を見つめて言った。
「君の望みが、世界の望みだ、君は望むままに振舞えばいい」
「そんなこと、いけない」
「何故?」
だって、と言いかけて、光は俯いた。
俺は壬生を望んでいる。壬生と一緒にいたいと思っている。その思いは、もしかしたらこの世界を滅ぼしてしまうかもしれない。
自分の我が侭が誰かの大切な人を奪うかもしれない。それはとても恐ろしい事だった。
「・・・俺には出来ないよ、そんなこと」
知らず漏れていた声を聞いて、如月はまたやれやれといった感の息を軽く吐き出した。
「君の迷いは龍の迷いだ、君が迷っていれば、世界も迷う」
光、と呼ばれてもう一度顔を上げると、真摯な瞳と目が合った。
「最善の結論は君にしか出せない、そうして、君が決めたことならば、僕らは素直に従うよ」
守人としてってわけじゃないからね、と付け加えて、優しく微笑む如月を光は無言で見詰めていた。
彼にも、蓬莱寺にも、朋恵にも、皆に俺は頼りすぎている。
もしかしたら紅葉にすら頼っているのかもしれない。そうして自分を甘やかして、一番大切な事を見逃しているのかもしれない。
けれど、それがなんなのか、未だ見極める事が出来ない。
剣としての俺、御剣光としての俺。
本当の望みは一体どこにあるのだろう。
「・・・わからない、そんなこと、俺には」
まだ、と口の中で呟くと、進んでいない箸を如月にそれとなく促された。
「なら、今はまだそれで構わないのかもしれないな」
中身の残っている汁碗を取って、光の分の味噌汁を盛りながら如月が言う。
「けれど、今夜の雨だっていつかは止む、君の思いもそうであって欲しいと、僕は願っているよ」
汁碗を手渡されて、光は微かに微笑んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
静かな室内には食事の物音しか聞こえないが、多分まだ雨は降っているだろう。
でも、止まない雨は無い。
明けない夜は無い。
紅葉のこと、これからのこと、いつか全てがすがすがしく解決する日がきっと来る。
それは、吹けば消えてしまう頼りない灯火のように、光の胸の内で弱々しい輝きを放っていた。
聞こえないはずの外の雨音が、幾らか和らいだような気が、した。
(迷走・了)