「櫻の頃」
青木の大きな掌で頭をポンポンと叩かれるたび、胸の奥が疼いた。
「明日も朝早いぞ、ちゃんと寝ろよ」
人のいい優しい笑顔を見るたび、自分がとんでもなく悪いことをしているような罪悪感に苛まれる。
違う、そうじゃないと、言い聞かせたのはこれで何度目だろう。
去っていく後姿を見送って、あの人は何も知らないんだと思った。
俺の体に、刻まれた記憶。
離れてしまうのならいっそ、と、彼が刻んだ炎の感触。
初めての想い出は、全部繋がっている、忘れることなどとてもできない。
そうして今日も刻まれるのだろう。
毎夜―――闇の帳が下りた後、新しく施される痕。
消えることのない、二人だけの秘密。
望んだのは他でもない、俺自身。
隣に立っていた、もう一つの姿が、そっと指先を絡めてきた。
「光」
ビクリと震える。
「僕らも戻ろう」
「うん」
俯きがちに答えると、そっと髪を撫でられた。
どこまでも優しくて、激しく、深い色の瞳が見詰めている。
夜が来るのだった。
壬生紅葉の想いが、御剣光の総てを奪う、抗いがたい夜が。
鳴瀧の道場で光が壬生と同じ部屋をあてがわれたのは鳴瀧なりの配慮があってのことだった。
光は、数えで十三になる今日に至るまで、外の世界というものを知らずに過ごしてきた。
同い年の話し相手は妹の朋恵ただ1人、けれど、彼女は、決して光の友人にはなり得ない。
だからせめて、ここにとどまる短い間だけは年頃の少年らしい暮らしを、と、同い年で兄弟子にあたる壬生に世話を任せたのだった。
寝食を共にすれば、それだけ情が通い合うのも早い。
死んだ親友の息子である光を、鳴瀧は実の息子のように思っていた。
そして、身寄りのない所を引き取った壬生に対しても、同様の感情を抱いていた。
2人がかつての自分と、光の父親のような関係になれば、と、そう願っての行為だったけれど―――
果たして、よかったのかどうか。
鳴瀧は知らない。
そして、師の心中を、弟子たちが推し量る事もなかった。
鳴瀧が光の有する天性の引力を理解しきれていなかったことが、総ての原因だろう。
『器』の前では、誰もがその輝きに魅せられる。
触れ合ってしまったのなら尚更、身も心も虜になってしまう。
かつて自身がそうであったことを、鳴瀧は失念していた。
壬生は一番近い場所で光とふれあい、そして、当たり前のように心奪われた。
更に言えば、光も、壬生の宿す闇の中に、自身の居場所を見出してしまったのだった。
繋がりあう想いは強固な絆となり、互いを縛りあい、誰にも犯すことのできない領域を築き上げた。
二人の縁は解けない。
それは、陰陽が揃いで一つの姿であるのと同じように。
布団を敷いていると、背後で笑われた。
「一組でいいと思うけど?」
壬生を無視して、光はちゃんと布団を二組敷く。
恥ずかしくて、少し拗ねたような顰め面のままだ。
「浴衣」
「うん?」
敷き終わった布団の上に、光はぺたりと腰をおろす。
「洗濯も、修行の一環で、よかった」
鳴瀧の指導方針は、自分の事は自分でやること。
光も紅葉も自分の洗濯は自己責任だった。
干してあるそれらをいちいち確認するものなどいない。
壬生が、控えめに笑い声を立てた。
「そうだね」
部屋の明かりがパチンと消える。
「おかげで好きなだけ君に触れられるよ」
指先がそっと髪に潜り込んで、吹きかかる吐息に、縮こまる光を壬生は優しい動作で抱きしめる。
「く、紅葉」
そのままユルユルと布団に横にされながら、意味のない問いかけが光の口から漏れた。
「今日も、するの?」
「そうだよ」
囁かれて、そのまま耳たぶに吸い付いてくる。
壬生の唇の感触に、何故か泣きそうになった。
「光」
優しい声が、光の心に麻酔をかける。
「好きだよ」
そして、光はそれきり―――動けなくなってしまう。
気持ちを見透かすような指先が、浴衣の袷からするりと肌を滑って内側を探る。
滑らかな表面を慈しむように何度もなで上げて、やがて見つけた突起をこすると、もう息の上がり始めている光の唇から声が漏れた。
「あっ、う」
壬生が、音を立てて首筋へ口づける。
丹念に繰り返される胸への愛撫に、くったりと全身を弛緩させる。
圧し掛かる重みが、片手でまさぐって、唇に、頬に、首筋に、繰り返し熱い口付けが降ってくる。
その都度好きだと囁かれているようで、光の内側にも、情欲が灯りつつあった。
「光」
指先が何度も肌の感触を確かめる。
なすがままになりながら、光はぼんやりと取り留めのない事に思いを馳せていた。
今日までの事、今の事。
けれど、これからの事は考えないようにしている。
―――考えたくもなかった。
この温もりと、いずれ離れる。
それは、近い未来の事だけではない、抗うことのできない運命が、すでに自分には定まっている。
壬生との行為に溺れているのも、全部、そこから目を背けたい為の逃避行為ではないのかと、思った瞬間涙が滲みそうになっていた。
違う。
そうじゃない。
(俺は、紅葉が好きなんだ)
だから辛い。
―――怖い。
(ダメだ!)
瞬間、息を呑んで硬直した光に、壬生が顔を上げて、怪訝な表情を浮かべた。
「光?」
光は小さく嘆息を漏らし、だいじょうぶ、だいじょうぶだからと、そっと壬生の髪に触れた。
「もしかして、嫌、だった?」
「そうじゃないよ」
「けど君、何だか少し、震えている」
「ううん、へいき、紅葉となら、平気」
繰り返し唱える。
いやらしい行為も、猥らな自分も、壬生となら総て喜びに変わる。
もっとして欲しいと。
囁いたら、今度は驚いた顔をされてしまった。
光は笑う。
「お願い、紅葉、もっと、もっとして、俺に、紅葉を、ちょうだい」
迷うように止まっていた指先が、するすると内股を這いだした。
内心ホッと息をついて、光は行為に没頭しようと、さっきまでの考えを総て頭の中から排除した。
(今は、内側全部を紅葉だけでいっぱいにしていたい)
「あっ、あっ、ああん、あ、あん」
乱れた息の合間に漏れる嬌声を楽しむように、壬生の指先は何度も内股をなぞり、やがて股間の茂みに触れた。
光の局部は張り詰めていて、すでに先端から先走りの雫があふれ出している。
それをすくい、塗り広げながら、ゆっくりと抜いていく。
竿を握った瞬間、大きく全身が震えて、紅葉は肩から鎖骨にかけて念入りにキスを繰り返した。
舌先で耳の後ろを舐め上げて、息を吹きかけ、その間擦り続けていると、段々こちらも我慢が効かなくなっていく。
「はあっ、はあっ、はあっ―――う、く、ううんっ」
指先で鎌首を何度もなぞり、先端をヌルヌルと擦り、時折爪を立てる。
合間に掌で包み込むようにして下の方にも触れられて、愛撫されると息が詰まりそうになった。
「ひあっ、あ、あ、あ、あああっ」
ビク、ビクンと瘧のように震えながら、いっそう激しい壬生のキスに、光は絶頂を迎える。
「あ、あ、あ、ああーっ」
熱い迸りがこぼれた。
グッタリした光の浴衣の前ははだけて、下肢にははしたなく滴らせた劣情の名残が散っている。
起き上がり、その様子を眺めながら、壬生は満足そうに微笑んでいた。
手に着いた体液を舐め取って、同じ唇でキスをする。
まだ朦朧としている光の、足の間に割って入り、腿をつかんで開かせた。
両足を肩に担ぎながら、中央で濡れた色をしている光の一部に視線を落とす。
「綺麗だ」
自分の前を開くと、すでに雄雄しくいきり立っている。
「光、後で、もっとたっぷり可愛がってあげる」
けど、今は―――
「僕も、もう限界だから」
あれほど乱れる愛しい姿を前に、我慢のきくわけがない。
膨れ上がった先端を定めて、光の体液を掬い取り、クチュクチュと塗りこんだ。
いやらしい光景にぞくぞくする。
その間も、光は肩で息を繰り返しながら、何をされているか懸命に理解しようとしている様子だった。
「光」
先端を体内に僅かに侵入させて、動かしながら、徐々に慣らす。
「ヒッ、あ、ああ、いやああ」
可愛い声だ。
うっとりと、もう少し入り込んだ。
「い、痛いよ、紅葉」
「うん、少しずつ―――慣らすから、だから光も、協力して」
「ん」
かすかに震えて、光は、腰を動かす。
壬生の動きにあわせようと健気に励んでいる。
たまらなくて、もう少し突き込んだ。
もう少し、もう少しだけ。
「く、れは、苦しッ」
「光、頑張って」
ハアハアと息を繰り返しながら、シーツを両手で握り締める姿。
部屋の、襖から、少しだけ月の光が差し込んで、照らされた光の目尻には、ほんのり涙が浮かんでいた。
(何て綺麗なんだろう)
頭の中がクラクラする。
壬生を見上げている光からも、影になって切なく眉を寄せている姿は、たまらなく魅力的に映っていた。
もっと繋がりたい。
もっと奥まで来て欲しい。
「くれ、はァッ」
両手を伸ばして、肩を捕まえると、同時に壬生が光の奥をズンと突き上げてきた。
激しい衝撃に思わず離れそうになった体を抱きとめて、そのまま、抱え上げられるような格好で、ズンズンと穿ち始める。
「ひッ、あ、アッ、くれ、は、くれは、紅葉ッ」
「光ッ」
壬生の腹の辺りで、光の局部が再び立ち上がり、動作に併せて揺れていた。
グチュグチュと卑猥な音に併せて、体は跳ねて、意識は飛んだ。
狂ったように繰り返される口付けの嵐に、光も壬生の肌に爪を立てて、所構わず唇で触れる。
「紅葉、好きだ、すき、スキ、くれはあッ」
「光、僕も、君が好きだ、好きで、好きで、ああッ」
髪が揺れている。
サラサラと、耳元で擦れている。
重なり合う鼓動が、同じ速さで刻みあって、そして、遂に、弾けた。
びくびくと、内側で震えている、熱い肉。
その先端からあふれ出してくる、何か。
しっかり結び合い、総て受け止めながら、光も壬生の腹に歓喜の飛沫を放っていた。
互いに抱きしめあったまま、布団の上に崩れ落ちる。
ひとしきり呼吸した後で、顔を上げると、視線が繋がった。
「光」
「紅葉」
そっと囁きかけて、壬生が、光の額にキスを落とす。
甘く優しい感触だ。
今ここで、総て失っても構わないと思うほどの―――
(紅葉さえ、いてくれれば、俺はもうそれだけで)
「君さえいれば、僕は、他に何も」
想いは同じ。
光は壬生の胸に顔をうずめる。
「紅葉」
「何?」
「―――大好き、だよ」
(本当はこんなふうに、かんがえちゃいけないのかもしれないけれど、それでも、俺は)
「好き、紅葉」
「僕も、愛している」
繋がりあったまま、強く抱きしめた。
抱きしめ返してくれる壬生の温もりを感じながら、零れ落ちた涙の意味を知る者はいない。
かすかに覗く、下弦の月だけが、それを見ていた。
(了)