―――めまぐるしく日々が過ぎ去っていった。
布団に寝転がって天井の模様を眺める。
朋也の予想をはるかに超えて八十稲羽は恐ろしく田舎の町だった。
畑と田圃、山以外何もない風景など、目にしたのは小学生以来だろうか。
毎日忙しく過ごす両親と共に出かけた数少ない思い出のうち、風化しかけた記憶の片隅に、そんな光景を見たような覚えがある。
いや、もしかしたらそれはテレビの記憶を体験したものと誤認しているのかもしれない。
どちらにせよ、ここは、ほんの数日前まで暮らしていた場所とあまりに違いすぎる。
だからなのかと、ふと呟いた。
どこか仄かに覚える違和感。
足元がフワフワしているような現実味のない日々。
無理もないとも思う。
稲羽を訪れた当日、妙な夢を見た。
それは霧に包まれた静寂の世界を駆け抜け、何ものかと対峙するといった内容だった。
何と対峙したのか、何を話して、何をしたのか、その辺りはさすが夢らしく、胡乱に霞んで思い出せないが、立ち向かっていったようなイメージだけが残っている。
その翌日が八十神高校への編入当日、低く垂れ込めた鈍色の雲の下、春雨が降り注いでいた。
特に印象深い出来事も無く、ただ、その日知り合った女生徒から他愛もない話を聞かされて、流れで『マヨナカテレビ』というものを見る事になった。
―――そこまでは多分、よくある日々の光景でしかなかったはずだ。
以前暮らしていた場所にも都市伝説の類など数え切れないほどあったし、友人から眉唾物の怪しげな話を聞かされてそれを実践してみたことも度々あった。
結果は予測の範疇内、何か起る筈も無く、また、何も起らずにあってくれた。
それはなんて幸運だったのだろうと今なら思う。
非日常なんて『板切れ一枚下は地獄』の言葉のようにどこにでも転がっているものだった。
刺激の強い惰性の日々に感性が鈍っていたのか、否、日々危機感を持って生活している人間なんて少なくとも日本には殆ど存在しないだろう。
(俺が特別ってわけでもない)
ごろり。
柔らかなリネンの肌触りに目を閉じる。
『お前なんか、俺じゃない!』
見開いた視界に映る、見慣れない部屋。
―――昨日の出来事が脳裏に甦ってくる。
稲羽を訪れて知り合ったのは純朴な少女たち、そして。
(思えば最初から飛ばしてたよな)
普通、どれほど鈍臭くても壊れたチャリでごみ収集場に突っ込んで、そこから更にゴミ箱をかぶるなんて芸当、お笑い芸人だってそうやらない。
そもそも芸風が古すぎる。
けれど素でやってのけた『彼』に朋也は出会ってからこちら振り回され続けている。
花村陽介という少年は、ある意味自分の立ち位置に一番近い。
もっとも彼の抱える苦悩や周囲の風当たりなんかは想像の範囲を出ないし、感性が近い部分以外は特筆すべき共通点もない、ただ、周囲の誰より垢抜けていて、話が合いそうだと思った、それだけだ。
陽介は自分も半年ほど前に都会から転校してきたのだと話していた。
やはり暮らしていた環境に因る感覚の違いはどうしたって否めない。
田舎暮らしを馬鹿にするわけではないが、速度が違いすぎるのだ、それと、温度も。
ここは、喩えるなら、ひよこの浮かんだぬるい幼児用プール、これまでは競泳用のプールにいた。
都会には都会の、田舎には田舎のいい所があるだろうし、環境に依存する生活は送っていなかったから、この違和感にもいずれ慣れていくのだろう。
しかし稲羽を訪れてからの展開は、正直急過ぎる。
まさか、いきなりテレビの中に入れるようになって。
まさか、いきなり妙な力が使えるようになって。
まさか、いきなり人死にが出るような事件に巻き込まれるなんて。
―――普通想像するだろうか。
青いリムジンの中で、イゴールという名の鼻の長い老人と、その傍らに腰掛けたマーガレットという女性から、妙な話を聞かされた。
それらは全て夢の出来事と思っていた。
けれど『夢』は『現実』となり、朋也の日常は異常なものへと変質してしまった。
朋也はテレビゲームをあまりやらない。
友人宅や、ゲームセンターなどで、リズム系や格闘系のゲームなら多少嗜む程度に遊んだことがあるけれど、普段は本を読んだり散歩して過ごすことが殆どだった。
読む本の種類も、ファンタジー系は有名どころ以外さっぱりだ。
もし、そういう趣味嗜好であったなら、もう少し順応も早かったのかもしれないと思う。
少なくとも優越感には浸れただろう。
―――件の花村陽介のように。
彼の、慕っていたらしい先輩が、異常な死に方をしたのが一昨日の夜。
昨日はその小西とかいう先輩の死を巡って、陽介に懇願され、朋也は再びテレビの中に足を踏み込んだ。
正直、もう二度と訪れなくていい場所と考えていた。
テレビの中に入れたところで、何がある訳でも無い。
それどころか出られなくなる恐れもあるのだ、好き好んで入る馬鹿がどこにいる?
(―――俺と、花村だよな)
そう、再び入ったのだ。
幾ら花村に頼み込まれたとはいえ、最後の決断を下したのは自分自身。
拒む事だってできた筈、けれど拒めなかった。
陽介は酷く思いつめた表情をしていた。
出合ったばかりの大して親しくもない他人の願いを、身の危険を顧みずよく引き受けたものだと思う。
陽介は案外交渉事が上手いのだろう。
(俺が)
その時の陽介の様子や声、言葉が、今も耳から離れない。
(俺が、一緒じゃなかったら)
入ることを拒んだら、あいつは―――どうしていただろうか?
(未だにあの重苦しい気持ちを引きずっていたのかな)
テレビの中の世界、そこで―――朋也と陽介は、陽介の『本音』と戦った。
もう一人の陽介は、本人がずっと押し殺していた本音をいとも簡単に吐き出してみせた。
それは現状への鬱積した不満。
不条理に対する抵抗と、付随する望み、そして、願い。
(特別になりたいって気持ちは、誰だって普通に持ってるものだろう)
俺にだってあるよ。
ヒーローになりたかったと話していたもう一人の陽介。
真実の陽介はその言葉を「やめろ」と遮り叫んだ。
『お前は孤立すんのが怖いから、上手く取り繕ってヘラヘラしてんだよ』
『一人は寂しいもんなあ。みんなに囲まれてたいもんなあ』
『小西先輩の為に、この世界を調べに来ただぁ?お前がここに興味を持ったホントの理由は―――』
目を瞑る。
焦る陽介と、嘲笑うもう一人の陽介。
『ははは!何、焦ってんだ!俺には全部、お見通しなんだよ』
『だって俺は―――お前なんだからな!』
『お前は単に、この場所にワクワクしてたんだ!ド田舎暮らしには、うんざりしてるもんな!』
『何か面白いモンがあんじゃないか―――ここへ来たワケなんて、要はそれだけだろ!?』
『カッコつけやがってよ―――あわよくば、ヒーローになれるって思ったんだよなぁ?』
『大好きな先輩が死んだっていう、らしい口実もあるしさ―――』
その直後、陽介の『影』は、陽介本人に否定され、暴走して、異形へと変形した。
―――そんなに悪いことなのか。
朋也はシーツの表面に額をこすりつける。
柔らかい感触が心地いい。
菜々子の小さな体で、大物の洗濯は骨が折れるだろう。
今後は手伝わせていただくとして、久々に他人が洗ってくれたシーツで眠ることのできる喜びは大きい。
(俺にだってあるよ)
田舎暮らしにうんざりするほどの日数は過ぎていない、だから、今後どうであったかは、今ではもう分からない。
退屈に厭く暇など当分ないのだろう。
けれど、現実を自分本位で受け止めてしまうことなら、多々ある。
今だってそうだ。
陽介の熱意が、朋也にはいまいち判らない。
理解ならできる、けれど、共感できていないのだ。
テレビの中の異常な世界、芽生えた特殊な力、与えられた使命、向けられる好意と期待。
どれもが手の中から溢れて、持て余している。
展開の速さについていけていない。
今朝、陽介からテレビの世界の特異性を利用して殺人を行っている人間がいるとするなら、それは許せない事だよなと同感を求められ、本音を言えば正直困った。
確かに人殺しはいけない事だ。
倫理的人道的に悖る非道な行いと思う。
けれど自ら裁きを与えることとは、結局別次元の話なのだ。
俺たちで犯人を見つけ出そうぜと陽介に提案されて、朋也は「いい考えだ」と賛同したけれど、それすら、望まれた答えと思ったからでしかない。
言葉自体に現実味は皆無。
嬉しそうに笑う陽介を見ても、ピンと来なかった。
(俺は、酷い人間なんだろうか)
分からない。
分からないままに、今また知り合いの少女が『マヨナカテレビ』に映ってしまった。
―――明日、陽介の父親が店長を勤めるジュネスに集まり、詳しい話をする予定となっている。
少し前に連絡を受け、なし崩し的に陽介に決定されてしまったのだった。
(テレビにも入るんだろうな)
また、あの場所へ行く。
不安が胸の奥を掠める。
正直気は進まない。
でも。
脳裏に浮かび上がる気のいい笑顔。
『これだけ知っちまって、気付いちまったら、見なかったフリできないだろ』
(お前はいい奴だよ、花村)
シーツに額を擦りつける。
今夜はよく眠れそうだ。
不安定な夢は、実は、昨日も見た、一昨日も見ている。
真っ白い空間は日を追うごとに希薄になっていくようだった、恐らくもう見ないだろう。
(こんなに)
他人と秘密を共有したことなどない。
初めての感覚は、戸惑うばかりでそれ以上を見出せずにいる。
睡魔が足を忍ばせて近づきつつあった。
「お前が(最初)だったら良かったんだよ―――花村」
声の最後は闇に呑まれた。
そのまま眠りの縁に落ちていく、朋也は、久々に安らかなひとときをリネンの海から与えられた。