「しっかし、今日、祖父江の授業、マジ助かった!」

陽介が笑う、朋也は苦笑いだ。

「花村、ダメだろ?」

「はーい、でもさ、ホント、サンキュな」

ホラ、食えと簡易テーブルの向こう側から自分のビフテキコロッケを半分に割って差し出してくるのを、皿に乗せられて朋也はまた困り顔で微笑む。

―――正直なところ、脂っこい食べ物は少し苦手だ。

 

 異常な日々はいまだ継続している。

『マヨナカテレビ』に映った人間は、どうやら、テレビの向こう側へと連れ去られてしまうらしい。

その凶行を実行している犯人とやらが存在するようなのだ。

疑念が確信へと変わったのは、今回の一件。

稲羽を訪れて知り合った一人、天城雪子がテレビの向こう側へ誘拐された。

不鮮明な『マヨナカテレビ』の映像は、本人が中へ落ちると鮮明に、そして、バラエティ番組めいた内容へと変化するらしく、趣味の悪い映像は、さして親しくない朋也が見ても違和感を覚えるものだった。

里中千枝はどんな想いでこの映像を見たのだろう。

千枝と雪子は特別な関係にあるらしく、その心配振りや、雪子救出に対する意気込みは自分や陽介と明らかに一線を画していた。

『特別な誰か』

甘美な響きのフレーズ。

恐らくは、殆どの人間がそこに憬れや希望を見出すだろう。

雪子を救出した後の二人の睦まじさは、朋也の心に一種の憧憬めいた感情を呼び起こしていた。

恋人を持ったことがないわけじゃない。

それなりに付き合いのある友人も幾らかいた。

けれど、『彼ら』や『彼女』と、俺は、果たしてこんな関係を構築していただろうか。

―――仄かな羨ましさが漂っただけで、結局、朋也にとってはそれだけだった。

全てが対岸の火事のようだ。

闘いの手ごたえや、寄せられる信頼は肌で感じるのに、そういったものをどこか冷静に見つめている自分が常にいて、未だに距離が測れない。

 

 花村陽介は強引な奴かと思っていたが、どうも、そうではないらしい。

交渉事が上手いのは、勤労という形ですでに社会のルールに触れているからだろう。

陽介は、父親が店長を勤めるジュネスでアルバイトをしているそうだ。

しかし、親の威を笠に着たりせず、むしろ親の立場に付随する苦労を色々と負わされているらしい。

あまり愚痴を言わない彼の、言葉の端々からそういった印象を受けた。

(凄く気を遣うタイプみたいだな)

コロッケを齧る陽介を見ながら思う。

「ビフテキをコロッケに入れちゃうとこが何とも田舎だよな」

「でも、案外旨い」

「まあ、ウマいけど、硬いよな」

千枝にはこれが柔らかくてジューシーな食感らしい。

彼女は恐らく大概の肉類を旨いと呼称するのだろう。

(俺は、脂っこくて少し苦手だ)

今日は、陽介に誘われて、惣菜屋『惣菜大学』で放課後買い食いの真っ最中。

ジャガイモのコロッケやクリームコロッケの方が好みだ。

惣菜大学のショーウィンドウを目で探索していると、傍から声が聞こえた。

 

「ジュネスの―――八高でしょう?」

「佐藤さんの店潰れて―――八高で同級生の」

「ここの商店街だって危ないって言うのに」

 

振り返った途端、陽介と目が合って、気まずい笑みを向けられる。

「悪いな、俺、有名人で」

声の主は通り過ぎていった主婦二人組のようだった。

朋也は陽介を窺う。

「大変だな」

「んー、そーでもねーよ?」

指先で頬の辺りをポリポリと掻いて、陽介は他所を向いてしまった。

「親同士のことだし、俺は関係ないし、それに、仕方ねーだろ」

―――そうなのか?

四月の空は青く澄んでいて、けれど吹く風はまだ少し冷たい。

「俺の事知らない人、多分いないぜ、学校にもこの町にも」

悪い事できないのだけがネックだな。

肩を竦めて笑う陽介を朋也は見詰めている。

「―――しっかし、ハマるとウマいな、このコロッケ」

もうひとつ食べると宣言した陽介は、お前も食べるだろうと勝手に決めて、席を立ち行ってしまった。

後姿を見送っていた朋也は、自分が僅かに手を握り締めていたと気付く。

―――本当に、そうなのだろうか?

(違う)

嘘だろう。

判る。

けど、だから何だというのだ。

陽介は一応自分で納得しているようだし、それなら朋也が口を挟むべきは何もない。

しかし割り切れない、このモヤモヤした感情。

(テレビの中でもないっていうのに)

日常的に大なり小なりの悪意を、それこそ様々な形で陽介は数限りなく向けられているのか。

嫌だな、と思った。

朋也は、聖人君子でも、偽善者のつもりでもない。

ごく当たり前に他人の悪口を言うような人々に嫌悪を感じた、それだけの事だ。

特別じゃないだろう、まともな精神の持ち主なら、多分、同じ様に思う。

先ほどの主婦たちは天気の話しでもするかのような気安さで陽介を否定していた。

多分、稲羽の商店街に関わりのある人間は、ジュネスとジュネスに関わる全てを無差別に嫌悪しているに違いない。

ただ『店長の息子』という肩書きがついているだけ。

そんなくだらない理由で、謂れのない誹謗を受ける日々。

(俺なら、耐えられるか?)

「黒沢?くーろーさーわー!」

ハッと我に返り振り向く。

レジ前で陽介が手を振っていた。

「お前、他に何か食う?」

「あ、いや」

ふうん。

ビフテキコロッケを二つ受け取った陽介が戻ってきた。

「お前ってさ、時々ボーっとしてるよな」

「そう?」

「そーゆうとき何考えてんの?」

「別に、何も」

「わかった!」陽介が笑う「エッチな事だろー?」

朋也はあからさまな溜め息を吐き返す。

「何だよ」

陽介が口を尖らせながら、朋也の皿にビフテキコロッケを一つ乗せてくれた。

「ホレ、奢り、ありがたく食っとけ」

(あんまり有難くないんだけど)

脂っこいコロッケは食べるほど胃がもたれてくる。

陽介はジャンクフードで油分に胃が慣れているに違いない。

稲羽を訪れる前は、放課後ファーストフードで何時間も喋っていたタイプだろうと邪推する。

「なあ、黒沢?」

「ん?」

割り箸を動かす手を止めて、陽介がじっとこちらを窺っていた。

「―――お前さ、その、さっきのアレ」

変な気とか、遣うなよ?

無理に作ったような笑顔、気遣われている気配。

朋也は卓上のコロッケに視線を落とす。

(そうやって)

人の心配ばかりして、どうするんだ、お前は。

箸先でコロッケを一口大に切り離した。

ただ―――馬鹿だなあという気持ちだけ浮かんでいる。

陽介の奢りのコロッケを食べる。

旨いけれど、脂っこくて、やはり少し苦手な味がした。

(それなのに買って寄越すし、いらないっての)

余計な気遣いも必要ない。

―――むしろ慮るべきは俺のほうだ。

(変だな)

「黒沢?」

(男相手に俺は、何をしんみりしてるんだろう)

「おーい、朋也くーん」

聞えてるよ、と顔を上げると、陽介がホッとしたように小さく溜め息を漏らした。

(バカ)

切り離したコロッケを割り箸の先に摘む。

「はい、花村」

「は?」

「あーん」

きょとんとした顔が、即座に赤くなって、何か言いかけた陽介は代わりに疲れた溜め息をひとつ吐いた。

「―――あのなあ、黒沢、俺、そーゆう趣味の持ち合わせないから、悪いけど」

「俺だってないよ」

摘んだコロッケをパクリと口に入れる。

「お前ってさあ」

「何?」

―――いいや。

コロッケを食べる陽介を眺めて、朋也も、脂っこいビフテキコロッケの残りを食べた。

大した話もせず食事を続けながら、時間だけが淡々と流れていった。

 

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