以前の出来事をいまだに根に持っているのかと思った。

リズミカルに包丁を動かしつつ、つい先ほどのやり取りを思い返す。

 

昨日は散々で、おまけに今日も、陽介のくだらない計画に巻き込まれて散々だった。

(ここのところの俺はツイてない気がする)

一連の諸々が全て件の青い小部屋の主の言うところの転換期とやらのせいならば、今を抜けた先の俺の人生はどれだけバラ色なんだと皮肉な笑みが浮かぶ。

テレビに飛び込んで、不気味な化け物と戦って、人を救って。

あちらの世界では、どういうわけか刀剣などまともに扱った事の無い朋也が、まるで達人の様な剣捌きで武器を振るう事ができる。

千枝の蹴りは化け物をはるか彼方の星になるほど吹っ飛ばす事ができるし、陽介だってクルクルと独楽のように回転したりする、雪子の優美な扇子捌きなど闘いの最中にあって舞っているようだ。

(ああいうのは全部、ペルソナとやらの所為なんだろうな)

夢の世界ではなんだって望みが叶うようになっている。

隠された本性も露呈される。

朋也は陽介の影と戦った時のことを思い出していた。

あれから随分時間が流れた―――と、いっても、実際四月の末から数えて二ヶ月、確かに千枝に言われたとおり『よく懐いた』ものだ。

このところ陽介の様子はずっとおかしかった。

様子を窺っていたら、一昨日鮫川の土手であんな話を切り出されて、何故か元に戻った。

と、いうより、やたら機嫌良くしている。

陽介の一体何が解決したのだろう。

(謎だ)

ただ、勝手に悩んで復活した相方と違って、朋也はまだ微妙な蟠りが残ったままだ。

陽介の感情の揺れ幅がいまだによく分からない。

それはもしかしたら朋也自身の触れ幅があまり大きくない所為なのかもしれないけれど、結局不明な部分に至っては想像する以外今のところ補う方法が分からないから、いつだって若干消化不良気味だ。

いっそ訊いてしまえば、と、誰かが囁きかける。

(何を?)

そこでいつも胸の声は途絶える。

何を訊けばいいというのだろう、そもそも質問の意図が明確で無いのに、質問内容など更に曖昧で形にしようが無い、形にならないものを『声』という形に落とし込む事など出来るはずもない。

陽介はいつだって饒舌で明朗としていて楽しい。

いい奴だと思う反面、時折持て余してしまう。

朋也は感情を表に出す事をあまり好まない。

それは自分が起こした何らかの余波が想定外の影響を周囲に及ぼしたり、その所為で被害を被ったりする事を恐れているからに他ならない。

まして『言葉』に表すとなれば、極めて慎重にならざるを得ないだろう。

定型を持つものの影響力は不定形の比ではない。

その辺りの見極めが陽介はいまいち甘いと思う。

だから余計な傷を負うし、損な役回りばかり押し付けられる。

結局は全て自業自得だ。

生来は大らかで伸び伸びとした気性の持ち主なのだろう、そんな相棒が、優しいから我慢をして、責任感の強さから無理をして、貧乏くじばかり引かされている様子は正直鬱陶しくて滑稽だ。

(でも、俺は)

陽介が時々、太陽のように眩しく感じる。

(そういうところに惹かれたんだ)

―――ふと菜箸を持つ手が止まった。

朋也は僅かに惚けてしまう。

―――今、何を考えた?

手元では既に切った具材がフライパンの上で油の爆ぜる音を立てていた。

調味料を振って、菜箸で焦げ付かないように動かしつつ、無意識に思考は刷りかえられていた。

(今日の夕飯は何だろう、叔父さん早番だって言ってたから菜々子の食事は心配要らないな)

花村家の冷蔵庫内は余程管理が行き届いているのか余り物の食材は殆ど見あたらず、代わりによく冷えた飲料と冷蔵庫向きの調味料がたくさん収められていた。

そこから使えそうなものを選んで朋也は調理に勤しんでいる。

米は自分がシャワーを浴びている間に陽介が研いでおいてくれた。

飯を作ってくれる礼だからと先を譲ってくれた、本当に妙なところで義理堅い。

(そうだ、花村)

再び意識が戻される。

朋也は今、陽介の母親のエプロンを借用して台所に立っている。

フリルのたっぷり付けられた真っ白いエプロンは「これしかない」と言うものだから仕方なく身につけた。

その、エプロンの下に着ている衣服も、陽介が洗いたての自分の部屋着を貸してくれた。

荷物の洗物はさっきまで着ていたジャージや陽介の洗物も纏めて洗濯機で回している最中だ、乾燥機能付だったから食事の傍ら一気に片付けてしまう事にした。

ついでが身に染み付いている。

(この間の弁当の話をまた引っ張り出してきたのかと思ったんだよな)

茜射す帰り道、陽介の必死な姿を思い出す。

(そうしたら、それは全然関係なくて、単純に俺に気を遣ってくれただけみたいで)

小川での一件を気にして、これ以上迷惑をかけられないと考えたのだろう。

途中で思い違いに気付いた朋也は思わず声に出して笑ってしまった。

(まったく)

こういう場面で弱みを上手く利用しなくてどうする?

(まあ、弱みではないけど)

変なところで馬鹿正直というか―――だから付込まれるんだと、食器棚から皿を二枚取り出した。

アスパラとエノキ入りのトロッとしたスクランブルエッグと、大根ときゅうりとハムを短冊切りにしてカラシ入りの酢醤油であえたもの、有り合わせにしては上出来だ、美味そうな匂いに腹の虫が鳴いている。

ダイニングテーブルの上におかずを乗せた皿を置いて、使っていい茶碗を検分している最中、米の炊きあがった合図の音と共に浴室の方角から歓声が聞えてきた。

「おーッ、いい匂いがする!」

とりあえず女物らしいものを避けて茶碗と箸を取り出しつつ、朋也はクスリと微笑んでいた。

そのうち、約束どおりまた弁当を作ってきてやるとするか。

(なんだか本当に食い物で釣ってるみたいだな)

寝不足気味のあくびが漏れる。

食事が済んだら、少し休んで、洗濯物を片付けて家に帰ろう。

近づいてきた足音がリビングのドアを開ける音に変わるのを聞きながら、振り返った朋也は湯気を纏って佇む陽介に微笑みかけたのだった。

 

「飯、できてるぞ」

 

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