それでさ、と陽介は切り出す。
今は家路を辿る途中。
他に乗り合わせのいない最終バスに揺られて、一番後ろの席でぽつぽつと話をしていた。
「その、色々とアリガトな」
夜の闇に目が馴染むまで知り合いや、よく行く場所、お互いしか知らない場所を探しあって、いい加減時間に急きたてられるように2人は高台を後にした。
窓の外を景色が飛ぶように流れていく。
どうやら運転手も早く家路に着きたいらしい。
長いシートの中央に隣り合って座り眺める車内はどこか日常でない雰囲気が漂っていた。
「みっともないところ、見せてばっかりで」
「今更」
「そういう言い方って無いんじゃない?まあ―――でも、そうだな、当て込んでばっかじゃ悪いからさ」
何かあったらお前も俺を頼ってくれよ。
有難うと笑い返してくる朋也に陽介は僅かな引っ掛かりを覚える。
(そういえば)
―――ふと思い出していた。
(前もよくこんな気分になった)
4月の末、出会ったばかりの頃―――
黒沢朋也は、背の高い美形で、勉強も運動もそつなくこなし、おまけに性格まで好いなんて、ちょっとお目にかかれないパーフェクトぶりに、嫉妬より羨望が先んじた。
それは、周囲の評価も同じだったからこそ、陽介も気負いなく話しかけることができた。
マヨナカテレビの一件を切欠に羨望が敬愛へと変わり、それが更に情愛に変化して、まるでヒーローに憧れる子供のように陽介は夢中になっていった。
(でも、時々気になってたんだ)
『壁』と形容していた違和感は、今は少し違うもののような気がしている。
朋也は誰と何をしていても―――どこか馴染みきらない。
優しくて協調性に富んだ相棒はいつだって善意に満ちている。
けれどそれこそが陽介の気懸かりの元だった。
確かに、等しく全てに対して誠実であろうとする姿勢は立派だろう。
愛情深く大らかな気性も天性のものに違いない。
(でも、黒沢は腹ん中に堪ったモンをどこで吐き出してるんだ?)
人が、自ら背負える量には限度がある。
それは陽介も身を持って学んだから分かる。
俺達は何かとこいつを頼りにすることが多い。
(でも、黒沢は?)
朋也は引き受けた感情や自分の想いをどこへやっているんだろう。
「なあ、相棒?」
陽介は傍らの姿をそっと窺った。
窓ガラスの暗闇に2人の姿が映っている。
「ん?」
朋也の横顔は綺麗だ。
改めて思う、俺はこいつが大好きだ。
(だから知りたい、お前との間に横たわっているものの正体を)
お前はさ、と問いかける。
「どうなの?」
「何が」
陽介は腿に両腕を乗せ、猫背の姿勢で手の指を組み合わせていく。
「―――俺は、さ、おかげで色々吹っ切れたけど」
視界に映るくすんだ色の床と少しだけ泥に汚れた靴の爪先。
「お前にはそういうの、ないの?」
「え」
エンジンとバスの走行音ばかり聞こえる。
首から下げたヘッドフォンを今日はまだ一度も使っていない。
録音音声が次の駅名を告げた、目的地まであと少しかかるようだ。
「俺ばっかりお前に頼りっぱなしでさ、なんつーか、そういうの」
そういうのって。
―――そして、陽介はハッと口を噤む。
咄嗟に握り締めた両手を見られはしなかっただろうか。
スピーカーから流れる音声が次の駅名を告げた。
陽介の問いかけに答える声はない。
時折窓の外に家の明かりが映っては消えていく。
心許ない照明に照らされた車内は人工音しか聞こえない。
二人を降ろしたバスは、土埃と共に夜道を走り去っていった。
「花村」
顔を上げる。
斜め前に朋也がいた。
街灯の明かりより僅かに外れて、2人は無言で立ち尽くした。
温い夜風が頬を撫で抜けていった。
「―――俺は、平気だよ」
陽介は咄嗟に何の話をされたのかわからなかった。
優しい微笑と共に、からかうような口調で朋也が言う。
「お前と違ってヘタレてないから」
「は?」
「余計な気遣いは無用って話」
「あ、ああ」
「けど、アリガトな」
違う。
漠然と、そう、思った。
何が違うのか、そもそも、この違和感は何なのか、判らないまま踵を返して歩き出そうとしていた朋也の腕を陽介は捕まえていた。
振り返り、驚いた表情の朋也と目が合う。
陽介自身、何をしたいのか、どうしたいのか、明確な意思もなく勝手に動いた自分の体に正直驚き、戸惑っていた。
(けど)
このまま見送ってしまったら、俺はきっと大事な何かを見落としてしまう。
(そんな大げさな話じゃないのかもしれない)
でも、確実に―――後悔はするだろう。
予感が自我を超えて行動を起こしたのなら、きっと俺にとって意味があるはずだ。
沸き起こる想いを陽介はそのまま言葉に換えた。
「違う」
「―――花村」
「そんなの、嘘だろ」
静かに陽介を見詰め返す眼差し。
アッシュブルーの瞳の奥に潜む、朋也の本音を教えて欲しい。
(俺は、お前の“本当”が知りたい)
朋也はたくさんのものをくれた。
けれど、朋也自身は何も求めようとしないから―――
(俺が寂しいだけなのかも)
焦れるように陽介は思う。
(もっと欲しがれよ、黒沢)
俺と同じくらい―――俺を、欲しがってくれよ。
「黒沢、お前は」
不意打ちに微笑まれて、陽介はそれ以上の言葉を見失ってしまった。
朋也の腕を掴んでいる自分の手が重ねられた指先にゆっくり解かれていくのを感触で知る。
「俺の」
抑揚の無い澄んだ声。
「欲しいものは、手に入らない、だから―――いいんだ」
眼差しに映る気配は密かに陽介を拒絶している。
「―――昔は凄く欲しかった、でももういいような気もしてる、まだ欲しいのかもしれないけれど、手に入るかどうか判らない、判らないものを待つのは止めたんだ」
笑っている朋也の、けれどその笑顔は喩えようもなく悲しげだった。
(こんな黒沢を俺は知らない)
唐突に2人を別つ大きな溝が現れたような気がして、陽介はダラリと両腕を落とした。
不意に困ったような表情を浮かべた朋也が、いきなり陽介の額を指で強く弾いてきた。
「痛っ!」
よろけた傍から笑い声が聞こえる。
「なんて、本気にする奴があるか、バーカ」
「っな、テメー!」
「ハハハ、花村の分際で生意気なんだよ、そういうのはもうちょっと格好よくなってから言え」
「俺のどこが格好悪いってんだ!」
「全体的にそうだろ、ガッカリ王子」
「言いやがったなッ」
このやろ、と殴りかかる陽介から身を庇いながら、朋也は声を上げて笑う。
今度こそ、いつもの朋也の笑顔だった。
誰もいない商店街入り口で2人の声はやけに響いた。
(黒沢)
無理やり和ませたような空気が重い。
(なあ、黒沢)
悪ふざけで本音を誤魔化しながら陽介は思う。
(でも、それこそ嘘なんじゃないか?今のお前は、本当はもっと違う顔してるんじゃないのか?)
―――自分のシャドウと対面した時の記憶が甦ってくる。
朋也のシャドウは、朋也本人も含めて、結局まだ誰も見ていない。
ならそれは一体どんな顔をしているのだろう。
どんな雰囲気で、何を語るのだろう。
(朋也)
近くの民家から騒ぎを叱りつける様な声が上げられて、顔を見合わせた2人は「すいません!」と短く詫びの声を上げると、その場から逃げ出すようにそれぞれの家路についた。
夜道を一人往く陽介の脳裏に、寂しげな姿と朋也の声がいつまでも巡り続けていた。