どこかションボリした完二の背中を見送って、とぼとぼと歩き出す陽介の傍らを、朋也も歩く。

はあ。

もう何度目かわからない溜め息が聞えた。

「なあ、黒沢ぁ」

「うん?」

窺うと、陽介は猫背で地面を眺めたままぽつぽつ呟く。

「俺さ、何か悪いことしたか?」

「さあ?」

苦笑い。

少し肩をすくめた気配が伝わってしまったのだろうか、今度は恨みがましい溜め息が聞こえよがしに吐き出された。

「折角のイベントで『楽しい思い出作りー♪』とか期待すんのがそんなにいけねえの?企画内容自体はともかく、ドッキリハプニングくらいあってもよさそうじゃねえか」

なのにさ、そうぼやきながら、陽介は爪先で路傍の石を蹴り飛ばす。

「腹は減ってる、体は気持ち悪ィ、ある意味ドッキリハプニングだらけだったさ、けど楽しい思い出どころかプチトラウマ残ったぜ、今回の林間学校」

夕方近い白けた空の下を空腹のあまりフラフラしながら歩く2人は一泊二日の林間学校の帰り道。

前日の夕食は、陽介曰く『物体X』カレーを出されて、流石に一口たりとも食べることができなかった。

製作者は雪子&千枝、だ。

まるで味見せず料理を作る人間も珍しいと、朋也は内心かなり驚かされた。

大雑把な性格なのか、それとも料理など適当にやればそれなりのものが出来上がると高を括っていたのか、まさか初めから食べ物を作るつもりじゃなかったなんてオチはあるまい。

(でも、人に食べさせるつもりで作るなら、それなりの気は遣うと思うんだけど)

そういうのが思いやりや愛情であったりするのだろう。

しかし、その論理でいえば、つまり雪子と千枝は自分たちに些かの愛情も持っていないということになる。

それはそれで少し寂しい。

現地に到着してからかなりの重労働を強制された上、食事抜き、しかもアクシデントに巻き込まれて夜はまともに眠れなかった。

おまけにとばっちりを喰らい川にまで落ちた。

川上では―――これ以上はよそう、胸のささくれが大きくなる。

とにかく『散々だ、最悪だ』とぼやき続ける陽介の心境は痛いほど判る。

元々苦手分野であった女性の脅威に晒された完二は怯えきったまま帰路を辿り、元凶2人組といえば、逆切れしたままこちらもお構いなしにサッサと帰宅してしまう始末。

心身ともに疲れ果てた朋也は陽介のグチを鬱陶しいと思いつつ遮る気にすらなれず、適当に聞き流していた。

しかしそれはそれで拗ねてしまう難しい年頃の相棒のために、曖昧な笑顔で時折相槌を繰り返す。

(こういうのを愛情っていうんだ、わかるか?天城、里中)

「腹減ったなあ」

遠い空に二人の面影を思い浮かべる朋也の傍らで、陽介がメソメソしながら腹を擦っていた。

家帰って何かあるかな?

切ない声にせめてもの灯火を、と、朋也は務めて明るい声を出す。

「頃合的にもう夕飯だし、とりあえず適当に繋いでおいて、今夜は花村の好物でも作ってもらえよ」

「あーそれは、無理」

朋也はそのまま首を傾げた。

「なんで?」

「今日うちおふくろいねーの」

「え」

はあ。

投げやりな溜め息。

「友達と旅行なんだと、しょっちゅうだぜ、田舎暮らしに厭きてんのかもな、しかも今日は親父も出張でいねえし、出前でも取れって居間のテーブルに金置いてあんじゃねーの?」

俺、イクジホーキされてんの。

冗談めかした台詞は乾いた笑いと共に空に溶けて消えた。

「まあ、いーんだけどさ、慣れたし」

多少肌寒く感じるのは、風が出てきたからだろうか。

6月とはいえ、夏はまだ足音すら遠い。

「そう」

朋也の髪を風が撫でた。

「おう」

前髪をよける仕草で陽介が応える。

再開されるグチをどこか遠く聞きながら、朋也は内心考え込んでしまう。

―――恐らく、自分も今夜は出来合いの惣菜か店屋物の食事だろう。

けれど家に帰れば菜々子がいる。

もしかしたら叔父も帰ってきているかもしれない。

因幡を訪れて日常になった風景。

けれど、それ以前は?

―――朋也は、空きっ腹で無人の家のドアを開ける心境に酷く覚えがあった。

陽介の腹が鳴き声を上げる。

蹴り飛ばした小石は路肩の溝に落ちて消えた。

遠く東の果てに茜色の予感を漂わせて、空は今薄暮に染められている。

「花村」

それぞれ自宅へ向かう分岐点の数メートル手前、振り向いた朋也に陽介が視線だけで『何?』と返した。

「今からジュネスに行こう」

「は?」

朋也の輪郭を白い光が縁取っている。

「お前の好物って何?」

「え?えっと」

カレー?

陽介はあからさまな動揺と共に答えた。

朋也がニコリと微笑みを返す。

「わかった」

踵を返して歩き出す後から、我に返った陽介が慌てて追いかけてきた。

「え?何?ちょ、お前、いきなりジュネスって」

「カレー、作るよ」

「はあ?」

早足の朋也の腕をどうにか捕らえる。

「お前、急に何言い出すかと思えば、作るって!」

「お前の家でいいよな」

「だから!待てって、いきなり人の家でカレー作るとかって、意味わかんねえよ、何考えてんだ!」

「構わないだろ」

「そりゃ」

まあ、と言いかけて、陽介はぶんぶんと首を振った。

「ちが!話摩り替えんな!何でお前が俺の家でカレー作んだって聞いてんだよ!」

「腹が減ってるから」

「それは!微妙に答えになってないぞ!おい黒沢、何考えてんだか知らねえけどな、変な気遣おうとしてんならそんなの」

朋也の足がぴたりと止まる。

引きずられるように後から歩いていた陽介は背中にまともに突っ込みそうになって、つんのめりながらどうにか立ち止まった。

「おわっと!急に止まんな!」

フワリと振り返った、灰色の眼差しがヒタと陽介に定められる。

途端双肩がビクリと震えて、陽介の鳶色の瞳の奥が戸惑うようにユラユラ揺れた。

「な、何だよ」

―――向かい合って立つと、やはり朋也の方が背が高い。

身長差に意味なんてないのに、陽介の胸をチクチクと何かが突付く。

不便じゃないか、と、唐突に思った。

何が不便かわからなかったけれど、それが不愉快の種だということだけは、漠然と感じられていた。

朋也は黙って陽介を見ている。

瞳が語りかけてくるようで、心の奥を見透かす気配にいつでも少し落ち着かない。

ソワソワしていた陽介は、ついに我慢が切れた様子で突然大きな声を上げた。

「あ、あのなあ!」

途端腹がきゅううっと鳴く。

出鼻をくじかれた当人は一瞬動きを止めて、直後にカッと頬を染めると、慌てて腹を押さえて体をくの字に折り曲げた。

驚いた顔の朋也が、すぐ笑顔に変わる。

「腹減ってるじゃないか」

上目遣いの陽介の顔が益々赤くなる。

「お、おま、お前もだろッ」

「うん」

「じゃ、じゃーいいだろ!腹減ってりゃ鳴るよ、それが自然の摂理ってもんだろ?!大体今の今までなんも食ってないんだぜ、プチ断食だッつの、一体何の修行だよコレ!」

「イスラム教のラマダンだな、食事を抜くことによって悟りの痛みを知るんだ」

「知らねえよ!ラマダンだかカルバンだか、とにかくな、俺は別に修行なんてしたくねッつの!」

「うん」

「うんじゃねえ、わかってんのか黒沢、ああもう、なんでこんな」

きゅうるるるるーッ

主人と違って陽介の腹は素直だ。

ついに座り込む相棒を見下ろす朋也は困り顔で微笑んでいる。

「はああああ」

きゅうるる、きゅうるるるる、くぐーッ

「ダメだ、もう無理、怒鳴ったら、腹減った」

盛大にぐうぐう鳴る腹を押さえて、蹲っていた陽介の髪を何かがそっと撫でた。

顔を上げると、光を背負った手がスッと差し伸べられる。

黙って捕まった陽介は、そのまま立ち上がらせてもらいながら、耳の辺りにジワリと熱を感じていた。

その理由も、やはり良く判らない。

「行こう」

朋也の声に、今度こそ『はあーっ』と盛大に溜め息を吐いて陽介は相棒の顔をしげしげと眺める。

ついでに腹も再び鳴いた。

「―――お前なあ」

「うち、帰って、店屋物やインスタントじゃ味気ないだろ?最後にいい思い出ってまでは行かないかもしれないけれど、お前のために美味いカレー作るよ」

「男に言われても嬉しくない」

「ハハハ」

多少申し訳なさそうな朋也の笑顔は、陽介の胸のつかえをスルリと落とすのに十分だった。

密かに付け足せば今の言葉の半分も本音じゃない。

(けどまさか、両手挙げて喜べるかよ)

腹の虫が早くと促している。

「あーもう、限界だってさ、俺の腹、この際何でもいいや、お前が美味いもん食わせてくれるってなら頼むぜ」

「勿論」

「おう」

たったそれだけのやり取り、でももう胸の奥が仄かに暖かい、これは、一体なんだろうか。

(ダチだから?)

いや違う、うまく言えないけれど、この感情はもっと別の形をした、覚えのある。

(―――いいや、もう)

空腹時の考え事なんてろくなもんじゃないだろと、浮かんでくるモヤモヤを溜め息と一緒に吐き出した。

朋也が自分のために美味いカレーを作ってくれる。

その事実だけで今は十分満足できる、他の事は、腹が膨れてからでもいい。

穏やかな雰囲気の相棒と隣り合って歩き出しながら、陽介はその肩をポンポンと叩いた。

「そうと決まれば、お前のカレー、俄然期待してるからな、変なもん食わせたら容赦しねえぞ」

「大丈夫、俺のカレーにはちゃんと愛が籠もってる」

「な!ば、バカ、妙な事言うな!男からの愛なんているかッ」

「何だよ、俺は食事を作る相手にはいつだって美味いものを食わせようって愛情込めるよ」

紛らわしいんだよ、バカ。

そして思い直した。

(テンパッてんのは俺のほうか)

むしろ自分に言っておきたい。

バカ。

(浮かれてんな、クソ)

「愛がないと、うまい料理は作れないんだぞ」

「じゃあ何か、天城と里中は俺等に愛を持ってないっつー事か」

「それ、ハッキリ言っちゃうと微妙に傷つかない?」

「―――まあな」

今度は朋也の手がポンポンと肩を叩くので、陽介はようやくいつもどおりの笑顔を見せた。

並んで歩く影が段々長い。

フワフワと足元の浮くような高揚感の理由を見出せないまま、朱色に染まりかけた初夏の空気が二人の道行きを柔らかく満たしていた。

 

 

朋也はカレー作ってシャワー借りてカレー食って帰りました。やましいことはしてないよ(笑)

コミュランクは恐らく3の手前くらい、微妙に未満シティ。