「花村」
後ろからの呼び声に陽介は振り返る。
「何?」
午前の授業が終わり、時刻は丁度昼食時。
今日はやけに学校全体がざわついている。
数人の女生徒達がそそくさと教室を出て行った。
男子生徒もいつも以上に落ち着きがない。
そんな雰囲気の中、普段と変わらない微笑を浮かべて、朋也が包みを二つ取り出して見せた。
「今日弁当作ってきたんだけど、食べる?」
「おうッ」
満面の笑みで頷き返す陽介の傍でいくつか舌打ちが聞えた。
普段以上に風当たりが強い気がするけれど、ここはあえて気にしないでおく。
そして、よりによってこんな日に自分を昼食に誘う朋也も大概天然だ、あまつさえ弁当まで用意して。
(まあ、いいけど)
朋也は嬉しそうにニコニコしている。
「それじゃあ、屋上で食べよう」
「俺飲み物買ってくる、何がいい?」
「お茶」
「よっしゃ、先行って待ってて!」
「了解」
楽しげな相棒の背中を見送って、陽介も浮かれた足取りで教室を飛び出した。
本日、2/14、火曜日。
恋の炎燃え上がるバレンタインデー当日。
始まりは朝、登校直後教室に現れたのはりせと直斗の2人だった。
「せーんぱいッ」
彼女達の登場が合図だったように、もったいぶった表情で雪子と千枝も陽介と朋也の机周りに集まってきた。
「はい、これ」
それは赤いリボンが結ばれた二つの大きな包み。
「みんなで一緒に作ったんだよ、先輩達にって」
「おお、チョコレートか!」
ニコニコと微笑んでいる彼女達からありがたく包みを受け取った。
「あ、言っとくけど花村先輩の分は義理だから」
りせの冗談とも本気とも取れる台詞を思い返すとまだ少ししょげてしまう。
しかし貰えた事実は素直に嬉しい。
直後に直斗から確認を取って、毒物でないことも無事判明していた。
「本の通りに作りましたから、もし問題があれば出版社に苦情を上げてください」
「花村、何訊いてんの、まさかアンタあたしたちのチョコ疑ってる?」
千枝に怖い顔で睨まれて、危うく没収されかけたチョコレートを死守して朝の時間は過ぎ去った。
朋也はずっと苦笑いで一連のやり取りを眺めていた。
彼の受け取ったチョコレートは本命だろう、そして、少女たちの様子から察するに、恐らくは個々がそれぞれ後でチョコレートを寄越してくるに違いない。
1時間目が終わると、今度は完二が2年生組全員に可愛らしい包みを持って訪れた。
陽介と千枝と雪子の包みは同じ大きさだったが、やはり朋也の包みだけ少し大きかったから、今度はそれを散々からかってやった。
完二は顔を真っ赤にしていつもの如く怒っていたけれど、少し調子を崩しているようにも見えた。
理由なら大まか見当がつく。
恐らく、今朝自分と同じチョコレートを頂いたのだろう。
完二なら間違いなくりせと直斗にも贈り物を用意していたはずで、しかも直斗の分は特別製だったに違いない。
反射されたダメージは相当深刻だったのか。
死して屍拾うものなしとはまさにこの事だ、ああ無常、完二に合掌。
(そういやクマ吉も放課後朋也に渡すものがあるって言ってたな、逆チョコがどうとか)
今更だが改めて朋也を想う人の多さに辟易する。
けれどそれが以前とまるでベクトルの違う感情と知っているから、陽介は自分に苦笑を漏らしていた。
その後も休み時間毎に何かと少女達が自分と朋也に贈り物をくれた。
けれど恐らくこちらはフェイク、本命は1つきりに違いない。
(お陰で今年は大量大量、食うのが大変だっつーの)
廊下を走る陽介は、なるべく急いだ方がいいなと屋上に想いを馳せていた。
この時間帯を狙って告白してくる女子生徒がいないとも限らない。
折角2人きりの昼食に水を差されては迷惑だ。
今日だけは朋也から目が離せない、早く買い物を済ませて、さっさと戻ろう。
駆け抜けた窓の向こうに広がる空は綺麗に晴れ渡っていた。
小春日和の屋上。
少し肌寒いけれど、心地よい風が吹いている。
陽介の心配を他所に、朋也は一人きりフェンスの傍らに腰を下ろしてぼんやり空を眺めていた。
幸い辺りに人影は無く、それとなく窺ってみれば、実は、やはり屋上に辿り着く前に何度も呼び止められて行き先を尋ねられまくったらしい。
「花村と待ち合わせしてるって言ったら、チョコレートくれたんだ、ホラ、2人で食べてくれってさ」
「へえ」
んなもんホントはお前一人に寄越したんだっつの。
皮肉を飲み込みつつ、何気ないそぶりで飲み物を手渡す。
「ほい」
「二つ?」
―――そうなのだ。
1本は頼まれたパックの緑茶。
けれどもう一本といえば。
「フフ」
朋也が笑う。
陽介は照れ臭くて、隣にどっかと腰を下ろすと、そっぽを向いたままコーヒーのプルトップを押し上げた。
「花村、コレ」
「おうよ、ありがたく飲んどけ」
うん。
頷き返す朋也は両手で缶入りのホットチョコレートを包むように持っている。
「あったかい、有難う、嬉しいよ」
フワリと浮かんだ幸せそうな微笑につい見惚れてしまった。
朋也が稀に見せる無邪気な表情は仲間内だけの特権、更に陽介は遭遇頻度が非常に高い。
自分は誰より特別なのだとしみじみ喜びを噛み締める。
(俺って幸せ者だよなー)
その上、人には言えない『あーんなコト』や『そーんなコト』も、それは陽介限定で朋也が許している特権中の特権で、色々思い出している内に緩んだ口元から危うくコーヒーを零しそうになってしまった。
不埒な頭に振り返った朋也の「陽介」と呼ぶ声が響く。
咄嗟に面食らってドキリと高鳴った鼓動と一緒に陽介は顔を赤く染めていた。
「な、何?」
「弁当食べよう、昼休みが終わる」
「おうッ」
2人きりの屋上。
普段は人目をはばかり聞くことのできない呼び方。
茹った世界にお花畑が見える。
高鳴る胸と共に解いた包みの中央に鎮座まします弁当箱の蓋を開けた瞬間、一拍置いて、今度こそ頭の上からボフッと煙の立ち上る擬音が聞えただろう、陽介は、顔を真っ赤に染めていた。
「お前、コレ!!」
「―――ん、ベタだけど、やるなら徹底的にと思って」
目に映るのは色鮮やかなピンク。
「一応、言い訳しておくと」
桜でんぶで描かれたハート、チューリップに飾り付けられた骨付きの竜田揚げ、ハートの形に抜かれたニンジン、タマゴ。
「今日遠足の菜々子の弁当も、そんな調子」
ウサギさんのリンゴ、ハート柄の入ったかまぼこ、とどめはハートの細工の施されたラディッシュ。
「で、こっちは一応デザート」
別途手渡された包みを開くと、今度はハート形をしたチョコレートチップが何枚も入っていた。
「バナナをカットしてドライフルーツにして、チョコでコーティングしてみたんだ、美味いかどうかはまだ不明」
陽介は顔を上げてまじまじと朋也を見詰める。
すぐ目を逸らした朋也の頬もうっすら桜色に染まっていて、どうにもムズムズした感覚が下腹辺りで渦巻きだした。
「―――朋也」
ちらり。
グレーの瞳と目が合った。
それだけで芯から蕩けてしまいそうだ。
とにかくこの弁当は米粒一粒たりとも残さず全て頂こう。
バナナチップスも一枚残らず俺が食い尽くすと固く心に誓う。
けど、その前に―――
「なあ、朋也」
「な、何?」
「あのさ、飯の前にちょっと―――チューしてもいい?」
バチン。
ひりつく頬に北風が沁みる。
しかしそんなことを微塵も気にせず夢中で弁当をがっつく陽介の傍らで、ほんのり頬を染めた朋也も無言で昼食を摂っていた。
製作者自身の弁当もファンキーピンクの頭のいかれた造りだった。
そんなに今日の事気にかけてくれていたのかと、ニヤつく陽介の心情を読み取ったらしい勘の鋭い恋人は、いつも以上にそっけないそぶりで黙々と箸を動かしている。
「朋也ぁ」
「何だ?」
「今日の放課後って空いてる?」
「何で」
「うちの親、今日から揃って暫く留守でさッ」
「―――泊まりなら無理、明日も学校だし」
「わかってるって、けど、遅くなる分には問題ないだろ?」
「考えとく」
「おう!」
そのままウットリ見詰めていたら、箸を止めた朋也が顔を上げて、目が合うとまたほんのり頬の赤みが増した。
「ひ、人の顔ばかり見てないで、早く食べろよ、昼休み終わっちゃうだろ」
「ハイハイ、でもさ、俺にとって朋也以上のオカズは」
「人をオカズにまでするな、今日の陽介はちょっと変態っぽい」
「あれ?今更?そーよぉ、朋也君のエロカワイーぃお顔を見るためなら幾らでも」
「そういうの冗談でも止めてくれ」
「ヘヘ、とか言って玉子焼きいただきッ」
「コラ!」
まだ寒いはずの二月の空気、けれど、2人の周囲だけほんのり暖かい。
晴れた空に浮かぶ甘ったるい気配は恋人同士だけが作り出せる絶対領域。
肩を擦り寄せながらホワイトデー何がいい?と尋ねると、朋也は何でもと答えた。
朋也からの同じ質問には『お前』と答えておいた。
それでまた拳が飛んできたけれど、こういう時朋也は滅多に本気で殴ったりしない。
(皆にゃ悪いが、今日のこいつは俺が独り占めさせてもらうぜ)
楽しいバレンタインになりそうだ。
恥ずかしがる恋人を眺めて、陽介は内心こっそり呟いた。
☆おまけ
「あッ、そういやさ―――このチョコどうする?何だかんだで凄い量になってるけど」
「完二とチョコレートケーキでも作る、手作りの分は流石に自分で食べるかな」
「やめてくれ、毒でも入ってたらどうする、つか他の女から貰ったモンなんて食うな、里中達がくれた分以外手作り食うの禁止」
「陽介、それってヤキモチなのか?」
「うるっせ!テメーで考えろ、でも食うなよ?絶対食ったらダメだかんな!」
A)ヤキモチです。
結局どうしたかはご想像にお任せ。