ピンポン。

蛍光灯に照らし出されるシンと静まり返った居間。

朋也は顔を上げる。

ピンポン。

一声唸り、目を瞑って無視を決め込もうとした。

ピンポン。

(誰だ―――今頃)

おーい、相棒。

ピンポン。

(陽介?)

やっとの思いで立ち上がると、ふらり、一歩踏み出した。

 

「さみい」

五回目のチャイムを押し終えて、震えながら戸口の様子を窺う。

(マジで寝ちゃったのかな)

もう一度チャイムに指を伸ばそうとして、やめた。

陽介は鼻を啜り、白い息を吐き出した。

「朋也ぁ」

切ない気分で擦りガラスの表面をそっと撫でる。

ほんの少し前まで一緒だったのに。

(お前の気持ちは、俺ん所まで届いてないのかな、もしかして)

胸の奥まで凍えてしまいそうな北風が吹きぬけていく。

秤にかけられた想いはどう考えたって俺の方が下だ、多分。

(切ないよなあ)

今頃朋也はどうしてる―――こんな戸板一枚隔てただけの向こうにあるはずの愛しい面影が、なんて遠い。

「朋也」

呟いて、顔を上げた。

瞬間ガラスの向こうに人の気配を感じるのと、戸が開かれたのは殆ど同時だった。

「って」

驚いた拍子に、灯りの点いていない敷居の外と内で目が合う。

(えッ?)

ふらり。

そのまま朋也が前のめりに倒れてきた。

考える前に踏み込んで、玄関の中でどうにか受け止める事ができた。

「お、おい!どうした?」

熱い。

暗闇に燃える様な朋也の荒い息遣いを感じる。

脱力し切った長身を抱きかかえながらオロオロしている陽介を、アッシュブルーの瞳が見上げた。

濡れた色に揺らめく眼差しの光を認めた途端、陽介はようやくピンと何事か勘付いた。

「朋也」

伸ばされた腕が艶めかしく陽介の首に絡みついてくる。

「よーすけー」

鼻にかかった甘ったるい声。

ウフフ。

「お前、もしかして―――酔っ払ってんの?」

朋也はクスクス笑いながら首筋に額を押し付けてきた。

そのまま甘えた猫がじゃれつくような仕草をしながら、お前タイミング悪いなあと恨み節のようにぼやかれる。

「俺、かなり頑張ったのに、台無し」

「な、何が」

「どーせ陽介の考える事だろ、下心あっての呑み会だろが」

(バレてました)

隠蔽工作空しく、ターゲットはすでに腹黒い企てを看破していたらしい。

心臓が早鳴って、たじたじと言葉を失った陽介を朋也は鼻で笑う。

「この俺が、お前ごときのしょーもない策にひっかかって醜態晒したとあっちゃ、悔やみきれないからな」

だから、いつもどおりにして追い返してやったのに、と、朋也が口を利くたび、熱っぽい吐息が肌をくすぐった。

「なのに戻ってくるなんて、どういう了見だコノヤロー」

「え、えーと、俺はどこから突っ込めば―――てか、俺は!」

「財布なんて明日でも良かっただろー」

は?

不意にきょとんとした陽介を見上げて、朋也はケタケタと笑う。

「お前の財布、俺の部屋」

「そ、そう?」

「俺が抜いときました、取りに戻ってくるかと思って」

「は?」

再び子猫のように頭を摺り寄せてくる朋也を抱きかかえながら、陽介は今度こそ言葉を失っていた。

(い、今、何て?)

何で―――何で、何で、何で!そんなことしたんだ?!

「寒い」

朋也の震えを感じた陽介はハッと我に返ると、とりあえず腕に抱いていた姿を上がり口に座らせて、そそくさと戸を閉めに行った。

ついでにこっそり鍵も落としておく。

改めて、傍らに腰を下ろしたら、待ってましたといわんばかりに朋也が体を預けてきた。

再び抱きとめて、熱い呼吸を繰り返す相棒の髪にそっと口付けを落とす。

「朋也」

「あー悔しい、畜生、お前って案外策士なんじゃないの?」

「何が?」

「散々呑ませやがって、流石の俺だって酔うに決まってんだろ、クソ、一体何するつもりだったんだよ」

「何って」

「バカ、あーもう」

悔しそうにジャケットの表面を握り締め、しがみつく仕草。

可愛い。

普段の朋也にはおよそ期待できない言動の数々に、陽介はとうとう―――口元のにやけ笑いを隠し切れなくなってしまった。

こういうことを期待していたんだ、俺は。

つまり目的はすでに達成されていたというわけだ。

ただ尋常ならざるリーダーの意地と根性が真実をくらまそうとしたけれど、結局はどうにかなって、今、俺は『恋人関係』を満喫している。

(そうだよ、こういうのが恋人の醍醐味じゃねーか!)

ムフフ、ムフフと手触りのいい背中を撫で回して、甘えた声を漏らしつつ擦り寄ってくる朋也にキスの雨を降らせる。

うっかりで、馬鹿みたいにイチャイチャ、望んでいた甘ったるい時間。

愛の勝利だぜ。

陽介は内心ガッツポーズを決める。

腕が塞がっていなかったらリアルに決めていたかもしれない。

(やり遂げたぜ、俺!)

キュッと抱きしめると、恋人は腕の中で楽しげに笑い声を上げた。

「陽介、暑い!」

「酔っ払ってるからだよ、バーカ」

頬に口づける。

「陽介は酔っ払ってナイ?」

(その目のこの距離は反則技だぜ)

危うくキュン死しかけた。

「オウ、酔ってるぜ、目の前クラックラしてる」

「じゃあ、お前、起たないんじゃないか?」

それが目当てだったんじゃないのかと、無造作に股間をまさぐるものだから、陽介は咄嗟に変な声を上げてしまった。

破廉恥でしょうがと朋也の手を取り上げつつ、実はまんざらでもない。

(っていうか、俺の計画の9割バレてたんじゃねーか、え?まさか10割?ウソ、全部?)

反応に困る陽介は、わざとらしく笑うくらいしかできない。

我ながらヘタな誤魔化し様だ。

「へ、へーき、へーき、大丈夫!」

チュ、チュとキスを繰り返しながら、朋也の顔を覗き込む。

「夜は長いし、問題ねーよ」

「そう?」

小首を傾げた、今日の朋也はエクセレントだ。

(いけない、いけない、落ち着け俺)

半ば正気でない自身を諌めるべく、陽介はこっそり深呼吸をする。

―――要らないような気もするけれど。

「ねえ」

スルリと背筋をなぞり、改めて、朋也の耳元に囁きかける。

「何でそんなことしたの?」

「んー?」

「俺だけ呼び戻して、お前こそ、俺と何したかったの?」

それは、淡い期待感。

朋也は陽介が確実に戻ってくるよう仕向けたつもりでなさそうだし、陽介自身も途中で忘れ物に気付かなければあえて戻る選択をしなかったはずだ。

いや、気付いたとしても、必ず引き返すとは限らない。

恐らく朋也は単純にイタズラ心を起こしただけで、行為そのものに意義を見出すのは無意味だろう。

けれど、陽介は知りたかった。

朋也が『どうして』そんなイタズラ心を起こしたのか、を。

もしかして何か望んでくれたんじゃないのか?

俺と同じ様なこと、考えてくれていたんじゃないのか?

(だってお前だって、俺と同じ健全なダンシコーコーセーだろ)

エッチなこととか、好きだろ?

(いや、そうじゃなくて)

―――『俺』と、エロい事したいとか、そういうの考えてくれたんじゃないのか。

陽介の首筋にウウンと頬を摺り寄せて、朋也がまた笑う。

「そうだなあ」

髪に鼻先をうずめるようにして、陽介はキスをした。

「それはなあ」

もう一回。

「んー」

繰り返し。

「やめろ、くすぐったい!」

朋也からギュッと抱きつかれて、陽介も同じくらい強く抱き返す。

「やらしいこと、かなあ」

鼓動が今日一番の高鳴りを刻んだ。

「ま、マジ?」

喉がゴクリと鳴ってしまった。

けれど、期待に反して朋也は「さー?」と曖昧に呟いただけだった。

―――いまいち要領を得ない。

「はっきりしろよなぁ」

少し、拗ねるようにぼやいて、溜め息を漏らしてから、腕の中の朋也に頬擦りする。

これはもう一晩かけて納得のいく答えを聞かせてもらうしかないだろう。

膝に半身乗り上げて甘える朋也の姿は普段の数割増し可愛い。

(俺の股間も完全その気だぜ、覚悟しろよ相棒)

舌なめずりの狼は、腹黒い内側と対照的に、猫撫で声で「酒弱かったの?」と恋人に囁いた。

直後、緩いパンチを食らってしまった。

「どんだけ呑んだと思ってんだ!誰が飲ませたんだ!お前だろ、この野郎!」

ゴメンゴメンと振りかぶった二打目をどうにかいなして、陽介は胸に硬く決意する。

今後自分が同席しない飲酒の一切を禁止しよう。

(2人きりだったらもっと早くこうなったのかな)

それは是非次回検証させていただくとして。

「とりあえず、上がるぞ」

朋也を抱きかかえながら立ち上がる。

「いい加減寒いし、お前階段上れそう?」

「無理」

「んじゃ、居間でいいな、どうせお前しかいねーもんな」

靴を脱ぎ、再び框を跨ぎ、戻る途中は想像もしていなかった展開だぞと足元が浮かれていた。

謙虚な想いが最高の運を引き寄せたというべきか。

(まあ、それだけ俺の愛が強かったって事だよな)

しかし、明日の朝目覚めた朋也は果たしてどんな顔をするだろう。

傍らに寄り添う陽介の姿と、自分の状況を認識して、直後に拳の一撃でも繰り出してきそうだ。

(それだけがちょっと不安だな)

背中がヒャッとするけれど、同時にいやらしい考えも過ぎっていた。

普段堂島家の団欒に使われている居間。

この場所で、朋也は俺と今夜の出来事を思い出してくれるだろうか。

「―――忘れらんねー夜にしてやんぜ、相棒」

んーと緩い声が返事をした。

あとで朋也の部屋から掛け布団くらいは取ってきておこうか。

暖房がついているけれど、底冷えする寒さは2人で抱き合って布団にでも包まっていなければ凌ぎきれない。

本来自分より長身の姿は、腕の中ですっかり小さく丸くなって、可愛くなっている。

バニラのシャーベットというより、ただの氷というより、今は、練乳たっぷりの苺ミルク。

ベッタリ甘い朋也の体を抱き寄せながら、匙の上たっぷりに盛られた幸福を頬張って、陽介はめくるめく一夜にとめどない想いを馳せていた。

 

 

 

―――しかしてヨースケも大分酒入ってるんで半端な所で寝ちゃうと思います。

それが花村クオリティ(※ヘタレ)

 

お片づけは翌朝2人でやりましたとさ。