あれから数日が過ぎた。
朋也はボンヤリと教壇の教師の姿を眺めている。
(足立さん、今頃どうしているんだろうな)
―――春先からの事件の真の黒幕であった彼が、テレビの向こう側に逃げ込んだのが一昨日の事。
仲間たちの意気込みに共感する部分とはまた別のところで、朋也はどこか胡乱な気持ちを抱えたままでいた。
一時、失踪していたクマも無事戻ってきた。
(足立さんは向こう側が快適みたいな事を言っていたけれど、本当にそうなんだろうか)
シャドウは現れていないのだろうか。
もっとも、どうやら自分と同じ様な力の使い手である彼には、そういった現象はやはり起こらないのかもしれないけれど。
(あの日以来)
菜々子は昏々と眠り続けている。
今のところ命に別状はないそうだけれど、この霧を晴らさない限り、恐らくは回復も見込めないだろう。
(俺は、足立さんが憎いのかな)
―――よく解らない。
生田目は憎いと思うけれど、同時に憐れとも感じている。
曖昧な感情は重みを伴わずずっと胸の内で蟠ったままだ。
(あの時、無茶しようとした陽介を止めて)
怒りや憎しみを引き受けて。
(俺の気持ちはこの霧みたいになった)
結局アイツはまた自分で消化しきれない色々なものを全部俺に預けたんだ。
(そして俺は、それを受け入れた)
けれど不思議な気分だった。
陽介を憎いとは思わない。
信じる気持ちを失ってもいなければ、何もかも手放して楽に、などという考えもない。
(夢は現実にならなかった)
もしかしたら幾つかの可能性の一つが教えてくれた未来だったのかもしれない。
けれど―――酷く疲れてしまった。
無論足立に制裁は加える。
この世界の霧は全て晴らす。
それだけは違えない。
(でも)
―――俺は?
陽介に話しかけられるのが、触れられるのが、今は酷く億劫だ。
陽介に限らず、仲間達からも距離を置きたいと考え始めている。
(俺はどうしたんだろう)
微かな吐息と共に景色に視線を泳がせた。
うっすら霧の漂う教室内はざわついていて、とても授業になりそうもなかった。
*****
「よ!」
屋上でボンヤリ空を眺めていた朋也は緩々と視線を下ろす。
ドアの方角から霧をぬけて現れたのは陽介だった。
片手にビニール袋をぶら下げて笑顔を浮かべながら近付いてくる。
朋也は、花村、と呼びかけた。
途端、煩わしいと感じる気持ちと裏腹にフワリと微笑んでいて、そんな自分の心がわからない。
「探したぞ相棒、授業終わってすぐフラフラーッと教室出て行っちまうんだもん」
「悪い」
「どした、疲れてんのか?」
隣に腰を下ろして袋の中を漁り始める。
多分そうだと答えて笑った朋也を振り返って、鳶色の瞳がじっと見詰めてきた。
「―――何?」
いや、と答えながらパックのジュースを差し出してくる。
「これからテレビの中行くだろ?」
「ああ」
―――本日の授業は全て終了して、今は放課後。
こんな景色では時間の流れすらよく解らない。
朋也はジュースを受け取った。
「準備ができたら皆に声をかけようと思ってた、早く足立さん捕まえなくちゃな」
「そうだな」
パックにストローを挿して咥える。
喉に、バナナの甘い風味が滑り落ちていく。
「なあ朋也?」
朋也は振り返り陽介を見た。
「お前さ」
「うん?」
「―――最近ちょっと」
陽介は黙り込む。
ジュースを一口飲んで、再び「あのな」と口を開いた。
「俺、お前に言わなきゃいけない事があって」
「何?」
「ああ、その」
―――いまいち歯切れが悪い。
景色は数メートル先も見通せない霧。
空には鳥の影すら無く、校舎の外も中からも殆ど音が聞こえてこない。
屋上にも、多分二人きり。
何故なら、今は誰もが稲羽の毒霧情報を恐れて、極力外出を控えている。
防塵マスクの人々は薄気味悪くて馴染めない。
こんな場所で語らっている自分たちは傍から見ればどのように映るのだろうと、ふと思った。
「お前は何も言わないから」
陽介が飲んでいるのはオレンジの紙パック。
「俺も、もういいんだって思おうとしたけど、でも」
すっと腕が伸びてくる。
触れようとしたその手を朋也は咄嗟に払いのけていた。
パン、と乾いた音がして、誰より朋也自身が驚いて目を丸くする。
陽介は小さく「やっぱり」と呟いてパックを傍に置いた。
「なに、が」
振り返ると、泣き出しそうな顔をした陽介に問答無用で抱きしめられた。
不測の事態というより、咄嗟に沸き起こった嫌悪感で朋也の全身は強張ってしまう。
(嫌だ)
―――放せ。
突き飛ばして逃げたい。
(どうして)
そんな風に感じてしまうのか、相手は陽介なのに。
腕の力が強くなった。
微かに震えていると、勘付かれたのだろうか。
朋也は混乱と僅かな恐怖と共に、腕を突き出して拒もうとした。
途端。
「平気だったわけがないッ」
―――悲痛な叫び声。
「平気だったわけがないんだ!お前が、あの時、誰より一番ッ」
締め付ける腕が痛い。
指が肌に食い込んでいる。
「菜々子ちゃんが、死んだかもしれないとき!俺は、お前に!」
酷い事を、と、怯えた呟きが小さく漏れた。
陽介は泣いているようだった。
抱きしめられたまま、朋也は呆然と視線を泳がせる。
(何?)
「ゴメンな、朋也ッ」
ごめん、ごめんと、繰り返される言葉。
渇いた喉がゴクリと鳴った。
(陽介、どうして)
今更謝る―――?
「お前があの時、どんな気持ちで俺たちを止めてくれたのか、その後どんな想いでいたのか、俺は何も、何も、考えようとしなかった、また全部お前に押し付けて一人だけ楽になろうとしてたんだ、なのに俺は、そのくせお前に相棒だなんてッ」
言えた義理じゃない。
噛み締めるような一言の後、朋也の肩に熱い雫がぽたぽたと零れ落ちた。
「ゴメン朋也、俺、我侭で、勝手だった」
陽介の想いが伝わってくる。
温もりが―――伝わってくる。
(違う)
胸の内側で淀んでいた想いがゆっくり溶け出していく。
(お前が、皆が、重荷になっていたわけじゃなかった)
ただ振り返らない背中を恨んで、嘆いていたんだ。
希う事を知らないこの唇は、想いを言葉にして紡がない。
それどころか自分すら欺こうとする。
(けれど何もかも割り切れるわけがない)
陽介はいつ気付いたのだろう。
自分はそれほどまでに露骨な態度を取っていたのか。
不安で、ギュッと背中を握り締めると、顔を上げた陽介が朋也の目を見てほんの僅か困ったように笑った。
「違う、ただ俺は、いつもお前のこと見てたから―――前にそう、言ったろ?」
朋也は思わず俯いてしまった。
何故だか知らないが、顔が熱い。
「様子おかしいのすぐ解ったよ、もっとも、あの日に関しちゃお前がどんな顔してたかすら思い出せないけど―――落ち着いて漸く気付けたんだ、そんで自分のことメチャクチャ殴り倒してやりたくなった」
俺、勘違いしていたんだ。
陽介の声はどこまでも優しい。
「俺とお前は同じじゃない、似てる所もあるけど、想いは全くの別モンだ、だから、俺はお前に謝らなくちゃいけない」
「なに、を」
「―――無茶言って、突っ走ろうとして、お前を散々傷つけた」
そっと腕を引かれる。
「だから、ゴメン、朋也」
胸元に包み込むように抱きしめられた。
「謝るから―――頼むから、そんな目で俺を見ないで」
陽介の指先も微かに震えているようだった。
朋也は陽介の制服を握り締める。
布越しに心地いい温度とリズムが伝わってくる。
目から何かボロリと零れて、何度か瞬きをしてから、ようやくそれが涙と気付いた。
(何、が)
途端堰を切ったようにあふれ出してくる。
後から後から、込み上げてきて止まらない。
胸の奥に芽生えた熱い何かの所為でどうしようもなくなって、遂に朋也は涙と共に募りきった想いを吐き出していた。
「俺はッ」
本当は、辛くて―――
「憎い、気持ちが、抑え切れなくて、けどあの時、お前の言葉はどうしても受け入れられなかったからッ」
(代わりに疑おうとしたんだ)
「なのに、全部、全部俺に押し付けて、すっかり忘れたような顔してるお前たちが、お前が、どうしても納得できなくて」
悔しかったのだと、今更気がついた。
誰より深い傷を負ったはずの自分が何故お前達の心の轍を摘み取らなくちゃならないんだ。
本当に癒されるべきは違う筈だろう。
(お前達は―――お前は、身勝手な思い込みに俺を巻き込もうとして)
わかっていない、わかろうともしない。
(なんて独善的なんだ)
朋也にも問題はあった。
しかし歪みは生まれてしまった。
ジワジワと心を蝕み、いずれ、もしかしたら全てを否定していたかもしれなかった。
(そうなる前に気付いてくれたんだな)
―――陽介だけが、自分ですら見えなかった俺の真実に辿り着いてくれた。
「苦しかったッ」
陽介。
「辛かったんだ、陽介ッ」
ごめん。
身勝手なのは、俺も同じだ。
「陽介!」
強く、強く抱きしめられた。
体を起こした陽介は、朋也に唇を重ね合わせてきた。
時間も、場所も構わない、熱烈なキス。
貪るように奪われた後で、顔を上げて、クシャクシャの笑顔が微笑みかけてきた。
「―――アリガトな、朋也」
まるで宝物を扱うように、そっと髪を撫でられる。
「お前の気持ち、聞かせてくれて、俺を拒まないでいてくれて」
本当言うとさ、もうダメかもしれないって思ってたんだ。
苦笑いの陽介は、まだ僅かに残る不安の影を吹き飛ばすような眼差しを朋也に向ける。
「お前にあれだけの事をしておいて、今更、どの面下げて恋人だ、相棒だなんて言わせて貰えるんだって、すっげえ不安だった、お前が止めてくれなかったら取り返しのつかないことするところだったのに―――俺は、酷い言葉で罵ったりして」
―――それは確かに傷ついたけれど。
(でも俺は、お前に共感してもらえなかった事に一番腹を立てたんだ、多分)
俺達は確かに似ているのかもしれない。
朋也は鳶色の瞳をじっと見詰め返す。
「朋也」
俺、頑張るからさ―――
「だからお前も、もっと伝えてよ」
「うん」
「お前が辛い時、苦しい時、傍で支えてやりたいんだ、お前がいつも俺にしてくれるみたいに、そんで間違えそうになったら叱って欲しい、あの時みたいに何度でも」
「ああ」
陽介の頬にうっすら朱が差した。
「あのさ、朋也、そうやって素直なの、ちょっと―――いや、かなり、可愛いな」
咄嗟に朋也も再び頬が熱を帯びていくのを感じる。
「おッ」
すかさず嬉しそうな表情が覗き込んできた。
「顔赤い、もしかして照れた?」
「違う」
「いやー、ヤバイわ、お前ホント可愛いんだけどっ」
「馬鹿、見るな」
「へへ、今更だろ?散々拝ませてもらっちゃったもんね、キレイな泣き顔、超レア!」
「黙れッ」
―――お前だってさっきまで泣いていたくせに。
陽介の鼻の頭や目の縁もまだ少し赤い。
それでも朋也の水っぽい顔を手で拭いて、その手をズボンに擦りつけながら空いている方の手で髪を撫でてくるものだから、すっかり参ってしまった。
(お前は俺の母親か)
今の姿はまるで格好つかないけれど、気分は悪くない。
こめかみや頬にキスを繰り返されるままになっていた朋也の携帯が鳴った。
メールの着信を調べる傍らで陽介がタイミング悪すぎと口を尖らせている。
「直斗からだ、早く行こうって」
「あいっつ、本気で空気読めないよなあ」
「そういう言い方するなよ、それに、携帯越しで空気も何もあったもんじゃないだろう、メールだぞ」
「でも俺はもうちょっと朋也とチュッチュしたかったの!」
直後に容赦ない一撃が陽介の脳天を直撃していた。
痛いと叫んで仰け反った拍子にジュースのパックが落ちた。
朋也のジュースも知らぬ間にコンクリートの上に墜落していたようだった。
「勿体無い」
「うう、俺よりジュースかよ」
恨み節に思わず笑ってしまう。
ようやく―――暫くぶりに、ちゃんと笑えたような気がする。
「さて」
立ち上がり、拾い上げたジュースをビニール袋に戻してから、手を差し伸べた。
「行こうか、相棒」
顔を上げた陽介がニッと笑い返してくる。
「おう」
伸ばされた手を取って、互いにしっかりと結び合う。
繋がった部分から温もりが通う。
引き起こすと、そのままの勢いで陽介は朋也の腰に腕を回して唇を重ね合わせてきた。
直後に朋也から睨み付けられて、どうせ見えないよ、と、苦笑いが返ってくる。
「こんな時でもないと学校でキスさせてくれねーだろ?」
「どんな時でも駄目だ」
「つれないなホンット、けどもう2回もしちゃったし、口以外ならもっと沢山」
「黙れ、さっさと行くぞ」
「はいはい」
スルリと腰から腕が離れる。
けれど繋ぎあった指は解けない。
屋上を出るまで、と呟いた朋也の声に、陽介はウィンクしながら了解と答えた。
「なあ、ところでさ、今日こそお前の家に泊まりに行きたいんだけど」
「そういえば前にそんな話をしたな」
「寂しんだろ?」
「慰めてくれるのか?」
「勿論、一晩かけてタップリ」
「―――明日登校できる程度にはセーブして欲しい」
極力善処いたしましょう。
また引き寄せられて、今度は頬にキス。
苦笑いの朋也に寄り添うようにして陽介も歩き出す。
2人でいればどんな困難も乗り越えていけるだろう。
(俺の暗闇は、いつだってお前に吹き飛ばして欲しい)
お前の巻き起こす温かな風で今日みたいに何度でも―――お前が俺に期待してくれているように、俺もお前に期待しているんだ。
(だから信じよう、絆を)
キュッと力を込めれば同じ様に握り返してくれる。
闇から見詰めていた眼差し、それは多分真実を見抜こうとする俺達2人の瞳。
「俺達はずっと一緒だからな」
「解っているよ、相棒」
屋上の扉を抜けた後も、繋ぎあっていた手に温もりが残り続けた。
余談:
一週目、これの元になった選択肢のところで『今回選ばなかったらきっと二度とやらないに違いない(自分の性格的に)』と思って選んだメッチーダンクin theティーヴィー!
3月のお別れまでちゃんと見送りましたがセーブはしませんでした。
その後彼らは二度と会わなかった―――程度しか考えて無かったんですが、世間様はもっと過激な様子ですね!?
そういう背景を元に、拙宅は例のアレを悪夢として取り扱っております。
何度季節を巡っても、同じ場面で同じ情景が甦ってきて、結果選択肢を間違えないトモ君。
けれどヨースケには毎回イライラさせられてます、こればっかりは仕方ない。