バスを降りた途端、吹きぬけた秋風にブルリと体を震わせる。

舞い上がり、落ちてきた前髪が視界を覆い隠し、けれどそれを払いのける事すら億劫で、疲れた顔の陽介は、同じく疲労感を滲ませている相棒を振り返り見た。

「じゃ、俺、ここで」

黙って頷き返した傍らには菜々子がキョトンとしながら二人を交互に見上げている。

「クマもここでクマぁ」

人型のクマがナップザックを背負った姿で項垂れながら手を振り、やはりションボリした完二が「ウス」と頭を下げた。

「んじゃねー」

「先輩、またね」

「失礼します」

「チエちゃん、りせちゃん、直斗くん、またね、バイバイ!」

男子勢と対照的に女子たちは天城屋旅館での一夜を満喫して艶々している。

軽やかな足取りを若干恨めしげに見送りつつ、完二と、菜々子を連れた相棒も各々帰路を辿り始めた。

陽介もクマを引き連れ、重い足取りで一歩踏み出す。

現在午前八時。

朝の清浄な真っ白い日差しが目に痛い―――

 

どうにか家まで辿り付いて、部屋に入り荷物を放り出したところまでは覚えている。

ベッドに倒れこむ瞬間、視界の端に見えたカレンダーの日付は10月31日だった。

(それで)

陽介は八十神高校の屋上にいた。

風は冷たく、空は高い。

季節はもうすっかり秋だ。

ふと視線を向けると、少し離れた場所に朋也が立っていた。

(黒沢)

朋也は空を見上げていた。

凛とした横顔、スッと伸びた背筋。

背が高く、手足の長い姿は、多少日本人の規格から外れているように思う。

八十神高校の黒い学生服がよく似合っていて、少し銀色がかった黒い髪を風にそよがせる姿は優美だ。

日焼けをしない肌色は男にしては白く、けれどがっしりとした体躯の所為で少しも貧弱に見えない。

寧ろ美術室にある石膏像のようだ。

彫りの深い整った顔立ちもそう思わせる一因なのだろう。

「黒沢」

暫くぼんやり見惚れていた陽介は、漸く声に出して呼びかけた。

振り返った朋也は、静かな眼差しで陽介を見詰めていた。

(やっぱ、綺麗だ)

男にしておくには惜しい。

(って、それはちょっと違うか?)

多分色々な感情が混ざっているのだろう、朋也は、男としての魅力も申し分ないのだから。

「花村」

柔らかい低音の声は耳に心地よく、名前を呼ばれただけで、何故か嬉しい気持ちが込み上げてきてしまう。

朋也は多少神妙な面持ちをしているように見えた。

強い風がザアッと吹き抜け、陽介の視界は一瞬途切れた。

 

「花村」

 

風が止み、再び開けた景色の、同じ場所に朋也は立っている。

澄んだ青空との対比。

肌寒い気配に、ほんの僅か、身を凝らせる。

 

「聞いて欲しい事があるんだ」

「何だよ、改まって」

「俺は、実は―――ヴァンパイアなんだ」

 

ヴァンパイア。

耳慣れない言葉にキョトンとする。

(ヴァンパイアって何だっけ?)

朋也が口を開いて、口角を指で少しだけ広げて見せた。

ちらりと覗く鋭い犬歯。

(ああ、そうか)

ヴァンパイアって、吸血鬼の事だ―――

 

「って、ヴァンパイア!?」

 

大声が屋上一杯に響き渡る。

朋也は口から指を抜き出し、うん、と頷いた。

その目は笑っていなかったし、相変わらず真剣そのもので、強張っている感すら滲ませている。

(って、何?何!?ヴァンパイア?ちょっと待って!)

いきなりの現実味を綺麗にホームランさせた告白。

あまりに飛距離が伸びすぎて、咄嗟の判断をためらわざるを得ない。

軽く場外までかっ飛ばされた気分だ。

どこまで本気?とか、そもそも本当?など、あらゆる疑念が頭で渦を巻き、ポカンとする陽介を、朋也はただ静かに見詰めている。

「―――急に、こんな話されて、驚いたと思う」

そりゃ驚きましたよ。

(っていうか、ホントにホント?え、なにこれ、新手の冗談?笑うべきトコなんか?)

「でも、今話しておかないといけなかったから」

何で?

「俺―――戻る予定が少し早まったんだ」

 

「えッ」

 

今度は口を半開きにして、陽介は朋也を凝視していた。

(え、今、何て?)

朋也は僅かに眉間を寄せると、唇をキュッと噛み締め、横を向いてしまう。

そのまま空を見上げて、何か耐えるような表情を浮かべていた。

「も、戻るって、お前が元いた所にか?」

うん、と声が返ってくる。

「そ、それって、都会にってことだよな?」

「いや―――この際だから言っておくけれど、俺は都会から来たわけじゃない」

「は?」

「確かに前住んでいた場所は開けていたけれど、そうじゃないんだ、俺の父親はヴァンパイアで、母さんはその眷属、俺達は、人知の及ばない遠い場所で普段暮らしている」

いきなりのトンデモ設定に陽介は突っ込みどころを見出せない。

(お、親父さんがヴァンパイアで、お袋さんもヴァンパイア、人知の及ばない遠いところって)

「俺は、その、俺たちが元々暮らしていた場所に戻らなくちゃならなくなった」

「って、何で?」

「成人の儀式をするために」

ふと、空を見上げていた横顔が、視線を陽介に戻した。

両目の色を見て陽介は一瞬声を失う。

(赤、い)

銀の髪に赤い双眸、白磁の様な肌のヴァンパイアは、漆黒の学生服をまとって立っていた。

(嘘だろ)

冷たい風に、体が震えた。

「―――俺が、ここで何の成果も上げられない様子だからって、一昨日通知が来たんだ」

「成果?」

「まだ、誰の血も吸っていない、って」

そうなのか?

陽介は瞳を繰り返し瞬く。

確かに、吸血鬼は人間の血を啜る怪物だ。

(でも、まだ血を吸ってないって)

―――そういえば、同性の友達とは到底しないだろう行為に及んでいる最中、噛み付かれた事はなかった。

頬が少し火照る。

朋也は沈んだ表情のまま、ため息混じりに再び視線を陽介から逸らした。

「俺は、この場所へは、本当は試験を受けに来たんだ」

「試験?」

「一人前のヴァンパイアになる試験、一年の間に眷属を作り、力を示す事」

そうなのか?

問われて朋也はうんと頷き返した。

「叔父さんも知らない事だ、俺達は、そのつもりで血を吸った相手を自分と同じ眷属、つまりヴァンパイアにすることが出来る、一人前と認められるためには、誰か一人、血を吸い、吸われる相手を作らないといけない」

「吸い、吸われる?」

「いつでも人を襲えると限らないから」

苦笑いの横顔を見て、陽介は少しだけ背筋が寒くなる。

「それに、眷属の血を定期的に吸わないと力が安定しないんだ、理性を失って暴走してしまう、そのためにも、ヴァンパイアにとって最初の眷属は特別な意味を持つ」

「特別、って」

「生涯の伴侶―――それも、半永久的に尽きない命の、永い時間を共に過ごすパートナー」

今度は別の意味でゾクリとした。

黒沢朋也の、永遠のパートナー

(それを、こいつは稲羽で作るつもりだったのか)

鼓動がドクドクと早くなっていく。

胸が熱い。

―――朋也は再び溜息を漏らす。

「俺が最初に血を吸った相手は、俺にとって特別で、吸われた相手にとっても俺は唯一無二の存在になる、だから誰でもいいってわけじゃない、その相手を、俺はこの地に求めやってきた」

でも、と声がかすれた。

「タイムリミットみたいだ」

「えッ」

「ここに来るべきじゃなかった」

風が吹き抜ける。

乱れる髪を抑えて、陽介は懸命に朋也の姿を見つめる。

佇む朋也は綺麗だった。

けれど、あまりに整い過ぎて、まるで現実味が感じられなかった。

(そんな)

なんでだよ、と、呟く声は風に流されてしまう。

「何でだよ!」

渦を巻く風の向こうで、朋也は寂しげな瞳を陽介に向けていた。

「お前に出会わなければ、こんなに悩む事も、迷う事もなかった」

「何、言って」

「俺には眷属は作れない―――だから、明日、元いた場所に戻る」

「ンな!」

「大丈夫、すぐ戻ってくるよ、眷属さえ作れば俺は自由だから」

乱れる髪の合間から見詰める姿の、薄い唇に悲しい笑みが浮かんでいた。

「元の場所で俺のために選ばれた相手の血を吸って、眷族にしてくるんだ、まだ顔も見たことないし、話したこともない知らない相手だけど、俺の最良の伴侶となるだろうと厳選された人らしいから」

何も、心配いらないよ。

「まだ稲羽の事件は解決していないみたいだし、一週間くらい留守にするけど、伴侶さえ出来ればすぐに」

 

「んなの、ダメだッ」

 

陽介は絶叫していた。

腹の奥底から吐き出すような声で叫んだ。

いつの間にか風は止み、朋也は驚いた表情のまま固まっている。

(ダメだ、そんなの)

どこの誰とも知らない相手に、朋也の伴侶を名乗らせるなんて。

(納得行かない、そんなもん、素直に認められるかッ)

沸々と沸き起こってくる感情のままに噛み付いた。

ヴァンパイアだの、眷族だの、そんな話の真贋はもうどうでもいい。

(お前の隣を、手放すもんかッ)

「何だよそれ、そんな話、はいそうですかって納得できるかよ!」

「でも、花村」

「でももけどもねーよ、そんな馬鹿な話があるか、最良の伴侶となるよう厳選された?ふざっけんな!」

「決められた事なんだ」

「んなの知るか、お前人の決め事素直に受けるタマじゃなかったろ!」

「今回ばかりはそういうわけにいかない、俺は」

「だから、知るかって言ってんだよ!」

「困らせないでくれ、頼むから」

「なら俺の血を吸えばいいだろ!」

 

真紅の双眸が陽介を凝視する。

 

「―――俺の血を吸えよ」

もう一度、睨みつけるようにして繰り返した。

言いながら陽介は学ランの襟元をはだける。

シャツの首周りを引っ張って、首筋を覗かせると、朋也は僅かに後退りをした。

「花村、お前」

「吸えよ」

「何言ってるのか、わかってるのか?」

「当たり前だろ」

「眷族になるっていうのか?」

「そうだ」

「―――そんな」

項垂れて、深い溜息を漏らしている。

ためらうようなそぶりの朋也を、陽介はじっと見詰めている。

「―――わかっているのか?」

「何が」

「俺の眷族になるっていう事は、ヴァンパイアになるっていう事だ」

「ああ」

「ヴァンパイアになったら、定期的に血を吸わなきゃいけない」

「お前の血を、だろ?」

「普通の人間だって襲うよ、それに、神聖な場所に立ち入れなくなる」

「元々興味ねえよ、必要なら人だって襲うさ」

「―――死ねない体になるんだぞ」

「お前とずっと一緒にいられるなら、それでも構わない」

花村。

呼びかけた後、朋也は、何とも言えない表情で黙り込み、暫く瞳を閉じた後、噛み締めるように首を一振りした。

「―――本当に、いいのか?」

まだ迷っている声。

多分、自分の領域に陽介を引き込む事で、苦しませたり傷つけたりする事を恐れているのだろう。

陽介は一歩踏み出した。

朋也の傍へ歩み寄り、そんな顔をする必要は全然ないんだと微笑んで見せた。

(お前は間違ってるよ、黒沢)

多分、傷ついたり苦しんだりするのは、自分じゃない。

(お前に血を吸わせる事で、俺がお前を独占しようとしてるんだ)

誰にも渡さない、どこへも逃がさない、永遠の契約を刻みつけようとしている。

そしてそれを、自分の手ではなく、朋也によって誓わせようとしている。

陽介は片手を伸ばし、朋也の腕に触れた。

ビクリとしてこちらを見詰めた紅い瞳に、もう片方の手で再び首筋を晒して見せた。

「ホラ―――吸えよ」

俺をお前の眷属にしてくれよ。

「お前だって、俺と離れたくないだろ?」

朋也の目がスウと細められる。

伸びてきた手が手の甲に重ねられて、朋也の吐息が首筋に吹きかかった。

(ああ)

これで―――

 

(お前のこと、ずっと独り占めに出来るんだな―――)

 

 

「んにゃ?」

ぱちりと目を開いた。

パチパチと瞬いて、口の端から垂れた涎をズッと啜って顔を上げた。

ぼんやりしたまま見渡した部屋は薄暗い。

もぞもぞとベッドから降りてカーテンを開くと、正午の光が差し込んできた。

「うあ」

眩しい。

よろよろと辺りを見回す。

投げ出された鞄、ボタンとチャックだけ解かれてずり落ちたズボン、よれたシャツに、ボサボサの頭。

「―――ああ、そっか」

俺、寝てたんだ。

漸く理解すると同時に深く深く息を吐く。

そのまま額に掌を押し当て、前髪をクシャリと持ち上げた。

(何っつー夢見てんだ、俺は)

チャックの内側から覗く部分がすっかり元気になっていて更に鬱だ。

再びベッドに腰を下ろして、弾みで擦れた内側にイテテと声を漏らしながら脱げかけているズボンを膝までひき下ろす。

(何であんな夢見ちゃったんだろうなー)

ふと、顔を上げ、カレンダーの日付を見て納得した。

(ああ、そっか)

今日は10月31日。

英語圏では一般的に、ハロウィンというお祭りの行われる日だ。

日本も真似てカボチャに魔女に黒猫と大騒ぎをする。

(ジュネスでもハロウィン撮影コーナーとか、微妙に展開してたな、そういえば)

ため息混じりに下肢の熱を手早く収めて、ズボンを穿き直し、よし、と小さく呟いた。

「折角のイベントだし、アイツ誘って菜々子ちゃん喜ばせるか!」

散々だった昨日の憂さ晴らしもかねて。

携帯電話に手を伸ばし、番号を呼び出して耳元にあてた。

(黒沢)

―――アイツがもし、本当にヴァンパイアだったら。

(ちょっと良かったかも、なんてな)

明日からは11月。

残り半年切ってしまった―――普段忘れていても、時折、こうしてふと思い出してしまう。

朋也が稲羽を発つまでに、忘れられない思い出を沢山作ろう。

コール音が切れ、聞えてきた柔らかな声に、陽介は笑顔で今日の計画を切り出したのだった。

 

 

ハッピーハロウィーン♪

ムチャ振りは夢ッつー事でご勘弁ください。