「Shall we dance? 2」
くんくん、なんだかいい匂い。
フラフラと入り込んだのは厨房、そこに、見知った背中を見つけて豊は青ざめていた。
「あ、豊さん!」
くるりんと振り返った誠はフリルのたっぷりついたエプロンに身を包んでいた。
世にも恐ろしい光景に、及び腰になって立ち去ろうとする豊の手をすかさず誠が捕まえる。
「は、放せ!」
「秋津さんのほうから来てくださるなんて、感激だなあ」
「ば、バカ、違う」
豊は逃れようと腕を振るけれど、見た目以上に握力の強かった誠の指はそんなことで離れてはくれない。
逆に、ぐいと引き寄せられて、腕の中に抱き込まれてしまった。
「豊さん、相変わらずいい匂いがします・・・」
うっとり囁いた指先が、背筋をそーっと撫で上げた。
豊は恐怖で全身がゾクゾクとあわ立つ。
「は、放せ!この、変態!」
「はは、ひどいなあ」
笑う誠の、目だけ笑っていなかった。
「豊さんは、ケーキを食べたくないんですか?」
「は?」
ケーキ?
きょとんとしていると、誠がニコニコしながら台所を指差す。
そこにある、スポンジと、滑らかな生クリーム、真っ赤なイチゴ、デコレーション用のチョコレート。
「あ、これか!」
匂いの原因がわかって納得すると、隙をついて誠が首筋に吸い付いてきた。
「ややや、やめろ!」
「豊さんのここは、生クリームより甘いですね」
「バカッ」
ゴチンと殴って豊は叫んでいた。
「いい加減放せ、この、変態―!」
「那須乃さんに頼まれまして」
鬼滅連刃を喰らった誠は多少ボロボロになりつつ、にこやかに説明する。
「ケーキが食べたいと、それで、僕が作っています」
さも当然の事のようにいうので力が抜けてしまった。
相変わらず情けない子分同士、本当にこの状況はなにかのコントか漫才のように思えてならない。
「若林ってケーキとか作れたのか?」
「はあ、まあ、そこそこ、もっぱら本を読みながら、ですが」
まあそんなところだろうと豊は納得していた。
最近は料理のできる男がもてるそうだが、若林はそれを武器にしたりするタイプじゃないだろう。
(それにもっぱら、こいつの興味は俺みたいだし)
考えて鳥肌が立った。
現状においてそれは真実かもしれないけれど、そんなこと死んだって納得したくない。
納得してしまったら、何をされるかわかったものじゃない。
「どうしました、豊さん」
考え込んだ豊を誠が覗き込んできた。
奇声を上げて飛びのくと、くつくつと含みのある笑いを返される。
「いやだなあ、そんなに心配しなくても、今はまだ何もしませんよ」
今は、まだ。
胸の中で復唱して目眩がした。なら、後で何かするつもりなのか。
「それよりケーキです」
誠がパンパンと手を叩いて、豊の意識はそちらに向けられた。
「これからデコレーションして、完成なんですよ」
あらためて見るとフカフカのスポンジもクリームも凄くおいしそうだ。
知らず、もの欲しそうな顔になっていたのか、誠がまたくすっと笑った。
「一緒に作りませんか、少しくらいなら味見してもいいですよ」
「ほ、本当に?」
くるりと見ると誠はまた笑う。
ケーキに目のくらんだ豊には、今度はそれほど気にならなかった。
「それじゃあ始めましょうか、秋津さん、まず手を洗ってきてください」
「ああ!」
喜び勇んで手を洗い、いわれるままにボールを手に取ってヘラを渡す。
「では、まず表面に僕が塗っていきます、豊さんはその後で上にクリームを乗せていってください」
「合点承知」
誠は手馴れた様子で、ヘラの上にクリームをとってスポンジのうえに塗り重ねていった。
間にもうフルーツは挟まれていて、それごと、茶色や赤の表面が真っ白なクリームで埋められていく。
それはとても魅力的な光景だった。
「美味そうだなあ」
しみじみ呟くと、誠はヘラの縁についたクリームを指先ですくい取った。
「舐めてみます?」
差し出されて、豊は何の気もなしにぱくりと口にくわえる。
「美味しいでしょう」
そのままうん、と答えると、誠は恍惚の表情を浮かべていた。
「可愛らしいですね、豊さん」
豊ははっと我に返る。
慌てて口を開けると、のあーっと叫んで後ろに飛びのく。
「おおお、お前、図ったな?!」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい、豊さんがご自分から舐めたんじゃないですか」
「うう」
「クリーム、美味しかったでしょう?」
「それは、そうだけど」
フフ、と笑って誠はその指をぺろりと舐めた。
鳥肌を立てる豊を気にせず、うん、と満足げに頷いている。
「本当だ、美味しい」
「やめろ、バカッ」
殴りかかろうとして、うっかりお留守になっていた豊の手元からボールが吹っ飛んだ。
「あっ」
「ああっ」
誠が叫んだ時には、もう後の祭り。
勢いよく宙に跳ね上がったボールは、そのまま逆さまになってスポッと上手に豊の頭に帽子のように覆いかぶさった。
間から無情にもダラダラとクリームが流れ落ちる。
「あーあーあー・・・」
そのまま硬直する豊を、誠もなんともいえない表情で見詰めている。
そこらじゅうに濃厚な甘い香りが充満していた。
恐る恐る近づいた誠がボールを取ると、べちょりとなんとも不快な音を立ててクリームまみれの豊の頭が現れた。
髪から、顔から、肩から、そこいらじゅうベタベタになって、豊はションボリと俯いていた。
「ゆ、豊さん」
「若林・・・お前、何か俺に言うことは?」
「え?」
「何か言う事あるだろ、こんなことになった」
ええと、この場合は逆恨みとか言うんじゃないのかな?
下手に指摘して彼が暴れだしても困るので、誠は諦めておとなしく頭を下げた。
「すいません」
「お前が変な事しなけりゃ、こんなことにならなかったんだぞ・・・」
「ええと、その」
「生クリームがそこらじゅうに」
あーあと呟いて、口のそばについたクリームを舌でぺろりと舐める。
豊の仕草が可愛らしくて、一瞬見とれてから誠は慌てて布巾で彼の制服や髪の毛を拭き取り始めた。
「制服はクリーニングですね」
「料金はお前が払えよ」
「はいはい、ああ、こんなところにも」
つめえりと首筋の隙間に零れ落ちたクリームを拭おうとして、誠ははたと動きを止めた。
魅力的なその光景に、自然と顔が寄っていく。
「っえ?」
慌てて逃げようとした豊の両腕を背中越しに捕まえて、誠の舌がこぼれたクリームを取るついでにうなじや耳の側をぺろりと舐める。
「ば、バカ、お前、何してるんだ!」
「クリームを取っているんです」
「もっと普通にしろよ!」
「この方が効率的だと思いませんか?」
何の効率だ、何の!
怒鳴りながら振りほどこうとしても、やはり誠は想像以上に力が強い。
じたばたする豊を押さえ込んで、頬や、こめかみについたクリームをペロリ、ペロリと必要以上に丁寧に舐め続けている。
「やめろ、放せ、この変態、やっぱりお前ってかなり変だ!」
「そんなことないですよ、誰にでもこんなことするわけじゃなし」
「どうして俺にはするんだよ?!」
「そんなもの」
さも当然といった口調で、誠が耳元でクスリと笑った。
「好きだからに決まってるでしょう?」
「イヤだー!」
半ば飛び出すように誠の拘束から逃れて、振り返った豊はその手から布巾をひったくった。
「も、もういい、自分で拭く!」
「僕も手伝いますよ?」
「いい、いらないっ」
首をぶるぶる振ると、はねとんだクリームが誠に降りかかった。
あちこちにくっついたクリームをあーあといいながら指ではじいている姿を見ても、豊には謝る気などさらさら起こらない。むしろ当然の報いだとすら思っていた。
「・・・寮に、帰る」
「大丈夫ですか?」
「どうしようもない、それに、早く着替えたい、シャワーだって浴びたいし」
「手伝いましょうか?」
豊はギッと誠を睨みつける。
「何の手伝いだ、なんの!」
そのまま両肩を怒らせて、調理室から大股に出て行ってしまった。
一人、取り残された誠は改めて制服についたクリームを見てあーあと声を洩らしていた。
「二人分、クリーニング代かぁ、しかもクリームはなくなっちゃったし」
ケーキの表面に塗る分は大方終わっているから、後はフルーツとチョコレートで何とかなるだろう。
少し・・・ボリュームに欠けてしまうのは、手の打ちようがないけれど。
(那須乃さん、機嫌悪くなるだろうなあ)
それを考えると胃痛が起こりそうだったが、今日はそれ以上の役得があった。
誠の頬は自然と緩んでしまう。
「豊さん、可愛らしかったなあ」
思い出すだけで胸がいっぱいだった。
那須乃に怒られる事など些細な事だ、それ以上に、飛び切りいい思いを堪能できた。
「ケーキより、ずっと美味しかったし」
さてと、とエプロンで手を拭いて、誠はまた調理台に向き直った。
「続きをさっさと済ませますか」
とりあえずこれを片付けて、那須乃にしこたま怒られたらそのまま豊の様子を伺いにいこう。
制服をクリーニングに出しに行ってあげないといけないし、やっぱりちょっと、本当に心配だから。
単純に会いたいというのもあるのだけど。
鼻歌交じりにケーキにトッピングを施していく誠は、あたりの惨状に対比してやけに楽しげだった。
生クリームの甘い匂いが、まだ部屋中に漂っていた。
(了)