「Shall we dance? 3」
「まこりんと」
「は?」
部屋で雑誌を読んでいた豊は顔を上げる。
扉はノックもなく開かれて、そこには誠が立っていた。
「まこりんと、呼んではいただけないでしょうか?」
「なに言ってんだ、お前」
要領を得ない突然の申し出に、当然といえば当然だが豊はかなり面食らっていた。
いきなり現れたと思ったら、この男は一体何を言い出すのか。
「豊さん、まこりんと」
「嫌だよ」
豊は何事もなかったかのように雑誌の誌面に視線を戻した。
今月号の特集は各地の花火大会の様子で、郷の外に出られない身分にとってはたいそう面白く、また興味深い内容でもあった。
江戸川、隅田川の花火大会。
アミューズメントパークで上がる花火。
日本一大きな花火は三段階に色が変わるらしい。ナイアガラ、四段重ねの菊模様。
「恋人同士で見に行きたい花火」
はっと顔を上げると、いつのまにか隣で誠が正座して記事を覗き込んでいた。
振り返った豊にニッコリと微笑みかける。
「僕と二人ですか?」
「ふざけるな、俺はそういう冗談が一番嫌いだ」
プイとそっぽを向くと、耳障りな忍び笑いが後を追う。
蛍雪寮は天照館学院の男子寮だ。
良家の子息や何か事情のある者以外、同校に通う男子学生は皆入寮させられる。
それはそれでかまわないのだけど、誠と部屋の近い豊は大変迷惑していた。
理由は見ての通り。聞いての通りである。
「ねえ、豊さん」
「なんだよ」
「そろそろ僕らも付き合いだして半年になります」
「なんだ、それ」
「もういいんじゃないんですか?」
「何が」
「お互い、あだ名で呼び合う関係になりましょう」
豊は小さく溜息を吐いた。
こいつの病気は最近始まったことだけれど、それにつけても毎度のことながらうんざりする。
大体、友達同士で付き合いだしてなんていわないだろ、普通。
考えている事がバレバレで、それが余計に腹立たしい。
無視すると、誠がねえと言った。
「聞いてますか?」
豊はページをめくる。
「ゆかりん」
そのまま、勢いよく立ち上がって誠を睨みつけた。豊の顔は真っ赤だった。
「だだだ、誰がゆかりんだ!何だそのあだ名、気持ち悪い!」
「だって、ゆたかの間のたを取ったらゆかじゃないですか」
平然としているその顔を、思い切り殴りつけてやりたい。いや、殴らせてくれ。
握り拳がわなわな震える。
「俺は女じゃないぞ!」
「知ってます」
「ゆかってなんだよ、それじゃ女みたいじゃないか!」
「ええ、そうですね」
「そうですねってお前」
誠は、罪悪感の欠片もない天使の微笑で豊に囁いた。
「可愛いじゃないですか、ゆかりん」
次の瞬間、豊は間髪入れず誠を殴り飛ばしていた。拳は腹に決まっていた。
吹っ飛ばされた体が半開きだったドアの外に飛び出していく。
その勢いのまま駆け寄って、ノブを引きドアを閉めて鍵をかけた。
更に全身で扉に寄りかかって重石になる。
絶対、絶対、あのバカを再入場させてなるものか。
「ゆ、豊さん!豊さん!」
誠はすぐに復活したようだった。
敵ながら天晴れ、いや、呆れる。
この気合と根性が発揮されるのが自分に関してのみという事実が更に虚しい。
「うるさい、帰れ!」
大慌てでドアを叩く音に、負けないくらい大声で豊は怒鳴りつけた。
「お前みたいな変態、二度と来るな!」
「豊さん、どうしてですか、僕何かしましたか?」
「何かだと、何かだと?!」
ふーざーけーるーなーと、怪談話の幽霊よろしく呪いの篭った呻き声で答える。
「お前みたいなのに絡まれて、俺は迷惑だ、災難だ、いいから消えろ、目障りだ!」
「そんな」
誠の声が急に小さくなった。
どうやら、少し気にしたようだった。
「ひどい、ひどいですよ、豊さん」
ドアを叩く音がぴたりと止む。
そして、よく聞けばくすん、すんと鼻をすするような音が聞こえてきた。
豊はぎょっとしてドアに耳を押し付けた。
もしかしたら言い過ぎたかもしれないという不安が脳裏をよぎる。
この、受難続きの少年は、根っこの部分がお人よしにできているから、ほんの数分前の出来事よりも、今の誠を少しだけ心配してしまっている。
「あ、あーその」
「いくら恥ずかしいからって、それじゃあんまり」
「恥ずかしいんじゃない、嫌なんだ」
豊は言葉尻を遮ってきっぱり言い捨てた。
案の定、全然懲りてない。
心配した自分に腹立たしくすらある。
こんな奴に同情なんてするものじゃなかった。した俺がバカだった。
「あのな、若林」
「まこりん」
「うるさい、いいか、よく聞け、何度も言うようだけど、俺にはそういう趣味は無いんだ」
「そういう趣味って何ですか?」
「・・・同性愛、つまり、ホモセクシュアルってことだ、そっち方面は断固お断りだ」
「僕だってお断りです」
「ふざけるな、お前は全面的にそっち方面だろうが!」
「ちがいます、僕にはゆかりんだけです!」
胃がキリキリキリと激しく刺すように痛んだ。
今すぐこのドアを殴りつけて表に飛び出してしまいそうな自分を豊は必死で堪えていた。
本当に、いい加減にして欲しい。そもそもどうして俺なんだ。
なんだかだんだん悲しくなってくる。涙が出てきそうだった。
「・・・ゆかりんと、今度呼んだら、絶交だ」
声が震える。
「いいな?」
「ゆかりんがまこりんって呼んでくれるならやめます」
「絶交だ」
「まこりんって呼ぶまで、僕は貴方をゆかりんと呼びますよ」
最悪だ。
胃痛がだんだん激しくなるようだ。
このままじゃ、たとえ若林を無視しつづけたとしても、公衆の面前であの屈辱的なあだ名を何度も何度も繰り返ししつこいくらい叫ばれることになるだろう。
誠は、やるときはやる男だから、それは多分、いや、120パーセント以上の確率で、やる。
間違いなくやる。
絶対やる。
俺はゆかりんなどと呼ばれて、好奇の目にさらされて、結果あらぬ疑いをかけられて、気付いたら誠と付き合ってるなんてことになりかねない。
(それは、それだけは、絶対に、イヤだ!)
豊は世界の中心で叫び出したい気分だった。
男の恋人なんて真っ平だ。
まだ女の子とだってまともに付き合ったこともないのに、初めての交際相手が男だなんて、男としての面目丸つぶれじゃないか。それ以上に虚しすぎる。
そんなのは絶対に許せない!断固お断りだ!
唇を噛み締めて、しばらく思案した。
何とか折り合いを付けるために考え抜いて、提案する。
「一度だけなら」
「はい」
「一度だけなら、呼んでやってもいい」
それが最大限の譲歩だった。これ以上は何がどうあってもまかりならない。
誠も考えているようだった。
ごそごそと音がして、やや間を置いて、判りましたと声がした。
「じゃあ、一度だけでいいです、でもドアを開けて、ちゃんと僕を見て言ってください」
ドアノブに手をかけるともうどうにでもなれといった気分だった。
やけっぱちに開いた先に、神妙な面持ちの誠が立っている。
見つめる視線が暑苦しくて、豊はくじけそうになる自分を励ましながらその目を見た。
そして、言った。
「まこりん」
カチリ。
目の前に突き出された録音機のボタンを押して、誠がニッコリと微笑む。
「ありがとうございました」
豊はしばらく目をぱしぱしさせて、そして形容しがたい言葉で絶叫した。
今、いま、なにがあった?
なにをしてた?
誠は何をしてたんだ?!
「おおおおお、おま、おま、いま、なに、それ」
うまく言葉になってくれない。ショックが大きすぎる。
「録音機ですよ、最近発売されたばかりの最新モデルです」
誠はしれっとこたえた。
「これでいつでも豊さんのまこりん、が聞けますね」
とても嬉しそうだった。
このまま昏倒してしまいそうだ。
ああ、なんてことだ、最悪だ、こんな屈辱信じられない。いや、信じたくない。
俺の、一生一台の恥が、まさに一生モノの恥になってしまった。こんな屈辱耐えられない。
誠は、俺の「まこりん」を繰り返して聞くのか。
聞くつもりだって言うのか?
衝撃の酷さにふらつく豊を、誠が心配げに覗き込んできた。
「ゆかりん、大丈夫?」
瞬間、一気に正気に戻った豊は呪詛のこもった眼差しで誠を射抜く。
「・・・貴様ッ」
「あ、すいません、つい」
誠は緩んだ表情でアハハと笑った。
今ならこいつをためらいなく殺せる、そんな予感が胸をかすめる。
思惑を感じ取ったのかどうか、天照館の魔狼はニコニコしながら一歩後退り、ペコリとお辞儀をした。
「ありがとうございました、豊さん」
「まて」
「じゃ、僕はこれで」
「録音機を寄こせ」
「おやすみなさい」
「寄こせって、言ってるだろ!」
飛び掛った両腕を機敏に避けて、逆に脇から体をさらわれるように抱きしめられた。
豊が体制を整える前に、誠の指先が器用に顎を捉えて引き寄せた。
「ダメですよ」
そして。
そのまま口づけされた。
抵抗するヒマすらなかった。
思うさま感触を押し付けられて、開放されるのと同時に豊はへなへなと地べたに腰を落とした。
動揺しすぎて言葉も出ない。完膚なきまでの敗北だった。
「豊さん、愛してます」
誠はウィンクをして、そのまま颯爽と自室へ戻っていってしまった。
ただ一人取り残された豊はただただ呆然と座り込んでいる。
けれど、だんだんと我に返って、最終的にこんな非常識な時間帯にもかかわらず本日二度目の絶叫が辺りに響き渡ったのだった。
「わ か ば や し ぃ ー!」
蛍雪寮の夜は深けていく。
(了)