「2005年度お誕生日ミッション・豊Ver」
指令内容「薙が泣いて喜ぶようなものを用意しなさい」
「―――無理だよ」
豊はガックリと肩を落とす。
薙が泣いて喜ぶようなもの?
そもそもそんな姿を見る事が叶うんだろうか。あの、無愛想が服を着て歩いているような彼に。
「ありえない」
それくらい、豊にでもすぐわかることだった。
だからもう一度ガクリと肩を落として、ついでに溜息も吐いておいた。
何をどうしたら、とか、どんなものをチョイスすれば、とか、想像するだけ無駄な気がする。
けれど。
(だ―――めだ、俺が頑張らないと!)
だって、薙のためだし。
そんな風に考えて、直後に赤面する。
頭の中で思っただけでも、相当に恥ずかしくてまともじゃいられないような気分だ。
「と、とにかく、何か用意しないと!何にもないんじゃ、それこそどうにもならないよッ」
ぎゅっと手を握り締めて、自分を納得させるように呟いて、豊は外出の支度をした。
今朝からどうにも落ち着かないのは、やっぱりあの話のせいだ。
(間違いない)
歩きながら薙は思う。
こんな感覚は初めてだ。
もっとも、豊を知ってからは頻繁に感じるようになった。なんとも甘くて切ない感情。
少しもどかしくて、堪らなく暖かい、心が広がって何もかも飲み込んでしまいそうなイメージ。
豊のどうでもいいような些細な仕草や、思考の波まで気になってしまう。
そうしてそんな事を思っているとき、自分はどうも普通ではないようなのだ。
あからさまに晒せるほど感情豊かでは無いけれど、他ならぬ自分自身がそう思う。
持て余しつつ、そんな状態すら楽しみつつ、待ち合わせ場所に向かう足取りはやけに急いでいる。
腕時計で確認すると、そろそろ約束の時刻だった。
薙は指定された場所に立ち、予想される出現方角をじっと見詰める。
―――そろそろ来るだろうか。
「薙!」
ひょこっと現れた姿が、大きく手を振った。
「ゴメン、お待たせ!」
「豊」
豊は慌てて駆けて来る。
走る必要など無いのに、と、眺めながら薙は考える。
けれど、悪くない気分だ。
目の前に立った豊は胸を押さえて、僅かに呼吸を整えた。
「お、遅れた?」
「いや、定刻どおりだ」
「良かった」
ニッコリと微笑んで、直後に困ったように眉を寄せる。
豊の表情はコロコロとよく変化する。
「どうした」
「あ、ううん、ええと」
後ろ手に持った何かが、擦れて音を立てた。
紙袋だろうか?
言いよどんでいる様子を見かねて、薙は先に口を開いた。
「僕に、用があるという話だが」
「あ、う、うん!今日って薙の誕生日だろう?」
3月3日。日本ではひな祭りが行われる。この日は確かに記録の上で薙の誕生日だ。
「だからね、その、プレゼントを用意したんだけど」
―――その割には様子がおかしい。
豊の性格なら、赤くなったり慌てたりしながら、実に嬉しそうに贈り物を差し出してくるはずなのだが。
「えーっと、その」
「くれるというなら、受け取るぞ」
まさか、豊からの贈り物を拒むつもりなんて微塵もない。
むしろ手を指し伸ばして欲しいと言いたいくらいだけど、それは何故かためらわれた。
待っている薙に、散々逡巡して、眉をハの字に寄せた豊は背後からおずおずと持っていたものを差し出してきた。
それは、やはり紙袋だった。
「あの、これ」
「ありがとう」
「エッ、あ、その、そういう言葉は中を見てからのほうが」
袋の中に手を差し込む。
固い感触が指先に触れて、取り出してみると―――
(桃の、缶詰?)
入っていたものは、白桃と黄桃の缶詰だった。
どこにでも売っているような、十センチほどの背丈のごく普通の缶詰で、他に缶切りとフォークが一本ずつ一緒に入れられてある。
「あ、あのなッ」
豊があたふたと慌てた声を上げた。
「その、プレゼント、色々考えて、探したんだけど、これっていうものが全然思いつかなくて」
薙は缶詰をじっと見て、それから豊を見る。
「そそ、それで、そういえば今日ってひな祭りだったって思い出してさ、ほら、ひな祭りって言ったら、桃の花だろう?」
「そうなのか?」
「そ、そうなのッ―――て、あいや、ゴメン、でもあの!花じゃやっぱり薙はいらないかなと思って」
「確かに、僕に花を飾るような趣味はないな」
「やっぱり」
「何だ」
何でもないと豊は目の前で両手をブンブンと振った。
「で、な?だったら」
「それでこの缶詰か」
最後まで聞かずに、話の途中でようやく理解した結論を述べる。
「う」
赤く染まった顔が、言いかけていた言葉をグッと飲み込んで、急に申し訳なさそうに下を向いた。
「やっぱり、駄目だよな、誕生日に缶詰なんて、最悪だよな」
薙は豊が泣いているのかと、気が気でなくなった。
困惑気に歪められた表情をちらりと窺って、今度は顔色を暗く染めると、さっきより深く頭を下げられる。
「ご、ゴメン、その、頑張ったんだけど、駄目だったんじゃ、ダメだよな」
「そう、だな」
思わず言葉に詰まる。
「確かに、結果の出ない努力は無意味だ」
「―――だよね」
「だが」
言ってみて、薙は自分が何を言おうとしているのか俄かにわからなくなった。
言葉が勝手に口をついて飛び出してくるようだ。
豊が顔を上げた。
「だが、僕は桃が嫌いでは無い」
「薙?」
「缶詰だけならどうしようもないが、君はちゃんと缶切りもフォークも用意しておいた、その点に関しては十分評価されてしかるべきだろう」
う、と呟いて、豊はまたちょっとだけ表情を曇らせる。
どうもうまく喋れない。
僕は一体何を言いたいんだろう?
「フォークが一つしかないが、それは君が多少の労力を惜しまなければ問題ない」
「えっ」
「君は、桃が嫌いか?」
ううんと豊は首を振る。
薙は―――ようやく、自分が言いたかった言葉を理解した。
「なら、一緒に食べないか?」
「も、桃を?」
「そうだ、僕に食べさせてくれ」
こんな効率性の欠片もない提案をしてしまうような人間だとは思わなかった。
豊といる時の自分は、やはり正常ではない。
豊は一瞬きょとんとして、それから盛大に顔を赤く染めると、口元をキュッと結んで2、3歩後退りをした。
「たたた、食べさせ―――ッて、エエッ」
フォークを差し出しながら、薙は眉を寄せる。
「嫌なのか?」
「そッ、そんなことは!」
ないけれど、と、最初の半分もない声量で続く。
「なら、早速頼もうか」
どこか楽しげな雰囲気が、缶切りを握る指先に無駄な力を込めさせる。
「缶は僕が開けよう、君はそれを使って、僕にちゃんと食べさせてくれ、勿論君も食べるんだ」
「は?え、あ、あの、ええと、ハイ」
「どこか座れる場所は?」
耳まで火照らせながら、豊がスッと指差した。
「上出来だ」
薙はフッと笑う。
その様子を見て、目を丸くして、その場にへたり込みそうになる豊をとっさに捕まえて、引きずるようにして歩き始めた。
「誕生日というのも、なかなか悪くないものだね」
触れる体温は心地よくて、足取りは軽やかだ。
これから行われる事を考えると、ますます心が躍る。
紙袋の中では2個の缶詰がカチンカチンと陽気な音を立てている。
「あの」
「何だ」
「本気なの?」
小さな声に、当然だと答えてまた微笑む。
豊はまた少し腰が砕けたようだった。
努力の結果は、薙が思う分には十分成果を上げていた。
ミッション結果:失敗、が、終わりよければ全て良し(笑)