Endless waltz 10

 

髪についた花びらをつまみあげて、それを風に飛ばす。

春は目前とはいえ随分気の速い桜もあるものだ。根元に腰掛けていた薙は空を見上げた。

透けるような青の中に、ほのかに色づく紅色。

ハラハラと零れ落ちる一片が栗色の髪にまた落ちた。

天照郷から少し離れた場所に立つ、神代の桜は他の桜に先駆けて咲くという。

その話は本当で、豊と連れ立って訪れた先にはまだ枯れ木林のような有体の真ん中に大樹が艶やかな姿を誇示していた。

「俺たちが一番乗りみたいだ」

子供みたいにはしゃいで、嬉しそうに手招きする様子に苦笑が漏れた。

近づいて、幹に触れて、木の鼓動を感じる。

以前は想像もしなかったような感傷めいた気分が、今はこの胸にある。

それはすべて、ここにいる少年がもたらした変化だった。

これまでの個性に乏しい、無色透明な世界に、失ったはずの色彩を再び与えてくれた人。

恩人、とは少し違う。

親友、というのも、そう悪く無いだろう。でも、それよりもっと好ましい呼び名があるはずだ。

ならば。

そこまで考えて、薙は止めにした。

言葉にしてしまうにはあまりに野暮だと考えたからだった。

それは思うだけでここにあるのだから、説明や注釈の類は一つも要らない。

ただ、豊の姿を見るだけでいい。

その瞳を覗き込むだけで、何もかもがはっきりと判る。

薙、薙と、今は二人きりだから、豊は気兼ねなく名前を呼んだ。

他に誰かいると苗字の方で呼ばれるので気を使っているのかと尋ねたら、バカ、恥ずかしいからだよと赤くなって答えていたことを思い出す。

(バカは無いだろう)

そういう反応はまだ少し苦手だ。

でも、それも悪くないとも思える。

桜の根元には背の低い草が生い茂っていたので、根を除けて腰を下ろし、持って来た本を開く。

豊も隣に腰掛けて本を広げながら振り返った。そして笑う。

「花見には少し早いけど、こういうのって結構好きなんだ」

彼が案外読書家であること。趣味が合うなと言うと、そうかと言って嬉しそうだった。

そうして、しばらく本を読んだ。

肩にコツリと何かがぶつかる。

そのままズルズルとずり落ちてくるので何事かと様子を見れば、なんのことはない、豊は居眠りをしていた。

読書家が、聞いて呆れると溜息を吐いて空を見上げる。

まだ少し肌寒いが、うららかな陽気が天空から降り注いでいた。

薙は、少し思案して、体を微妙にずらしながら豊を移動させて上半身をうまく膝の上に乗せた。

そしてそのままではどうにも具合がよろしくないことに気付き、今度は場所をずれて頭だけ乗るように工夫した。

努力の甲斐あって、豊は今薙の膝を枕にして寝ている。

能天気な姿にまた溜息が漏れた。

白くて、稚くて、愛しい寝顔。

生まれて初めて守りたいと思った。後にも先にも、これきりだろう。

どこにも、ここにしか、居場所などない。

僕の居場所は君の隣、背中を預けられるのは君しかいない。

生きるのも死ぬのも、同じがいい。そうでなければ人生の意味すら見失う。

そうして薙は自嘲的に笑った。

僕も随分都合のいい人間になったものだ。

感情をなくしたのでなく、忘れていただけだろう。それならやっぱり豊の言うとおりバカなのかもしれない。

ひらり。

桜が落ちてくる。

華やかなこの色は彼の髪によく似合う。

なら、僕は空の青色に染まろう。

桜の薄紅は、晴天の蒼によく映えるのだから。

花びらをつまみあげて、薙はそっと髪を撫でた。

春の陽を吸い込んで、柔らかな表面はとても暖かかった。

口づけて、背中の幹にもたれて、目を閉じる。

風の匂い、花の匂い、君の感触。気配。

「もう、春、だな」

新しい季節が、雪を割り氷を溶かして、すぐそこまで訪れつつあった。

 

(了)