「Endless waltz 11」
「薙」
当たり前に名前を呼ぶと、薙が隣に腰を下ろした。
豊のお気に入りの場所。天照郷が一望できる、藍碧台の上で。
そよそよ吹く風が髪を揺らして、それだけでなんだかちょっと嬉しくなる。
「君はここが好きだな」
ここと、昇竜の滝と薙は付け加えた。
「だって景色いいだろ、どっちも」
「どこにいたってそう変わらないじゃないか」
「違うよ」
「見えるのは古びた建築物と木や山ばかりだ、真新しいものもない」
「それって田舎って事?」
「都心と比較するならば、ここは田舎だ」
なんだとーっと豊が声を上げると、薙は少しだけ笑った。
「事実だ、気にしたなら謝罪しよう」
「薙っていっつもそうだよ、都会じゃこんな景色見られないだろ?」
そうだな、と言って遠くを見渡す。
「確かに見ることはできない」
「だろう?」
「神代で時が止まっているようだ」
「え?」
難しいことはよくわからないよ。
豊が尋ねると、薙は首を振って何でもないと答えた。
「古くていいなと言ったんだ」
「古くて悪かったな」
「そんなことはないさ」
振り向かずにフッと笑う。
薙と言う人間を、豊は出会ってからしか知らない。
初めての回合もその次も、会話らしい会話もなかったから、彼の心境の変化にはいまいち鈍感だった。
けれど、その人となりを古くから知るものならば誰もが見抜くだろう。
以前と、今と、薙はまるで違う。
古いものをいいと言うように。
景色を楽しむように。
誰かに微笑みかけるように。
それはまだほんのわずかな違いでしかないけれど、波紋のように広がりつつある。
変えたのは秋津豊だ。
彼は、いともたやすくその氷の扉にするりと入り込んで、内側から薙の無機質な心を溶かしてしまった。
閉ざされていた世界は、雪割り草のごとく新たな芽吹きを迎えようとしていた。
「なあ、薙」
「うん」
当たり前に呼びかけると、当たり前に返ってくる言葉。
それだけでこんなに嬉しい。
どれだけの事が起こっているのかなんてわからないけれど、隣で微笑んでくれる薙の姿はとても大切だと思う。
今更、そんなこと、改めて照れくさいけれど、心の声だけじゃ何も伝わらないから。
だから、唐突に言いたいと思った。
ちゃんと口に出して伝えておこう。もう知られていることだけれど。
「薙」
「何だ」
「・・・ありがと、それと、好きだよ」
そのまま顔を背けてしまいたいのを我慢して、ゆっくりとこちらを振り返る薙の姿を一生懸命待った。
どうにも恥ずかしくて、堪えきれずに笑ってしまう。
優しい視線の薙が、不意に触れた指先で頬を撫でた。
「君、赤いぞ」
うん、と答えると、クスリと笑われた。
「仕方のない、奴だ」
指先が髪の中に滑り込んですいと梳く。
頭の後ろに手を回されて、そのまま柔らかく引き寄せられた。
肩口にこつんと額をぶつけて、目を閉じると甘い気配が胸に広がった。
掌はそのまま髪を撫でる。
「豊」
名前では滅多に呼び捨ててくれない。
「僕も、嫌いじゃない」
それは薙にとって好きだと言うのと同義だと知っている。
だから笑う。嬉しくて。くすぐったい気持ちが胸の奥をざわつかせる。
豊は目を開けて、視線に連なって見える先の月詠の制服のポケットに目を向けた。
手持ち無沙汰で側に生えていた雑草の花の咲いているやつを千切って花だけ出るようにして突っ込んでみた。
薙が体を引いたので、連なるようにして豊も顔を上げる。
ポケットの花を見て、豊を見て、少しだけ困った顔をして、薙は微かに笑った。
「コラ」
ここに、ペンタファングの人間が一人でもいたなら、それこそ目を丸くして驚いただろう。
イタズラの犯人はエヘヘと笑ってよく似合うよと嘯く。
薙は嘆息しながらそれを取り出し、逆に豊の栗色の髪に差し込んだ。
「こっちのほうがいい」
「え?」
「君には、よくお似合いだ」
一つ間を置いて、再びなんだとーっと騒ぐ様子を薙は楽しげに眺めていた。
風がそよそよと藍碧台を渡っていく。
どこかの花が香るような、優しい匂いがまた鼻腔をくすぐる。
日は高く、暖かで、満ちている気配は穏やかだ。
「ここも」
豊の髪をもう一度撫でて、薙は瞳を細くした。
「そう、嫌いじゃない」
それは好きということだろう。
再び景色を眺める横顔に、嬉しくてやっぱり豊は笑顔を浮かべていた。
薙の住む街も、きっと好きになる。
そこには緑も風も山もないだろうけど、間違いなく好きになる自信がある。
「薙」
「うん」
「俺もいつか、薙の住むところに連れてって」
薙は振り返らずに答えた。
「一番見晴らしのいい場所に案内しよう」
当たり前のように答える返事。
豊は頷く。
「うん」
側に寄り過ぎない距離でも、まるですぐ隣にぴったりと寄り添っているようだった。
世界は、ここから新しく塗り替えられていくようだ。
その気配を確かに感じていた。
(了)