「Endless waltz 14」
改札口を抜けて、辺りをきょろきょろ見回して、豊が間の抜けた声を上げる。
「ふぁー、ここはいつ来ても凄いな、建物が山みたいだ」
隣に立った薙は呆れ顔でその様子を眺めていた。
普段、あんな山奥の閉鎖的な場所で暮らしているせいだろうか、今のこの姿、どこからどう見ても立派なおのぼりさんとしか言いようが無い。
間抜け面で上ばかり見ているので、オイと一声かけてやった。
振り返った豊が瞳をキラキラさせて薙を見つめる。
―――実は、この顔にとても弱い。
「な、飛河、これから行く店ってどんな所なんだ?やっぱり都会だから、オシャレな店なんだろ?」
薙はたじたじと少し仰け反りながら、けれどそんな様子は微塵も感じさせずに短く「ああ」とだけ答えていた。
今日は珍しく、薙の方からお声掛かりがあって、豊は片道一時間の電車の旅の果てにここに立っている。
天照郷まで迎えに来られて、仲間達に冷やかされながら出てきたところだった。
もっとも、あれは冷やかすというより呆れている感がしないでもなかったが、そもそもそんなこと薙にとってはどうでもいい。豊だってどうせ気付いていないだろう、年中幸せそうな奴だから。
遠出とあって豊はこれでもかなり格好に気を使ってきたのだろうが、都心の洒落た人々の合間で、その姿は浮いているというより、地味すぎて果てしなく目立たない。
やれやれと思うけれど、自分にとってはそのほうが何かと好都合なので、薙は良心的に解釈することにした。
元々素材がいいのだから、おまけがついて目立ってしまって、余計なトラブルも面倒なだけだろう。
それに、どんな格好をしていても、豊ならすぐに見つけられる。
その、地味で鈍臭くてぼんやりしている平和そうな姿が、目の前でこれから訪れる場所を想像してニコニコしている様子を眺めて、薙は瞳を細くした。
直後に時間を確認して、いつもの鉄面皮に戻りながらぴしゃりと言い放つ。
「行くぞ」
踵を返して歩き出すと、豊が待ってよといいながら慌てて追いかけてきた。
人の波を縫ってすいすい歩きながら、背後から聞こえるごめんなさいの連呼にちらりと様子を伺う。
「アッ」
また肩がぶつかった。
「ご、ごめんなさい、すいません」
よけた先で、別の人間にぶつかる。
「あ、す、すいませ」
まるでピンボールのようだ。
薙は溜息をついて、ふと足を止めていた。
駅前の混雑の中を歩くには、どうやらまだレベルが足りなかったらしい。
「秋津」
「え?あっ」
またぶつかりそうになるのを、寸での所で捕らえた腕が引き戻す。
ヨロリとよろめいて薙の胸倉に肩をぶつけて、慌てて振り返った顔がごめんと弱りきった表情を浮かべた。
「ここって人が多過ぎるよ」
「君の反応速度及び反射神経が鈍いだけだ、どうして真っ直ぐ歩けない」
「だ、だって」
「もういい」
不意に手を握られて、豊は慌てて繋がれた部分を見て、それから薙の顔をまじまじと見つめる。
「このままでは効率が悪い、僕が先導するから、君は後について歩け」
「え、で、でも」
「行くぞ」
引っ張られてわあと声が上がる。そのまま引きずられるような格好で、豊は薙の斜め後ろを歩き始めた。
手をつないで。
頬から耳にかけてほんのり熱いようで、そんな様子に気付いた薙もわからないくらい微かに口の端を緩める。
こんなに多く人がいて、それでも誰も周りのことになど構っていなくて、だから手をつないでいても誰も何も言わない。
これが郷だったら今頃大騒ぎだ。伽月辺りが那須乃や若林を引き連れて冷やかしに来るだろう、多分半年位ネタにされてしまう。
後姿しか見えない薙の、それでも温かくて力強い感触に、豊はふんわりと微笑を浮かべる。
繊細で少し骨っぽい指先に捕まえられて、人ごみを掻き分けるように歩くのも何だか楽しいようだった。
信号が変わる、誰もがいっせいに歩き出す。
角を曲がり、もうそれほど周囲に翻弄されなくなっても結び目は解けない。
おとなしく連れられるままに歩きながら、周りの景色を見る合間、何度も前を行く姿に見惚れた。
排ガスまみれの風に揺れる、銀の髪。すらりとした首筋。しっかりした両肩。綺麗な姿勢。
肌色の白い、整った横顔に溜息が漏れそうになる。
気付いた薙が横目でちらりとこちらを見たので、豊は必要以上に慌てて益々顔を赤くしていた。
殆ど会話もなく数十分歩いて、薙が不意に立ち止まった。
名残惜しい掌がするりと離れていく。
そこでようやく気が付いて、目の前を見ると格子の扉が控えていた。
上には暖簾がかかっていて、そこに電車の中で教えられた甘味処の名前が書いてあった。
「ここ?」
振り返ると薙が頷く。
「入るぞ」
ガララと横開きの扉を開けて、中に入ると和風の洒落た雰囲気の店内が広がっていた。
いらっしゃいませの声と共に駆け寄ってきた店員に案内されて、席に着くとほのかに甘い香りが鼻先をかすめる。
受け取ったお絞りを開きながら、豊はワクワクしていた。
正面には薙が腰掛けていて、相変わらず仏頂面のままでメニューを開いている。
差し込む陽が暖かい。
コップの水を一口飲む。
メニューの中からそれぞれ数品選んで、店員にオーダーを頼んでようやくひと心地つくようだった。
「こっちは歩くだけでも大変だな、薙がいなかったら、俺夜中になってもここまで来られなかったよ、多分」
豊がしみじみ言うので、何だか少し可笑しく思う。
フッと微笑んだ薙を見詰めて、鳶色の瞳がやんわりと緩んだ。
つくづく幸せそうな顔だ。
それは、大体いつでもそうなのだけれど、今は特に和んでいるようだった。
―――どうしてだろうか?
「なあ、飛河?」
「何だ」
「今日は、その、アリガト、凄く嬉しいよ」
エヘヘと笑う様子に、ついため息が漏れていた。
さすがに、自分の本音位もう分かっているけれど、まだうまく言葉に表すのは苦手だ。
男同士、一般的には異様な光景なのだろう。けれど、そんなことはどうでもいい。
どうせ、豊なんかは気付いてもいないのだろうし。
愛しさの篭った眼差しに見詰められていると、どうにも心が飽和して広がっていくようだ。これが多分、アレやソレなのだろうけれど、まだ馴染まない表情筋がうまく動いてくれていない気がする。
だから薙はテーブルの上の豊の手をそっと掌で包み込む。
想いの意図を、体温に乗せて君に伝わるように。
言葉も無く、ただ、それだけを淡く願って。
「飛河」
豊は楽しげに瞳をキラキラ輝かせながら、極上の笑顔でニッコリ微笑んだのだった。
「今日、楽しくなりそうだなっ」
「―――ああ」
自然な微笑が浮かんでいるけれど、薙はそれに気付いていない。
豊にだけ伝わる彼の姿。薙にだけ向けられる笑顔。
和装のウェイトレスの運んできた甘味が、卓上でますます甘く香るようだった。
(了)