「Endless waltz 4」
見上げる空はどこまでも青くて、広くて、泣きたくなる。
あの日、最後に見たかった笑顔を見せてくれた君。
今でも忘れない、忘れられない。
君との思い出があるから、まだ頑張れているんだと思う。
そう。
まだ、大丈夫。
「次のお役目は、この辺りか・・・」
豊は暗い森の中を歩いていた。
うっそうと茂る木々は夜露に濡れて、あたりは虫の声やみみずくの鳴き声が途切れ途切れに聞こえる。
湿った空気に混じるのは、森の息吹、夜の吐息、何かの気配。
小太刀の鞘を抜いて、振り返り様に斬りつけると天魔の一匹が嘶きながら消えていく様子が見えた。
(やはり、当たりか!)
先鋒がやられて、後に控えていた異形達がぞろり、ぞろりと姿を現し始める。
その数、約十数匹。
一人で何とかできる数であって内心ホッとしていた。
ジリジリと間合いを詰めて寄ってきた狗賓の口蓋が開き、鋭い牙をむき出しにして飛び掛ってくる。
それを打ち落とすと、まるで戦いの合図であったかのように天魔達は次々と攻撃を開始した。
豊は身の内に宿る験力が燃え上がるような感覚と共に、打つべき敵に向かい小太刀を構えた。
一人きりで旅立とうと決意した日、誰にも知られないように出て行くつもりだったのに、天照館の次の時代を担うべく産まれてきた稀代の陰陽師にあっさりと目論みは見抜かれてしまった。
「それとも、もう誰かと約束でも?」
その言葉で思い出した、ただひとりの人。
唯一心残りがあるとすれば、それは彼だけだった。
だから、頼んだ。
陰陽師は笑顔で蒼い空に式鬼をうってくれた。
二人きりで交わした、最後の言葉。
その思い出があるから頑張れるのだと思う。
唯一度きり、これまでのこと、これからのことを話して、決意のこもった眼差しでやさしく微笑んでくれた彼のこと。
今はどうしているだろうか?
学院に戻って、勉学に、討魔活動に、励んでいるのだろうか。
「っつ!」
一瞬の隙をついて狗賓の牙が小太刀を握った豊の腕を襲った。
鋭く切り裂かれて、柄を握る手がわずかに緩む。
もう一匹、抜け目なく追撃してきた天魔を験力で叩き落し、間合いを取ろうとした背後からいつのまにか忍び寄っていた夜叉が背中を思い切り殴り飛ばした。
「くうっ・・・?!」
跳ね飛ばされて、向かい側の木の腹に全身を強打する。
ずるりと沈み込みながら、それでも何とか立ち上がった豊に更に迫る牙があった。
「クソッ」
夢中で小太刀を振り払い、なんとか獣を退ける。
幹に背を預けて振り返ると、残った数匹の天魔達が豊の周囲を取り囲んでいた。
爛々と輝く目で隙なく窺い、わずかな油断を狙って食い殺そうとしている。
額をぬるい汗が滑って落ちる。
(こんなとき・・・)
荒い呼吸を繰り返しながら、豊かはあるはずのない奇跡を思い描いていた。
今、もしもここに彼がいてくれたら。
神子と定められた日から、全て受け入れる覚悟は出来ていた。
転生であること、課せられた運命、その結末。
ただ一人きりで鎮守人として戦い、いつか散っていくのだと、旅立つあの日に受け入れた。
けれど、あの人だけは。
この上なく身勝手な願いであることは百も承知だ、それでも、願わずにいられない。
笑顔を忘れることなんて出来ない。
今ここにいてくれないことが、本当に辛い。
狗賓の輪が、じりじりと狭まってきた。
「薙・・・っ」
ついに狙いを定めた獣達の牙が一斉に襲いかかろうとしたとき。
豊の頬を一筋の風が撫でた。
はっとした瞬間、あたりの木々が大きく揺れて、突風に巻き上げられた狗賓共が次々と宙を舞っていく。
バラバラと落下して消えていく様を呆然と眺める彼の耳に、懐かしい響きが、何の前触れもなく届いたのだった。
「豊」
豊は瞳を大きく開く。
「・・・君の戦場は、僕の戦場でもある」
さっきまで戦っていた時と、比べ物にならないほど鼓動が早くなっている。
渇いた喉をゴクリと鳴らして、震えながら振り向いた。
「僕の背中を任せる事ができる人間は、君しかいない」
その姿を認めた途端、視界がにごって揺れる。
それが涙のせいであると気付くと、情けなくて豊は照れ隠しの笑顔を浮かべた。
木陰から差し込んできた月の光が、そこに立つ綺麗なシルエットをはっきりと映し出してくれる。
豊は、大切なその名を呼んだ。
「薙」
穏やかな微笑みは幻じゃないだろう。
動揺して戸惑っている様子を気取り、サクサクと草を踏んで近づいてくる足音は確かにここにある。
温かな掌が、目元をぬぐって顔を覗き込んできた。
「どうしたんだ、涙なんて、君らしくないだろう」
うん、と頷いても、やっぱり少し滲むようだった。
「豊」
薙は小太刀を握る手にそっと自分の手を重ねて、豊の瞳の奥を真摯に見詰める。
「共に行こう」
「・・・ありがとう」
でも、と少し不安げに付け足して。
「俺と行くと、二度と安全な場所には戻れないよ?」
「僕が安寧を望むとでも?」
フン、と笑った姿が随分強気で、豊は笑ってしまった。
ああ、薙ってこういう奴だったっけと、思い出してまた少し笑顔が浮かぶ。
「じゃあ」
重ねられた掌に、もう一方の手を重ねながら。
「一緒に行こう、薙」
返事の代わりに交わされたのは口付けだった。
まだ辺りは夜の闇に包まれているはずなのに、豊には確かに、頭上に広がる青空が見えたような気がしていた。
柔らかな風が、吹いていた。
(了)