「Endless waltz 7/7」
深遠なる暗黒、星の空、夏の大三角。
彼方まで続く星空を見上げて、豊は感嘆の声を洩らす。
「晴れたなあ」
本日7月7日、晴れ。
日本人なら大方知っている、通称七夕である。
この日、年に一度の逢瀬を許された二つ星がめぐり合う夜、願いを笹に託すと叶うという。
手にした短冊をしげしげと眺めてから、背後の薙をくるりと振り返った。
薙は、笹を固定する作業に没頭している。
手ごろな柱にくくりつけたりしてみているようなのだが、どうにもうまくいかないらしい。
側で眺めて、思わず笑うと、不本意そうな瞳に睨みつけられた。
その様子が彼らしくなくて、また笑う。
今夜は夜風も大分おとなしくて、ほのかに汗ばんだ肌を撫でる空気が心地よい。
笹の葉がさらさらと揺れる音がする。
飾りの、紙で作ったちょうちんやすだれを適当にもてあそんでいると、薙が隣にやってきた。
どうやら何とか終わったようだった。
「待ったか」
変わらず単調な声に首を振ると、そうかと返された。
「ご苦労様、大変だったみたいだね」
「そうでもない」
負け惜しみとも本心とも取れぬ口調で薙は言う。
「うまくいった?」
「そうでなければここにいない」
いかにも。
豊は飾りを持って笹の側に立つ。
「はい」
ちょうちん形の飾りを手渡された薙はよくわかっていないような顔でこちらを見た。
「吊るすの、手伝って」
「何故?」
「二人で作業したほうが、効率いいだろ」
互いを交互に指しながら話す。こう説明した方が、彼にはわかりやすいだろう。
思惑通り、薙は作業を開始した。
飾りつけは思いのほか順調に進み、薙はバランスよく、丁寧に笹に色紙の細工物を吊るしていく。
「へえ」
豊は少しだけ感心した。
薙が振り返る。
「なんだ」
「うまいもんだね」
「・・・レクチャーするわけではないが、要はバランスの問題だ、配色と位置関係を考えながらやれば、誰でもこの程度の作業はこなせる」
「そうかな?」
「個人の素養も多少影響するだろうが、学習で補足可能だ」
そんなもんかな、と呟きつつ、豊は内心違うと思っていた。
これは、今では失われたように見える、薙自身の感性の影響だ。
他の者たちに聞く限り、昔の彼はもっと情緒的で表現力豊かな人間だったという。
ならば、その片鱗が見え隠れしても、何もおかしなことなどない。
また少し彼の本質が窺えて、ちょっとだけ嬉しかった。
時間をかけても構わない、もっともっと知りたいと思う。
薙のこと、もっともっと。
考えているうちに飾りつけは終わっていた。
豊は薄い水色の短冊を手に取った。先ほどの短冊だ。
薙がこちらを見るので、裏側が見えないように手の中に隠した。
「なんだ」
「なんでもない」
豊はブルーの短冊を薙に手渡す。
「はい、これ」
彼はそれをしげしげと眺めた。
「裏に願い事書くんだ、それくらい知ってるだろ?」
「必要ない」
戻そうとする手元を捕まえて、豊はわずかに眉間を寄せた。
「飾り付けまでしたんだ、七夕なんだから、短冊くらい書けよ」
「儀式的な風習には興味が無い、迷信の類ならば、そんな酔狂には付き合いきれない」
「信じる信じないはともかく」
「信じていないなら尚更必要ないだろう」
これでは埒が明かない。
無理に書かせることも出来るだろうが、それでは願い事にならないだろう。
豊が困っていると、薙の手がひょいと伸びてきた。
有無を言わせぬ動作で、隠していた短冊をあっけなく取り上げられる。
「あ、わ、ダメ!」
慌てた豊は必死に腕を伸ばす。
薙はひょいひょいとよけながら、裏返した短冊の文面を目で追った。
「ダメ、ダメ、薙!人の短冊読むなんて趣味が悪い!」
抗議も虚しくあらかた読み終えた後で、短冊はようやく持ち主に返却された。
豊は恨みがましい顔で薙を睨む。頬が赤い。
そして、眼が合った途端、動揺して下を向いてしまった。
薙はフッと笑う。
渡された短冊に目をやると唐突に口を利いた。
「ペンを貸してくれ」
「え」
「僕も書く」
豊は驚いたような、困惑したような、妙な表情でおずおずとペンを差し出してきた。
受け取ってすぐ薙はすらすらと裏面に書き付けていく。
そして、記入し終わった短冊を豊に差し出した。
「これで怨み言無しだ」
豊は再び困ったような顔をして、控えめに受け取った短冊に視線を走らせた。
そして・・・再び、目を見開いて真っ赤になる。
大慌てで薙に押し付けて、おぼつかない態度で糸、糸と辺りを見回した。
「短冊、吊るさないと、い、糸は?」
ほら、といって手渡されたタコ糸をすでに空けてあった穴に慌てながら通す。
薙も同じようにした。
「吊るしてやろうか」
「い、いい、自分で、できます」
これはどうにも、すっかり照れてしまったようだ。
わずかにくすぐったくて、誰にもわからないくらいの変化で薙は笑う。
名前の通り感情豊かな彼がその様を露にするたび、いつも自分の中で何かがさざめいた。
それは遠い昔になくしたもののようであり、いつもここにあるもののようでもある。
飾り付けられた笹は綺麗だ。
夏の風物詩を、しばらく二人で見上げた。
「自分達が嬉しい時に幸せをおすそ分けだなんて、織姫も彦星も太っ腹だよなあ」
豊の認識は多少違っているような気もしたが、薙は何も言わなかった。
「なあ、あの話に例えるならさ」
星空を見上げる鳶色の瞳の、声はどこか夢見心地に聞こえる。
「俺が牽牛で、飛河は織姫だよな」
「バカを言うな、織姫は君だろう」
振り返った豊が頬を少し膨らます。
「俺が織姫なわけないだろう」
「君以外の誰が織姫なんだ、僕がそうであるなど、まさにありえない」
「だって俺は男だし」
「それをいうなら僕だって男だ」
「でも俺が牽牛なら、飛河が織姫だろう?」
「だから、織姫は君だ、少しは自身を把握するべきだ」
真顔で言うと、豊は困った顔をして、それから笑った。
「まあ、どっちでもいいか」
伸びてきた腕がするりと絡みつく。
「俺と飛河は、あの話みたいに年に一度しか会えないわけじゃないし」
肩口に触れる髪をそっと撫でると手に優しい。
「そんな事を言うと、妬かれるぞ」
「織姫と牽牛に?」
「そうだ」
「飛河が迷信深いなんて知らなかった」
笑われて、でも悪い気はしないから、こちらも微かに笑みを返した。
空は快晴、雲ひとつない星空。
対岸で睦みあう天空の恋人たちはつかの間の逢瀬を楽しんでいるのだろうか。
けれどもここにある温もりは一瞬なんかじゃない。
果てない空に漕ぎ出す笹の葉に、託された願いはきっと届くような気がしていた。
(了)