「Endless waltz 8」
「あっつい」
うんざりしながら呟いて、豊は隣にいる薙を見た。
連日三十度を越える猛暑で、町全体が干物のように乾ききっている。
人工物に囲まれた、ここは日の光が直接差し込んでくる。
魔女の大釜だ。
底の方でジリジリとあぶられて、額には拭っても玉のような汗が浮かぶ。
開襟シャツの胸元をばたばた仰いでいると、コンビニエンスストアーの表示が見えた。
「あ、コンビニエンスだ!」
この言葉を聞くたび、態度にこそ出さないものの、薙はガックリと肩の落ちるような気分になるのだった。
彼が元暮らしていた場所には二十四時間営業の店舗などという便利なものは存在しない。
よって、この店の詳細を教えてやったのも薙なのだが、説明が悪かったのか豊はいつもコンビニエンスストアーをまんまダイレクトにコンビニエンスなどと呼ぶ。
訂正してやろうかと考えたこともあったが、言語的には間違ってないので放置したままだ。
他の仲間たちは間違いを面白がり、或いはあきれ返って誰も一般的な訳し方を教えようとしない。
結果、今日に至るまで豊は「コンビニエンス」のままでいた。
ストアー部分は長すぎるから、これでも省略しているつもりらしい。
まあ、田舎者だからな。
歯に衣着せぬ解釈は彼ならではのものだ。
二人は並んで歩いている途中だった。
何のことは無い、退魔班がらみの所用で使いに出た、その帰りである。
豊はくるりとこちらを向いて、瞳に期待の色を映す。
「なあ、飛河、ちょっとだけ寄ってかないか?」
やはり、そうくるか。
薙は嘆息した。
本来なら月詠の生徒はまだ授業中で、自分たちは特例で外に出ている。ならば手際よく任務をこなし、真っ直ぐ帰還すべきだろう。
だが、本音を言えばいい加減暑くて、さすがの薙もうんざりしていた。
いくら特殊強化された体とはいえ、暑いものは暑い。不快なことは、やっぱり不快だ。
シャツにしみこむ汗も、容赦なく脳天を直撃する陽光も、気を萎えさせるには十分すぎる。
少し迷ったが、結局薙はその申し出を許可したのだった。
嬉々として店内に飛び込んでいく様子を呆れ顔で見送る。
彼は、涼めることだけが嬉しいわけでは無いだろう。ただ単純にものめずらしいに違いない。
理由は言わずもがな、これまでの生活環境と、様々な品物が所狭しと並ぶ店内の相乗効果の結果だった。
薙は気だるげな足を投げやりに放り出しながら後に続いた。
店内は想像通りひんやりとした心地よい冷気に包まれている。
ようやく一息ついた気分で、飲料コーナーに直行した。
豊はアイスクリームに目を奪われている。
ブラックの缶コーヒーを選び、まだケースを眺めている背中を後ろから覗き込む。
「早くしろ」
「ちょ、ちょっとまって、ええと」
二種類の狭間で、豊はどちらを選ぶべきか迷っているようだった。
薙はさっと目を通し、問答無用で棒状のアイスクリームを掴み取った。
「君はこれだ」
「え」
驚いて目を丸くする豊を置き去りにして、さっさとレジに進む。
会計を済ませて、あたふたと追いかけてくる彼をドアの前で待った。
外は相変わらずの灼熱地獄だ。
「あ、あの、飛河、俺は」
「どちらか決めかねていたのだろう?」
「そ、そうだけど」
豊はいささか困惑している。
「どちらか、なら、どちらでも同じことだ。君が決められないようだから、僕が決めてやった」
「でも俺、頼んでない」
「君に任せていたのでは時間がかかりすぎる。言わせて貰うが、僕らは今所要で外に出ているんだぞ」
返す言葉も無い。
薙はビニール袋から缶コーヒーを取り出して、ついでに豊にアイスクリームを渡す。
受け取ったそれをしげしげと眺めて、豊は諦めたように袋を破き始めた。
プルトップを押し上げて、コーヒーを飲むとまさに生き返るような気分がした。
隣では豊がアイスクリームを美味そうに食べている。
白い、棒状のそれは、形状から察するにラクトアイスとかいうものだろうか。
氷菓かもしれない、その辺りの詳しい判別基準を薙は知らない。
冷たい感触を伺うように、豊は表面を少しずつかじる。
触れる舌先が赤く染まっていた。
唇も、濡れて艶やかに光っている。
筒をそろそろと舐め上げて、先端をチュ、チュと吸い、その間に何度かかじりつくを繰り返している。
なんて。
薙は視線を背けてコーヒーをぐいと一飲みした。
横目でちらりと窺うと、彼は棒アイスに夢中のようだった。
それはどうやらうまいからではなく、どんどん溶け始めているからのようだった。
無理もない、この炎天下でアイスクリームを食べようという考えがそもそも間違っている。
うわ、とか、ああっとか、感嘆符付きの声を洩らしながら、豊は必死だった。
「あ、手が」
棒を伝って落ちた雫が両手を汚した。
片方は持つ手に、もう片方はアイスクリームが落ちないようにかざしている手に、ぽたぽた落ちていた雫はやがて固まりになってボロリと掌に落下する。
様子を見ていた薙はわずかに噴出しそうになる。
豊は、なんとも情けない声を上げて棒と分離したアイスクリームの残骸を見下ろしていた。
そしてそれを、口元に寄せてシャクシャクと残りを食べ始めた。
薙は思わず顔をしかめた。
なんて行儀の悪い仕草なんだ。見るに耐えない。
いさめようとして、ふと止める。
汚れた掌に付着した白濁とした液体が、赤い唇に飲み込まれていく。
あちこちに付着した分もぺろぺろと舌先で掬い取って、時折皮膚に吸い付くを繰り返している。
手の縁や手首、果ては腕に至るまで、濡れた先端を這わせる姿はなんとも言われず・・・
溜息が、漏れた。
「君」
うん?と見上げる豊の顎から喉にかけてもいく筋かアイスクリームの名残が見えた。
この年になってこんなにへたくそにものを食べる人間など見た事がない。
半ばあきれ返りながら、顎を片手に掴む。
「飛河?」
豊は僅かに目を丸くした。
薙は構わず、顔を近づけた。
「うわ・・・あ」
そのままやや強引に、唇を顎に押し付けた。
間から差し出した舌で肌を舐めて、そのまま伝って喉元付近も拭い取っていく。
離れてから、取り出したハンカチでまだ濡れたままの表面を拭いた。
豊は呆然としていた。
「あああ、あの」
言葉が不明瞭だ。
手を掴んで、指も少し舐めて、同じようにハンカチで拭き取ってやる。
硬直したまま突っ立っていた豊は、ようやくあたふたと慌てだした。
「ひ、飛河、あの、俺、その」
薙はしばらく冷たい視線を向けていたが、不意にくるりと踵を返して歩きだしてしまった。
「いくぞ」
「あ、でもあのその」
「これ以上時間をロスしたくない、君も急げ」
「は、あ」
豊は戸惑ったまま、数秒立ち尽くしていた。
けれど、首をプルプルと振って、結局慌てて後を追いかけたのだった。
「ちょ、ちょっとまってくれよ、飛河!」
いつもどおり答えのない、シャツの背中がなんだかやけにくらんで見えるのは気のせいだろう。
どうしてあんな事をされたのかよくわからなかったけれど、とりあえず周囲に人が少なくてちょっとだけほっとしていた。
動悸が早いのも、何やら熱くてくらくらするもの、全部夏のせいだ。
彼からも自分からも、場にそぐわぬ甘い残り香がまだ漂っているようだった。
(了)
※ゆんゆんは食べるのが下手なんじゃなくて、アイスを食べた事がほとんどないからです。マジで(笑)