「ここかッ」

シルバーのフレームを押し上げて、グリーンの瞳が眇められる。

仕立てのいいジャケットにパンツ、幅細のマフラーを巻いて、足元は質の良さが見て取れる革靴。

それでも、年の頃は恐らく十代後半程度と思われる、長身の青年は天香学園の校門を見上げながら、端正な顔をより一層厳しくしかめていた。

「まったく―――」

 

 

 ふうーむ、って唸っているルイさんの横顔を、あたしはドキドキしながら見詰めている。

お互い身元が割れちゃった以上『先生』って呼ぶのも妙だから、2人きりの時あたしは『ルイさん』、ルイさんは『あかり』って、互いに呼び合ってるんだ。

「わかったぞ」

「えッ」

「この手紙そのものが原因ではなさそうだな」

「そ、そうなんですか?」

頷くルイさんに、あたしはそれなら、って詰め寄っていく。

寮を飛び出したあたしは、真っ直ぐルイさんのところへ向かった。

オカルティックな知識ならM+Mの専攻分野だもん、あたしじゃ図り損ねるだろう諸々の情報収集先として、なかなかナイスなチョイスだと思う。

勿論医学的な変異である可能性も拭えないから、そういった点も含めての人選だったわけだけど。

(ビンゴ、だったみたい)

保健室に飛び込んできたあたしを見て、ルイさんは開口一声「君、どうしたんだ」って、アレはホントビックリしたなあ。

でも、青ざめて、髪もグシャグシャ、服もヨレヨレだったから、単純に驚かれたのかもしれない。

だけど雰囲気がそんな話をしていなかったから、とにかく前置き無しで本題を伝えた。

一通り聞き終えたルイさんはあたしから封筒を受け取った途端、急に厳しい表情に変わって、口の中で何か唱え始めた。

それから色々暫く調べて―――今の台詞に繋がってくる。

「これは、呪だ」

「呪い?」

あたしは思わず繰り返していた。

言葉がうまく飲み込めない。

何?

呪い?

そ、それって、どういう。

「この手紙の贈り主が、呪を打った犯人と見て、まず間違いないだろう」

やっぱりそうなんだ。

ただのラブレターじゃなかったんだ。

(でも、これが元凶でもなかった)

てっきり手紙が悪いんだと思い込んでいたあたしは、不意を突かれたような、予想の範疇だったような、妙な気分。

っていうか、短時間でそこまで判っちゃうのか、はあー。

やっぱり、ルイさんは凄いなあ。

あたしの身内もオカルティックな系統で、例外的にあたしとパパにだけ、そういった能力が皆無なんだけど、まあパパは仕方ないよね、入り婿だから。

あたしに無いっていうのが、実はちょっと納得いってなかったり。

クラウスにはあるのに、くそー。

(いやいや、今はそんなことを気にしてる場合じゃないぞ)

この状況下で、とりあえずあたしが何もできなかったっていうのが、少しだけ悔しい。

とにかく!手紙の贈り主を見つけ出さないと。

ルイさんは甲太郎の状況と合わせて、おおよその見解をあたしに話してくれた。

手紙の贈り主が、睡眠中、つまり、心の無防備な状態下にある甲太郎の精神を捉えて、意識の深いところに閉じ込めているんだろう、って。

だから目覚めないし、生きている人間の気配が極端に弱まってる。

でも、暫くは身体に影響は出ない。

「だが、このまま昏睡状態が続けば」

その先は分かるなって、ルイさんは聞いてきた。

背筋に冷たいものを感じて、あたしは両手を握り締めていた。

怖い。

そんな展開は認めない。

「あかり」

「はい」

「最近、皆守の身の周りに変わった事は無かったか?」

「特に思い当たる節はないです」

「そうか」

そのままふっと顔を上げて、ルイさんは保健室の窓の外を見た。

相変わらずの豪雪。

暗い風景に降り積もった雪は、雪かきしても全然追いつかないだろう。

都心で積雪30センチなんて、かなりイレギュラーな状態に違いない。

「―――この雪は」

(えッ)

「いつになったら止むのだろうな」

はい?

ルイさんは手紙を見て、窓の外を見て、小さくため息を漏らした後、そのまま何か思案に暮れ始めた。

手持ち無沙汰になっちゃったあたしは、仕方なくそわそわと視線を彷徨わせる。

(ダメだ)

ただ手をこまねいて、じっとしていることに耐えられない。

(甲太郎)

どうしているかな?

パジャマ着せてきたけど、寒くしてないだろうか。

一応暖房も入れておいたし、もし、万が一―――あたしが出かけている間に、目がさめたらと思って、温めのお茶をポットに用意しておいた、手紙も、残しておいた、連絡欲しいって。

(でも、なんだか無意味だったみたいだけど)

寝相が悪いから、上掛け蹴り飛ばしたりしていないかな、とか。

怖い夢を見ていないかな、とか。

それ以上に、辛かったり、苦しい思いをしていないかな、とか。

―――甲太郎。

(こうたろうッ)

あたしは不意に、思い出していた。

甲太郎が胸の秘密を打ち明けてくれた夜の事。

辛くて苦しくて、できる事なら忘れてしまいたい、でも、忘れることすら叶わないくらい、無数に刻み付けられた傷跡、大きくえぐられてボロボロになっていた甲太郎のハート。

あたしは盛大に泣いたんだっけ。

当事者が困り果てて、それこそ、立場逆転で一生懸命慰めてもらっちゃうくらい、そりゃあもうナリフリ構わず、うわんわん、おんおんって。

甲太郎と、甲太郎のお父さん、お母さんとの距離は、こんなにも遠い。

そして誰も悪くないのに、何度も甲太郎の伸ばした指先をすり抜けていった、たくさんの光。

あたしには分からない。

聞いただけじゃ、甲太郎の気持ちも、理解したつもり程度でしか、知ることができない。

それがこんなに悔しいことなんだって、初めて思い知らされた。

あたしは甲太郎のために泣いたんじゃない。

甲太郎の苦しみを、辛かった過去を、少しも背負えない自分が悔しくて、それで泣いたんだ。

でも、甲太郎は、そんな気持ち全部見透かしてるような笑顔で、優しいキスをあたしにくれた。

「もう大丈夫だ」って。

「お前がいてくれるなら、俺は、道を踏み外したりしない」って。

―――こんな優しい人に、あたしはもう二度と、苦しい思いも、辛い思いも、させたくない。

泣きながら決めたんだ。

甲太郎を守るって。

この人を守って生きるのが、あたしのこれからの人生だって。

優しすぎる甲太郎。

一晩中泣き続けたあたしの事、ずっと抱きしめて、髪を撫でてくれた。

感触も、声も、息遣いも、ぬくもりも、全部、今すぐ思い出せる。

相変わらずのひねくれモノで、イジワルだし、根性悪いし、すぐに暴力に訴えるダメ男だけど。

でもね。

(よく笑うように、なったんだ)

遺跡が崩壊して、甲太郎は、前の甲太郎じゃなくなった。

大勢で騒ぐのはまだちょっと苦手みたいだけど、でも、みんなと一緒に馬鹿やったりするようになった。

そんな甲太郎を、あたしは心から愛しいと思う。

辛い顔なんて、あの日以来一度も見ていない。

だから。

(許さない)

―――どこの誰だか知らないけれど。

(人の男に手を出すなんて、いい度胸だ、覚悟できてるんだろうな?)

甲太郎を二度と、そっち側になんて、やらない。

(絶対許さないんだから)

何かがするっと頬をなぞった。

「ひゃ!」

ビックリして顔を上げたら、ルイさんと視線が重なった。

優しい笑顔を浮かべられて、直後にあたしは、自分の眉間の縦ジワに気付く。

(うわ、うわわ)

怖い顔、してた?もしかして?

(恥ずかしッ)

咄嗟に俯いたあたしの髪を、同じ感触がまたスルリと撫でて、優しい笑い声が降ってくる。

「あかり」

「は、はい?」

「大丈夫」

え?

「君の想いは、氷の檻すら溶かすだろう、君になら、恋人を助け出すことができる」

こ、コイビト。

「―――だろう?」

「はい」

たじたじしながら答えたら、ルイさんは満足げに頷いた。

「さて、それではこんな所で思案に暮れていても仕方ないな、早速行動を起こさなければ」

クールなスタイルはいつもどおり、あたしもようやくちゃんと顔を上げて、背筋をピンと張りなおした。

「この手紙は呪の媒介にされていた、故に、ここに残されていた思念を辿れば、術者のおおよその居場所の特定や術の形態を読み解く事ができる、だが、それだけではまだ不完全だ」

「どういうことですか?」

「何故、を解き明かす必要があるのだよ」

「何故?」

「そう」

ルイ先生はフッと微笑む。

「この地に巣食っていた怨嗟の根源は消え去った、なのに何故、このような呪がまかり通る?」

「そ、それは」

「察するにこの術士、呪を唱えるのは初めてのようだ、つまり素人という事だよ」

素人?

「まあ、作法さえ知っていれば簡単な術の発動は見込めるだろう、だが、これほど強力な術となると、その筋の者でもない限り使役する事は叶わん、だが、呪は対象に正確に作用している、それは何故だ?」

―――それは思いもよらなかった。

あたしは多少混乱する。

素人が術を使いこなせない事くらい、あたしの実家だってそっち系だから、まあ、理解はできる。

方法を知ってるだけじゃダメなの、素質が無いと、ダメ。

だから、古来より魔法は貴重で、魔法使いはもっと貴重な存在なんだ。

更にいえば、いくらセンスがあったって、訓練をつまないと力を操るまでに至れない。

つまり、一朝一夕にこなせるものじゃないって事。

(でも、どうして?)

アラハバキの最後を、あたしは確かに見届けた。

モヤモヤしてたら、ルイさんが更に続けた。

「考えられる原因としては、恐らく一つだ、つまりは」

つまり、は?

ヒラメキの電球が頭の上に浮かびそうになったあたしの耳に、物凄い足音が響いてきて、まとまりかけていた思考を蹴散らす。

これは、足音ってより、すでに地鳴り?

驚いている暇もなく、スパーンと開かれた保健室の扉が反対側にぶつかってガツンと物凄い音を立てるのと、あたしとルイさんが覗いた空間に仁王立ちする八千穂さんの姿を認めたのは、殆ど同時だった。

「あーちゃん!」

ルイさんが、廊下は静かに、扉の開閉は丁寧に、って呆れた口調で呟いた。

「ここにいたんだね!」

「八千穂さん」

「こッ、こらあー!」

いきなりげんこつを振りかぶられて、な、何?!

「違うでしょ、やっちー!」

「は?」

「もうッ、あーちゃんはアレでアレなんだから、私の事もこれからはそう呼んでねって、言ったじゃない!」

「え、ええっと?」

―――ドレ?

「そんなことより、あーちゃん!」

すでに展開についていけてない、あたし。

「大変だよッ」

今更、この仰々しさ以上に大変なことなんて、あるんだろうか。

「今ね、今ッ、生徒会室に、物凄ーく背が高くて、物凄ーくハンサムな男の子が入っていってねッ」

「知らない人?」

「そうだよッ」

部外者?

でも、天香に今更調査の必要性なんて無いだろうし、ってことは単純に転校生とか。

「何かあーちゃんの事を」

「―――は?」

「あきらくぅーん!」

第2波が接近しつつある予感を、あたしは覚えた。

身構える間もなく飛び込んできた、燃えるような赤い髪、そして豊満な双丘―――そらきたあ!

がばっ。

ふごっ、と。

直後に聞える八千穂さんの剣幕。

お願い、そんな風に怒鳴らないで―――すでに息苦しくて窒息しそうなのですから。

「双樹」

「あら先生、ごきげんよう」

「君も、八千穂も、もう少し年頃の娘らしい振る舞いを心がけた方がいい、感心できないぞ」

「ウフ、それは失礼」

「それと」

「まだ何か?」

「―――玖隆が窒息寸前だ」

ギブギブ、ギブー!

あらやだ、いけない、って暢気な声と共に、あたしはようやく解放された。

「ぶはッ」

「あーちゃん!」

「あ、あたあは、フラフラふる」

「あきら君、大丈夫?」

覗き込んでくる双樹さんの顔。

「ふ、双樹さん」

「ごめんなさいね、私ったら、貴女を見るとつい」

「もう、双樹さん、いーかげんにしてよね!」

「あら」

どうして貴女が怒るの?いいじゃない何か文句あるの?―――そんな風に睨み合う2人の間で、あたし、すでに色々とうんざり。

(いや、いーんだけどね)

慣れたっていうか、慣らされたっていうか。

「玖隆、モテるな」

ルイさんにからかわれても、軽口を叩き返す気すら起こらなくて、黙り込んでいたあたしを、双樹さんが不意に「そうだ」って振り返った。

「あかりちゃん」

う、み、耳元!

「双樹さん?!」

尖がった八千穂さんの叫び声を無視して、続ける。

「貴女に、急ぎの用があって来たの、付き合ってもらえるかしら?」

急に真面目な口調だから、あたしは何だかかしこまって、どうしたの、って双樹さんに聞き返した。

「貴女に用があるって、今、男の子が生徒会室に来ているのよ」

それって。

(さっき八千穂さんが話してた、見知らぬハンサム?)

「もう、双樹さん!」

顔を上げた双樹さんは、貴女には関係ないわよって、また2人で胸をつき合わせて睨み合ってー。

何だかど迫力。

微妙に羨ましい、っていうか、妬ましい。

(どーせ張る胸すら持ち合わせて無いですよ)

あたしは23度咳払いすると、双樹さんに「わかった」って答えた。

「行くよ」

「あーちゃん!」

八千穂さんが妙に憤慨してる、何故?

あたしはルイさんを振り返る。

「先生」

「何だ」

「あの―――」

「行くべきだ、玖隆」

キセルの煙をひと吹きして、切れ長の目がふっと微笑みかけてくる。

「私の卦では、君は行くべきだと出ている、何か問題解決の糸口がつかめるかも知れん」

「それは」

「あきら君」

スイッと腕を引っ張られて、振り返った先の双樹さんが「早く行きましょう」って急かす。

あたしはもう一度ルイさんに向き直ると、一礼してから、促されるままに保健室を後にする。

「ねえねえ、あーちゃん」

「ん、何?」

「問題って、もしかして、また何かあったの?」

「うん、まあ」

「と、言うか、八千穂さん、どうして貴女までついて来るの?」

「べえ、だ!」

相変わらず妙に仲悪いんだよね、双樹さんと八千穂さん、どうしてこんなに気が合わないんだろう。

「ま、まあ、いいじゃない、八千穂さんも関係者なんだから」

「そうゆうことですぅー、っていうかあーちゃん!やっちー!」

「ハイハイ、やっちー」

「よしッ」

はあ。

三人分の足音が、廊下を駆け抜けていった。