ベルガー教授とその娘アンナが、レリックドーンに囚われたと報告が入ったのは、数日前の事だった。

教授は、水代教授と並び二雄と謳われて、考古学界にその名を馳せる、才知溢れる優秀な学者であった。

「君も多少面識があるんじゃないのか?」

救出依頼を打診されたのが、それから更に数日経った―――あの忌まわしい日の、前日の事だ。

相変わらずの対応の遅さに苦笑いを漏らしつつ、その前の仕事の報告書を提出したばかりの玖隆は受信口の向こう側に皮肉っていた。

「休みなしだね」

玖隆のもう一人の担当官、アーサーの困っている様子が音声から伝わってくる。

「けれど、君レベルのハンターでないと頼めない、教授を拉致した人物はレリックの幹部の一人らしい」

「詳細は」

「指揮をとっている人間はレリックドーン幹部いう事以外不明、目的は恐らく、我々が教授に依頼した推定ランクAの秘宝と半ば終了していた分析結果の奪取、目撃者の話では構成員は約4名、手口から見て全員訓練された人間だ、実行犯がそれだけの人数となると、実際には6名ほどのチームだろうね」

「彼の価値をちゃんとわかっているじゃないか」

「そうだね」

「アーサー」

遠い昔に想いを馳せる。

「多少、どころじゃない、彼は俺の親友だ」

正確には父と自分の、と言うべきだろうか。

幼い頃から大人達の中で育ってきた玖隆に、子供の遊びを教えてくれたのは、父と、ベルガー教授だった。

ボトルシップ作りと釣りが趣味の、気のいい、優しい男。

「わかった」

玖隆は『宝探し屋』の顔で端末の向こうに答える。

「教会に了解の連絡を、現時刻をもって着任、任務開始とする、必要資料は全て俺の端末宛に送信してくれ、必要なツールの類も全部、頼む」

「うん、了解、今件のサポートは僕が引き受ける、直通回路の使用を許可、同行者の派遣手続きを開始するよ、それと、GPS経由の追跡ツールをこれから転送するから」

「とりあえずはどこへ向かえばいい?」

「アメリカ、ニューヨーク州へ」

「なあ、ところでアーサー、マリアは?」

受信口から苦笑いの気配が伝わってきた。

「ごめんね、今は別件で手が離せないんだ、頑張るから、今回は僕で我慢してもらえないかな?」

申し訳なさそうな声に、玖隆は間を置き、フフッと笑う。

「アーサーがいてくれたら十分だ」

「ありがとう」

それじゃあ、頑張ってねと、通信が切れる。

直後に端末へ、ツールと資料の類が送られてきた。

状況を頭の中で整理しつつ、歩き始めた玖隆は、もう何年も会っていない、ベルガー教授の気のいい笑顔を思い出していた。

 

そして今―――

玖隆は病院の一室にいる。

 

花瓶に生けた花の香りをかいで、ベッドから上半身だけ起した女性は、いい匂い、と微笑んだ。

「いつも有難う、これは、薔薇?」

「そうだよ」

「ウフフ、優しい香りね、とても幸せな気分になるわ」

「そう」

良かった、と答えて、ベッドサイドの簡易椅子に腰掛けながら、玖隆は彼女の姿を見つめる。

―――今回の失敗で、失ってしまったものは、限りなく重い。

検視の結果では、ベルガー教授は殺害されてから、爆発に巻き込まれたらしい。

喉に大きな刃物による裂傷と、多量の血液が周囲に散っていた。

娘のアンナも同様に、命までは奪われずに済んだものの、大怪我を負わされて、おまけに爆風をまともにくらい、体のあちこちに怪我と火傷を負ってしまった。

爆発は恐らくレリックドーンの人間が引き上げる際、壁を爆破するためにダイナマイトの類を使用したものと推察される。

(どこまで―――どこまで暴力的な奴等なんだッ)

憎しみと悲しみが一緒くたになって胸の奥で渦を巻く。

何より、至らなかった自身が最も口惜しい。

アンナの、体の怪我は衣服を着れば目立たないけれど、恐らく一生痕が残ってしまうだろう。

彼女の手足を見るたびに、言い様の無い感情で息が詰まってしまう。

秘宝と関連書類も全て、レリックドーンに奪われてしまった。

諜報部の調査の遅滞もあって、玖隆と同行者に今件においてマイナスが課せられるようなことは無かったけれど、そんな問題じゃない。

苦笑いで済ませられるような状況ではないのだ。

彼は―――ベルガー教授は、死んでしまったのだから。

「晃」

膝の間で握り締めた両手を睨み続けていた玖隆は、顔を上げた。

「何?」

アンナは僅かに口ごもってから、あの、と、優しく微笑みかけてくる。

「違っていたらゴメンなさい、貴方が、何だかとても怖い雰囲気になっていたから」

「ああ、ごめん、黙っていたからかな」

「いいの、ただ、その」

俯き加減に、今度は憂いの表情を浮かべている。

玖隆は伸ばした手でアンナの片手をそっと掴んだ。

「俺なら大丈夫だよ」

「ええ」

「君にそんな顔をさせたくて、見舞いに来たわけじゃないんだ、本当にすまない、疲れているんだと、許してやって欲しい」

「ううん、ごめんなさい、私のほうこそ、貴方に謝って欲しくて言ったわけじゃないの」

ただ、と呟く。

アンナの両目を覆う、分厚く巻かれた包帯―――

現場での発見時に出血していた顔面の傷は、こめかみから両目にかけて一息に刃物で切られた傷だった。

彼女の瞳は、二度と景色を映せない。

それどころか、顔面に、生涯消えない醜い傷跡を、アンナは受けてしまった。

アーサーが転送してくれた写真の中で微笑んでいた、美しいアイスブルーの瞳の女性。

長く綺麗な黒髪も、治療のため短く切り取られて、今は見る影も無い。

玖隆はアンナの顔を、じっと見詰めていた。

「ただ?」

「貴方が―――私や、パパの事、また気にしているんじゃないかと思って」

光も、父も、全てを理不尽に奪われたアンナは、それなのに何処か穏やかすら覚えるほど落ち着いた口調で言葉を続ける。

「晃、貴方は悪くないのよ、だって私のこと、助けてくれたし、こうして何度もお見舞いにまで来てくれて、もうお仕事は終わっているんでしょう?」

玖隆は答えられない。

確かに、協会の『依頼』は、最悪の結末ではあったけれど、すでに完了している。

次の依頼も多数舞い込み、玖隆は相変わらず多忙を極めていた。

それでもアンナの病室に度々こうして顔を出しているのは、玖隆なりのけじめをつけたかったからだ。

ベルガー教授はただの保護対象人物でなく、自分と父親共通の親友だった。

泣かれると嫌だと思ったけれど、玖隆自ら連絡を入れたとき、父は、何より息子の心配をしてくれた。

だから泣けなかった。

教授の葬儀にも出席したけれど、アンナの事を思うと、やはり泣けなかった。

大切な人を守れなかった事実が、再び暗く胸に圧し掛かる。

リングを握り締めて空を仰いでも、今更翼を片方押し付けて空へ解き放った彼に縋るわけにはいかない。

ただ、堪えるしかなかった。

この痛みが消えるまで、贖罪と、そして許しを求めて、玖隆はアンナの病室に通う自身を知っていた。

「俺はひどい男だ」

苦笑いで呟くと、アンナの盲いた瞳がこちらをじっと見詰めている。

玖隆は空いているほうの手で、彼女の髪にそっと触れた。

「自分のエゴでここへ来て、今また君を悲しませている、本当に、最低の男だ」

「晃」

「ごめん、アンナ、初めての出会いがこれじゃ、恋もできないよな」

娘のアンナの話は、ベルガー教授から時折聞かされていた。

自分に似ないで妻に似た、美しくたおやかな娘だと得意げに話す姿が今も目裏に浮かぶ。

いつか君に会わせてあげるよ、晃。

ベルガー教授がそう言うと、父は決まってそれなら晃を嫁さんにもらってやってくれと言うものだから、逆だろうと2人で何度も笑った記憶が脳裏を掠めていく。

ゆっくりと髪を撫でる、手の動きにそっと寄り添いながら、アンナのもう片方の手が、握られたままの玖隆の手の上に重ねられた。

「いいえ」

真っ白い病室の、ほんの少し開けられた窓から、柔らかな風が吹き込んでくる。

白いカーテンが翻って、差し込む光がちらちらと揺れていた。

「そんな事無い」

アンナ、と呼びかける。

両目の包帯は、じきに取れると聞いていた。

その頃には恐らく退院もできるだろう。

玖隆は少し前から、自分の胸の中に、罪悪感とは別の感情が芽生え始めていると、気付いている。

「私は、貴方が好きよ、晃」

優しい声だ。

例え、世間一般的にどう評価されようと、今のアンナの姿は、まるで女神のように見える。

触れ合った掌から熱が伝わってきて、それはまるで慈しむように玖隆の内側に広がっていく。

アンナの言葉の一つ一つが、心の水面に癒しの波紋を生み出していく。

「好きな人を、酷く思ったりなんてしない、そんな風に言わないで、貴方が悲しいと、私も悲しい」

「すまない」

「いいって言っているじゃないの、もう、強情な人ね」

くすっと微笑んで、アンナの手が玖隆の腕を伝い、ゆっくりと上にのぼってくる。

身体を近づけて触れやすいようにすると、指先が喉を確かめて、唇に至った。

「顔を触られるのはイヤ?」

「構わない」

そのまま唇をゆっくり撫でて、頬に触れ、鼻梁をなぞり、目のくぼみ、耳の形、そして、顎をなぞって、離れていく。

「貴方の事、私もパパから話だけ聞いていたけれど、想像していた通り、とてもハンサムね」

「そうかな」

「彫が深くて精悍な顔立ちよ、私、貴方の顔がとても好き」

「ありがとう」

「ねえ、晃」

アンナは急にハッと口を噤んだ。

そして俯くので、すぐに察して、玖隆は髪に触れていた掌で、アンナの頬をそっと包み込んだ。

ピクンと肩が震える。

「―――君の顔も、とても好きだよ、アンナ」

耳元で囁くと、不安に満ちた表情がおずおずとこちらを見上げる。

病室を訪れる看護士の前ですら健気に微笑んで見せる彼女は、唯一玖隆の前でだけ、時折、こんな顔をしてみせる。

想いが伝わっていたから、玖隆はそんな時、アンナの惧れを除く努力に全力を注いだ。

風が華奢な襟足や、自身の日焼けした太い首の辺りを掠めて通り過ぎていく。

促されるように、自然に、吐息が絡み合っていく。

長く、深い、慈しみのキスを―――

握り合った掌が、僅かに強く、互いを引き寄せあう。

「―――晃」

「―――うん?」

「貴方は、私の事、好き?」

首に掛けてあるリングが、かすかな金属音を立てた。

過ぎ去っていった面影たちが、脳裏を掠めていく。

(誰も、俺の、大切な人だ)

愛情の程度なんて比較できない。

ジョーゼットも、皆守も、いつでも等しく愛している。

「好きだよ」

玖隆はアンナに囁きかける。

君の事も、俺は、掛け値なしに愛しているから―――

嬉しそうに微笑んだアンナに、玖隆はもう一度唇を重ね合わせた。

大切なものがまた増えてしまうのかと、皮肉な心が自身をあざ笑うように呟いた。

 

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