―――ささやかな式が終わり、今は二人きり。

玖隆は窓の外を見ている。

外は雨で、ガラスの向こう側を幾つも水滴が流れては落ちた。

「せっかくの、めでたい日だってのに」

「なあに?」

ポツリと呟いたはずの声が、いつの間にか傍に来ていた姿に気付かれて、振り返りながら苦笑を浮かべる。

そこにあったアンナの笑顔は野に咲く可憐な花を連想させた。

「外は、まだ雨なの?」

「ああ、そうだよ」

「雨の音が聞こえるわ」

フラリ、と歩き出す足元に、サッと手を伸ばして指先を絡め取る。

そのまま優しく導けば、アンナは玖隆の胸元に凭れるようにして窓辺にたどり着いた。

掴んだ指先をガラスの表面に触れさせて、甲を包み込む。

アンナの細い指が冷たいガラスをそっとなぞった。

「静かね」

「ああ」

二人の呼吸と雨だれの音。

今はそれ以外、何も聞こえない。

玖隆はアンナの退院を待って、正式に彼女に結婚を申し込んだ。

もとより、流浪の身、おまけに明日をも知れないような日々を送る自分が、何を血迷ったのかと揶揄する気持ちもあるけれど、玖隆はそれ以上に何かの形で、絆を、弔いを、そして、償いをしたかったのだった。

救うことのできなかった親友。

その娘にも、力及ばず、むごい仕打ちを見逃してしまった。

この婚姻は紛れもない、自身のエゴそのものだ。

自覚がある。

泣く事すらできなかった友を悼む自分のため、未だその過去を引きずっている自分自身のために、アンナの人生を背負い込もうとしている。

償いきれない罪悪感の、せめてもの自身に課す十字架として。

(つくづく、愚かしい人間だな、俺は)

そんな愛情で、誰かを幸せにすることができるのだろうか。

けれど―――玖隆のプロポーズを受けて、アンナはまるで朝靄の中に香るひなげしのように微笑みながら答えてくれた。

「私でよければ、喜んで」

優しい彼女の愛情に、溺れているのは自分の方だ。

胸元に凭れるアンナの髪をそっと撫でれば、窓ガラスに触れていた指先が反転して、手を握り返してくれた。

玖隆は耳元に唇を寄せて、軽く触れる。

「アンナ」

「―――晃」

私、幸せよ。

玖隆はアンナの横顔にじっと見入る。

右から左のこめかみにかけて。

おぞましい傷跡は歪に肉が盛り上がり、恐らく多くの人が嫌悪するだろう。

いや、それだけでない。

彼女の体には、他にも無数のケロイド痕が広がり、裂傷の跡も数え切れない。

その全てがあの一件の合間にもたらされたものであり、以前のアンナの姿は、写真の中でたおやかに微笑む、色の白い、肌の綺麗な、美しい女性だった。

玖隆は唇でこめかみの傷跡に触れた。

そのまま瞼の上にキスを落として、細い肩を少し強く引き寄せた。

愚かしいのは誰なのか。

知る術など無い。

けれど、胸の内を見透かすようなアンナの言葉に、今はただ縋っていたかった。

「ああ」

俺もだよ。

「俺も、幸せだよ」

幸せそうな姿に、こみ上げてくるものは、紛れもない愛情と、そして深い罪悪感。

相変わらず下げたままのリングが首元でかすかに音を鳴らす。

この、リングの事や、約束の話をしても、アンナは「構わない」と言ってくれた。

それが玖隆にとっての大切な過去ならば、自分にとっても愛すべきものだと。

(過去、か)

皆守の面影が胸の奥でちらついていた。

ジョーゼットの姿も。

過ぎ行く影は、何もかも思い出であり、過去なのか。

だとすれば、この先どれだけ、自分はこのような想いを抱くことになるのか。

それを背負って生きていくことになるのか。

―――ジョーゼットの願いは、とてつもないものだったんだな。

ガラスの向こうは鉛色に曇った空が重く垂れ下がり、雨も当分止みそうに無かった。

今はこの温もりだけがあればいい。

寄り添う二人は、まるで互いの痛みを支えあうかのように、いつまでもそのまま佇んでいた。

 

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