「このままでは、君の特待生としての資格を剥奪する事になる」
事務室で、けれどとても深刻な話をされているというのに、皆守はどこか上の空で重厚な作りの椅子に腰掛けている机越しの教授の顔を眺めているだけだった。
様子に相手は間を置いて深いため息を漏らす。
「一体どうしてしまったんだ、皆守君」
「何がですか?プロフェッサー」
「―――以前の君の学ぶ事に対する熱意は、どこへいってしまったんだ」
皆守は答えない。
渋い顔のまま手元の資料を一瞥して、教授は再び皆守を見上げた。
「言っていなかったのだけれどね」
「はい」
「僕は、君の事をかっていたのだよ」
「そうですか」
「だが君には失望した」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「もういい、下がりたまえ」
くるりと踵を返す。
歩き出して、ドアを開いたところで、背後から「今の話をよく考えておくように」と、声が背中を追いかける。
正午の光が重苦しい雰囲気をやけに和やかに摩り替えてしまって、状況は逼迫しているはずなのに、皆守は僅かも動揺しない自身にむしろ驚きすら感じていた。
やはり、と、所詮、が、胸の虚ろで渦を巻いている。
ノブを戻すと携帯電話の一つが鳴った。
メール着信元は、パトロンの一人だ。
今度は一体どこを舐めて欲しいのだろうか。
パタンと画面を閉じて、ふらりと行こうとした、その時。
「Sie!」
皆守は振り返る。
「heissen Sie!」
廊下の向こうから小走りに近づいてくるのは、シルバーグレイの髪に、グリーンの瞳の背の高い男性―――しかし、口にしている言語は英語では無い。
(ドイツ語?)
怪訝に立ち止まった皆守の正面にたどり着いた男性は、およそ、2メートルを軽く越えているだろう。
何事か問いかけてくる。
「Sind Sie
Japaner?heissen Sie?」
「あ、や」
「Ja!」
「えッ」
「Sie sind
Japaner also doch,Sagen Sie mir bitte,Und
Wie heisst du?」
「いや、その」
「―――Possibly?」
唖然としたままの皆守にようやく気が付いて、聞き覚えのある単語が男性の口から発音された。
皆守はホッとひと心地つく。
言葉の通じない状況というのは、案外不安にさせられるものだ。
「I am sorry,Will
you speak in English?Please」
あえて丁寧に促すと、途端、男性はニコリと、イタズラめいた笑みを浮かべたのだった。
「sorry―――そうか、君は、英語は話せるんだな?」
「えっ」
皆守は目を丸くする。
ここへ来て久々―――本当に、久しぶりに耳にした、懐かしい響き。
男性は流暢な日本語で話しかけてくる。
「唐突にすまないね、いやはや、ここに日本人の学生がいるとは思わなかったものだから、つい興奮してしまって」
「あの、あなたは」
「ああ、失礼した、自己紹介もしていなかったとはすまない」
僅かに困った表情で笑う。
雰囲気がとてもなつっこい。
「私はアルフレートだよ、姓は水代という」
考古学者なんだと言いながら、衣服のあちこちをパタパタと叩いて、再び困った表情と共に暫く黙り込むと、急にパッと瞳を輝かせて、内ポケットからボロボロの紙片を抜き取り、差し出してきた。
うっかり受け取ってしまって、仕方無しに、氏名と肩書きだけの汚れた印刷面を眺める。
「考古学者?」
「うん」
見上げればまた笑顔だった。
皆守は妙にむずがゆいような、居たたまれない心地がして、思わず視線を逸らしてしまった。
(何をやっているんだ)
益々動揺してしまう。
(俺は、何を戸惑っているんだ?)
「ところで君」
水代と名乗った男性が顔を覗き込んできた。
「よければ君の名前も教えてもらえないかな?」
「あ、俺、は―――」
ハッと気付いて開きかけた唇を、一瞬閉じた。
「―――私は、皆守甲太郎といいます」
「ミナカミ!どんな字を書くんだい?漢字で書いてもらえるかな?」
再度慌しくあちこち探ってまわると、今度はズボンのポケットからボロボロの手帳を取り出して、適当に開きながら、同じく塗装が剥げかけて錆びかけたペンを差し出された。
(何なんだ、こいつは)
ペンは少し書きづらかった。
ためし書きをしてから、ようやく出てきたインクで文字を綴ると、受け取った水代はきっちり三度読み返して、深々とため息を漏らした。
「ほうほう」
背丈はかなりあるし、恰幅もいいのに、どことなく小さく見えてしまうのは、猫背気味な姿勢のせいだろうか。
皆守の身長に合わせて屈んでいるのだろう、それが、何となくおかしく思えてしまう。
(俺なんかに合わせることないだろうに)
初対面のはずの水代から強い既視感が漂ってくる。
(何故?)
それも併せて謎だった。
唐突に出現して、渡米以来誰にもなびかなかった自分の足を止めさせた男。
(どこかで会っているのか?)
―――いや、そんなはずはない。
「なるほど、皆を守ると書くんだね」
Schild、と呟いて、水代は続けて名前を読み上げた。
「Panzer、それと、確か太郎という言葉は日本語で男子を指したかな、うんうん、格好いい名前だ」
瞳を細くして、皆守の頭のてっぺんから爪先まで見回して、頷く。
途端気恥ずかしいような気分がこみ上げてきた。
深いグリーンの瞳が、何故か酷く懐かしい。
(そうか)
ようやく―――皆守は思い至った。
水代の瞳は、よく似ている。
かつて自分を混沌の縁より掬い上げ、その背中を追いかけてこんな場所まで来させてしまった、まるで薄情でとんでもなく魅力的なあの男に。
容姿というより、まとう雰囲気が似ている。
どこか開放的で、大らかな、頼もしい気配、熱意溢れる真っ直ぐな瞳。
向き合う相手の心を惹き付けて放さない。
「SchildにPanzer、君はMittelalter der
Ritterのようだね」
言葉がまた分からなくて、けれど今度は皆守の表情にすぐ気付くと、水代はまるで玖隆のようにニッコリと微笑んだのだった。
「まるでナイトのようだと言ったのだよ、皆守甲太郎君」
(次へ)