詳しい話を聞けば、水代はフィールドワーク専門の考古学者で、さまざまな遺跡の発掘及び調査を頻繁に依頼されているらしい。
ここを訪れたのも、この大学にしか保存されていない資料が必要で、仕事のため数ヶ月は滞在する事になりそうなのだと説明してくれた。
「学長がね、それなら、部屋を一つ用意するから、資料を貸し出す替わりに、特別講師として週に一度か二度、講壇に立って欲しいと頼まれたんだ、まあ、僕も若者にお説教するのは嫌いじゃないからね」
皆守が連れてこられたのは、水代が滞在中に貸し与えられた彼の研究室だった。
これほど雑然とした状態に、たった三日で成り果てたらしい。
整頓が苦手なんだと水代は照れ臭そうに後頭部を掻いてみせた。
「でも、妻と息子は整頓上手でね、まるで魔法みたいに、アレはこの棚、ソレはどの棚って、言ったらすぐに取り出して見せるんだよ」
愛しげに家族の話をする水代や、想われている家族たちが、皆守にはほんの少しだけ羨ましい。
「けど、構わないんですか?」
「何がだい?」
「水代さんは、仕事でここにいらっしゃるんでしょう?」
「ああ、うん、平気平気、仕事はね、半分趣味だから」
朗らかに笑って、手近な資料を取り上げて開く。
「近代文明や未来を追いかけるのも素敵だけどね、でも僕は、むしろ埋もれた叡智にロマンを感じているんだ」
「ロマン、ですか?」
「そうだよ、だって、古代人はこんなに多くの素晴らしいものを残しているじゃないか、ギザのスフィンクス、インカ帝国の空中要塞、ユカタン半島のチチェン・イツァー、どれも魅力的だ、日本には確か、温故知新という言葉があったよね?」
「ええ、まあ」
「僕らの仕事はまさにそれだ、かつてどんな目的を持って、どんな意図で、どのようにして彼等は文明を築き上げたのか、彼等のみ知りうる知識と技術、それを見つけ出し共有する事が、何より楽しい」
本を閉じて瞳を瞑ると、何事か想いを馳せている、水代の頬は興奮して僅かに上気している。
様子があまりに無邪気で、皆守は知らぬ間に微笑んでいた。
「数多に散らばる事象から、真実のみを見出すんだ、それはとても大変な事だけど、とてもやりがいがある、僕は君にとっても、考古学がそういうものであれば、とても嬉しく思う」
君にその気があるのなら―――
再び目を開き、差し出された手を、皆守はじっと見下ろした。
「僕の知識を、君に分けてあげよう、君が少しでも望みに近づけるように、その手伝いをしてあげよう」
皺だらけの、節くれた、ボロボロの手。
日に焼けているし、傷跡や、治りかけの傷があちこちに残っている。
けれどそれは、紛れもなく歴史を持った手だった。
快楽を求めて体に触れてきた彼や彼女たちよりも、ずっと魅力的で好ましい。
この手をどれ程待ち望んだだろうかと、感慨深い思いが胸の奥に沸き起こるようだ。
(現実はいつも、俺なんか到底及びもつかない状況で進んでいくな)
人生は皮肉だと、言ったのは誰だっただろうか。
皆守は手を伸ばす。
硬い握手を交わすと、水代の手は暖かかった。
「よろしくお願いします」
自然と頭が下がった。
繋いだままの腕を軽く上下に振って、水代はただ「うん」とだけ答えた。
「本当に、今日は僕にとっても幸運だった、君に出会えただけでも、ここへ来た意味があった」
起き上がると、皆守はそっと手を離す。
「水代さん」
「うん?」
「けど、何故ですか?」
―――まだ、腑に落ちないことが一つだけあった。
(この人はどうして、こんなにも俺に良くしてくれるんだろうか)
そのことだけ、理由がまるでわからない。
ほんの数時間の間にたくさんの出来事が巻き起こって、疑ってもいいような状況のはずなのに、水代の人柄がそんな余地を全く挟ませなかった。
皆守はあっけなく信じて、結果大きなチャンスを捕まえた。
けれど、水代に気に入られたそもそもの原因だけ皆目見当もつかない。
偶然廊下で出会っただけの、素性も知らない東洋人の若者相手に、一体どう言う風の吹き回しか。
思い切って尋ねた皆守に、水代は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「え?」
すぐ、隠し事がばれた子供のように、バツの悪そうな表情で「君に一目ぼれしたからだよ」と返ってくる。
「は?」
咄嗟に敬語を忘れた皆守に、水代の頬がますます照れ臭そうに赤く染まった。
「えーとね、その、僕は、実は、日本人が大好きなんだ」
皆守は唖然として言葉も出ない。
「人柄もそうだけど、外見も好きでね、僕の妻も日本人なんだよ、息子は僕の血が混ざっているから純血の日本人ではないけれど、二人とも綺麗な黒髪をしているんだ、君の髪も真っ黒で綺麗だな、とても羨ましい、僕の髪はどうしてシルバーなんだろう、僕も黒髪が良かったよ」
(まさか、それだけの理由なのか?)
「それに、ここで東洋人の学生は初めて見みるからね、つい興奮して声をかけてしまった、けれど、君は僕を邪険にせず、漢字で名前まで書いてくれたじゃないか」
「それは」
「君みたいな生徒はあまり見かけないよ、僕らは初対面だと言うのに、君は僕の話を真剣に聞いて、考え、答えてくれた、それに僕は、君が」
言いかけて、水代は不意に言葉を切った。
そして、暫く皆守を見詰めて、ニッコリと微笑む。
「君にはきっと、可能性があるよ」
「えッ」
「息子がね、以前とても不思議なことを言っていたんだ―――聞いた限りではあまり好ましくない人物の可能性を、とても嬉しそうに話していた」
「可能性」
「僕も、君の中に、さっきそれを見つけた」
水代の手が、皆守の肩をポンと叩く。
「僕も息子と同じ気持ちになったんだと思う、だから、僕は、君への支援を惜しまない、もっとも、君も努力しなければいけないよ?叶えたい願い事があるなら、尚更ね」
―――やはり、つかみ所のない人物だ。
皆守は、なんだか笑えてきてしまった。
自分がいつも考え過ぎて、結局後ろを向いてしまう性質だからだろうか、直感を信じて突き進む水代の姿は、頼もしい反面、少し羨ましい気もする。
「はは、ハハハ」
思わず声に出して笑ったら、水代は驚いた顔をして、それから、同じ様に声を上げて笑い始めた。
「アハハハハ!」
皆守も負けずに笑う。
散々笑い合いながら、そういえばこんな事も久しぶりだと気が付いた。
天香学園にいた頃、玖隆が傍にいたときだけ、同じ様によく笑っていた気がする。
どうしようもない自分を、全部思い切り笑い飛ばしてやりたい。
玖隆もここにいれば、同じ様に笑ってくれただろう。
(部屋に戻ったら)
引き出しの奥にしまいこんだリングを、もう一度嵌めなおそう。
そして濁りきって滞留した関係を、全て断ち切ってしまおう。
笑いすぎて咽た水代の背中を慌ててさすってやりながら、皆守は静かに、これからの日々と向き合っていた。
鳥の影が、窓の外の青空を切り分けて、彼方へ飛び去っていった。
(次へ)