「内側もツタだらけか、やれやれ」
即席のトーチに火をつけ、片手で掲げながら、もう片方の手にはアーミー仕様のナイフ。
ロゼッタ協会所属のハンターは標準装備で暗視機能も付属したアイスコープを着用しているが、デスク専門であるコンラートにそのような装備は支給されていない。
狭い通路を縦列で進みつつ、背後では早速、専門家による調査が開始されたようだった。
「これは、まさかナスカ文明、中期のものか、後期ではないな、そこまで描画技巧が発達していない」
「首の絵が多いな」
「南米のこんな場所にナスカの特徴を持った遺跡が存在するなんて」
「おい、カラス」
「その呼称は止めてください、ミスタープラヴァー」
「お前こそやめてくれ、コードネームにMrをつけるなんて、悪趣味だとは思わんのか」
立ち止まった玖隆は、振り返って、後続の不満顔にフンと笑って見せる。
「行き止まりだ」
遺跡内部に侵入して、まだたった50メートル。
手の甲でコンコンと叩いた壁には、憤怒の形相の神が威嚇をしている。
「ワニ、いや、トカゲか?」
「ヘビじゃないのか、どちらにせよ、何か秘められたものが眠っている気配がするな」
「けれど、通路は一本道でした」
「ああ」
二人は薄暗い景色の先に見える、仄かな外界の光に瞳を細くした。
「壁はツタまみれだが、仕掛けのようなものも何も存在しなかった、もっとも、そんなものがあれば、とっくの昔にここは盗掘者どもの餌食になっていただろうさ」
「守護者のようなものの存在も、ここに到達するまでの間、遭遇しませんでしたからね」
「必要がないってことだろ、この世は必然で成り立っている、つまり、そういうことさ」
「ミスター」
振り返ったコンラートが、トーチのあかりに照らされた玖隆の顔をまじまじと見詰める。
「あなたは時々、哲学的な物言いをする」
「親が学者だからな」
「その道を志すつもりはなかったのですか?」
「やめてくれ、それに、男に見詰められる趣味はない」
コンラートは壁に視線を移して、腕組みをする。
仕草にやれやれと肩をすくめて、玖隆は少しどいていてくれと、場所の移動を促した。
「何をするんですか?」
「さっきお前さんが俺に尋ねたことの答えだよ」
ついでにトーチを手渡して、壁を照らしておくように指示すると、表面に掌で触れながら何かを確認し始める。
やがて、一箇所にあたりをつけて、表面にナイフの先端をつきたてた。
「ミスター!」
「プラヴァーだ、仕事中はコードネームで呼べ」
「プラヴァー、壁画が傷ついてしまいます、まだ調査は終わっていない!」
「Time is moneyって知ってるか、優秀なハンターは機を見るのに敏感なんだぜ」
ガリガリと掘って、くぼみを作ると、そこにナップザックから取り出した薬瓶の中身を少量つめる。
「さぁて」
トーチを受け取った。
「クロウ、伏せてろ!」
屈みながら燃え盛る先端を傾げて触れさせた、途端。
ドカンッ、という爆発音と共に、衝撃で僅かに大気が震え、天井から砂が降ってくる。
飛び散った小石が体のあちこちにぶつかり、ようやく静かになった頃、恐る恐る顔を上げてみると、ヘビの神の描かれていた壁は無残な姿に変わり果てていた。
呆然と立ち尽くすコンラートの目の前に、破壊されたその向こう側から闇の奥へと続く通路が広がっていた。
「こんな人間は学者には向いていない、そうだろう?」
「確かに」
ずれたフレームをクイと押し上げる仕草に、玖隆はにやっと笑いかける。
「行くぞ」
トーチを掲げて、壁を踏み越えていく背後から、足音が続いた。
けれどその気配は酷く不満げで、玖隆はちょっと苦笑いを浮かべながら、トーチの灯を頼りに歩き続けた。
「プラヴァー」
どのくらい進んだだろうか。
「何だ」
ここは、遺跡の一角。
扉を押し開き、一通りあたりを調べてみると、この場所を建造するとき灯篭立てに利用したと思われるくぼみと、差し込まれたまま炭化した木材を見つけて、そこに灯油を浸した布を巻きつけ、火を灯し、簡易照明をいくつか作成した。
オレンジの光の中に浮かび上がった風景は、さまざまな色や形の壁画で埋め尽くされている。
幾何学模様や見事な曲線、たくさんの神と儀式を描いた古代の絵画は、今尚その色彩を失っていない。
長く人の手の入っていない証拠だ。
恐らく、有史以来の最初の訪問者が玖隆とコンラートだろう。
夢中になって調査する様子を時折横目でちらりと窺いながら、玖隆は諸事に備えて油断無く気を配っていた。
「先ほどの話ですが」
「うん?」
コンラートは壁画と端末を交互に眺めては、何か入力したり、写し取ったりしている。
「あなたのご両親は学者だとお伺いしました、お父様は、もしや、水代博士ではありませんか?」
「何故だ」
「以前、所長が話してくださったことがあります」
サンプルをいくつか採取して、ケースに仕舞いこんだ背中が、ようやく立ち上がり、振り返る。
「片付いたのか?」
「はい、先へ進みましょう」
灯を消して、再び暗闇をトーチ1本で照らしながら、歩き出す背後で声が続いた。
「無冠の天才、表舞台に出ることを嫌い、華やかな経歴などは何も持たないが、その知性の輝きは凡人にはとても伺い知る事のできない、こちらの世界では有名な御大、水代アルフレート博士」
「ハハハ、凄い通り名だな」
「多くのハンターが彼に助力を希うと聞きますが、多忙を極める博士が、そのどれよりも最優先で依頼を引き受ける相手が、この世に二人だけいると聞きます」
「誰だ?」
「かつての相棒であったハンター、そして、博士の最愛の一人息子、そのお二人だそうです」
「へえ」
「あなたの端末には、博士と直接アポイントの取れる回線が引かれてあるそうですね」
「所長はそんな話まで君にしているのか」
「はい」
闇の中、低い笑い声が響いた。
「成る程、秘蔵っ子って話は、どうやら本当らしいなあ」
「は?」
「クロウ、いや、コンラート」
「何でしょう」
「―――所長はお前を見込んでその話をした、だから、他言は無用だ」
「質問の正否は?」
足音だけの静寂を間に挟んで、玖隆の声が石造りの通路に反響する。
「あれは、ただの親バカだよ、いまだに息子離れできていないだけだ」
そして不意に歩みを止めた。
「プレヴァー?」
玖隆はトーチを掲げたまま、何かを窺っている。
「どうかしましたか?」
「聞こえる」
「は?」
「近いな」
「何が聞こえるんですか?」
同じ様に耳を澄ませて、コンラートは首を傾げていた。
玖隆は相変わらず身じろぎ一つしようとしなかったが、急に、ハッと振り返ると、即座にコンラートを見据えながら形相を変える。
「走れ、クロウ!」
返答する間もなく駆け出されてしまったので、わけも分からずその後に続いた。
全速力で走りながら、微かな震動に振り返ると、フッと冷気が頬を撫でる。
「前を見ろ、踏み切るぞ」
「えッ」
「死にたくなければ飛べ、あと5メートル!」
トーチで照らされた先に、赤いラインが見える。
「あと10歩ッ、ワン、ツー」
「冗談でしょうッ」
「飛べ、スリーッ」
がむしゃらな目算で、地を蹴った玖隆のあとに続いて、踏み切る。
すうっと足元の感覚が抜けて、そのまま落下していく感触に、全身が総毛だった。
「手を伸ばせ!」
死に物狂いで片腕を振り上げると、掌を力強く掴まれた。
直後に全身が思い切り叩きつけられて、一瞬、息ができない。
「クロウ、引き上げるぞッ」
何とかもう片方の腕も伸ばすと、そのままズルズルと引き上げられていく。
背後に接近した気配はいよいよ恐ろしいまでの轟音と共に石室を震わせ、しゃにむによじ登った石畳の上で、コンラートは両腕をついて咽るように呼吸を繰り返した。
やがて、押し寄せた大水が、二人が飛び越えた穴の底へ、瀑布のように流れ落ちていく。
飛沫のいくらかが服や髪を濡らしていた。
「危なかったな」
隣で玖隆も荒い息を繰り返している。
放り出したトーチが、数メートル先の地面で燃えていた。
「な、何だったんだ」
「トラップだよ、よくある事さ」
やれやれと立ち上がる気配。
玖隆がトーチを取りに行き、戻ってくるまでの間に、コンラートも何とか呼吸を整えて、ふらりと立ち上がっていた。
「遺跡探索にリスクはつきものってね、いやあ、ビックリしたなあ」
「そんな」
「ハハハ、お互い生きててラッキーだな」
はあ、とため息を漏らすコンラートの肩を、玖隆はポンポンと叩く。
「さて、行こうかカラス君、神秘の輝きが俺たちを待っているぞ」
「クロウです」
「Alles Klar!クロウ、次はどんな仕掛けがあるのかな」
「知りません」
歩き出す玖隆の後から、コンラートが続く。
水はいつの間にか全て闇の底に飲み込まれ、辺りは再びトーチの燃える音と、足音、それ以外は漆黒の静寂に包まれていた。
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