※こちらは『SHAPE OF MY HEART』後の完全捏造九龍大人Verです

6th-Encounter

 

 泣いていた少女は顔を上げて、少し驚いた表情を浮かべていたように思う。

彼女は、それでも涙を拭い、『アリア』と自分の名前を告げた。

 

某国所在の某研究施設。

と、いっても外観的には、ヨーロッパ郊外に多く見られる古い一般家屋のようである。

雨風に晒されてくすんだ色をした板張りの外壁、赤い三角の屋根の上には錆びかけた風見鶏。

敷地全体の規模は、およそ30,000平方メートル弱といったところだろうか、例えるなら、日本規格の学校規模程度の広さがある。

あちこちに自然のままの景観が―――聞こえ良く言えばそうなるけれど、手入れされていない野生の樹木や植物が、施設目的の妨げにならない程度に勝手気ままに生えているだけだ。

敷地の外には更に雄大な大自然が広がり、しかし、それらと施設敷地を隔てる壁のようなものは、精々が目分の等間隔で植えられた針葉樹程度しかない。

研究及び資料の保管庫目的で使用されている建物は2棟、それらはエル字型に配置されて、丁度角の部分からおよそ直線で結んだ先にごく小さな平屋が1棟あり、これは施設職員や滞在者の宿舎に使われている。

その、2棟ある施設を繋ぐ屋外の通路を、大量の荷物を両手一杯に抱えて歩く人影があった。

日差しは天高く掲げられ、季節は初夏の頃。

あちこちに咲き乱れるカミツレの甘い香りが大気に淡く漂う。

人影はため息を漏らす。

ここは昔、子供たちを教育する施設であったと聞かされた。

なるほど、そうして見れば、確かに、多少そういった面影が残っているようにも思う。

周囲にもかつては村があり、人が暮らしていたという話だが、今では風景に溶け込むように半ば崩壊しかけた家の残骸のようなものが施設の周囲にまばらに残るのみだ。

この施設は、地上部分にこそ都会の大きな本屋にでも行けば手に入るような文書や、古書店で扱うような類の古典がずらりと並び、さながら図書館のような様相をしているが、地下には入手困難、あるいは現在では入手不可能な、価値ある資料や書物の類が大量に保管され、それこそがこの古ぼけた建築物をして『施設』と呼称せしめている最大の理由であった。

更に、付近一帯を含めた施設の存在そのものが、地図には掲載されていない。

道程は最後の町から道なき道をジープで飛ばして一昼夜程度かかった。

すっかり尻が痛くなった頃、漸く到達した目的地を見て、最初は唖然としたものだ。

(まあ、大分慣れちまったが)

水代博士に連れられて、世界中を巡るようになってすでに数年。

まだ大学を卒業したわけではないから、長期間住居を離れる事はできないし、常に行動をともにしているわけでもなかったけれど、それでも、彼から与えられる知識、自身で見聞きした数多の事象、それに、肌で感じる風土や文化の違いなどが、経験や知識の幅を確実に広く、豊かにしてくれる。

何より、僅かでも前進している実感を得られることが心底嬉しかった。

抱えた書類がずり落ちそうになって、腕の位置を微妙にずらして持ち方を調整しようとした、その時―――

 

皆守は振り返る。

殆どパーマの取れかかった髪の、ひと房が風に揺れて視界を過ぎった。

目を凝らし、何事か確認しようと視線をめぐらせた、すると。

 

通路から見える先、開けた場所に生えた30メートルほど高さのある広葉樹の下で、一人の少女がしゃがみ込んで泣いていた。

両手で顔を覆い、小さい肩を震わせる様は、なんとも頼りなく悲しげだ。

 

(あれは何だ?)

瞬間的に混乱して、皆守は足を止めていた。

かつてここは児童育成目的で利用されていた施設だったかもしれないが、今は違う。

水代博士の話によれば、とある組織が保管庫兼研究施設として使用しているそうだ。

実際そのようだし、皆守は、組織について具体的な話は何一つ聞かされていないけれど、少なくともこんな子供が係わり合いのある場所では無いように思う。

それにジープで一昼夜かかる場所に少女の足でたどり着くはずも無く、そもそも施設にいたるまでの道標のようなものは何一つ存在していないのだ、運転手も方位磁針片手に地図と睨み合って運転していた。

それならば、同伴してきた大人がどこかにいそうなものだけれど、今のところ視界に入る人影は木陰にうずくまる小さな姿ひとつ、ただそれだけである。

(参ったな)

皆守はすっかり困惑して、眉間を寄せる。

抱えた荷物は紙の束と書類の入った筒などで、見た目以上に重量がある。

だから早く部屋に置いてきたいし、作業にもとっとと取り掛かってしまいたい。

水代の請け負った仕事内容は多岐に渡り、とんでもない量の調べものが弟子で助手の皆守に任せられているのだ、今日中には目途を立てておきたかった。

しばしの逡巡の後、ため息が漏れた。

皆守は束を抱えなおして、少女に向かい歩き出していた。

 

「おい」

大分近づいたところで呼びかけると、細い肩がビクリと揺れる。

覆っていた両手から恐る恐る顔を上げて、こちらを見上げた視線と目が合った。

まるで、ビスクドールのような面立ちの少女。

長い睫の下でキラキラと濡れている淡い赤紫の瞳、艶やかな漆黒の髪は腰まで届きそうなほど長く、フリルとレースをたっぷりあしらった青を基調としたワンピースを纏っていて、肌は血管が透けて見えそうなほど白く、滑らかだ。

皆守は一瞬目を奪われて、思わず言葉を失った。

けれどすぐ気を取り直すと、目の前の、はかなく頼りない姿に、できるだけ優しい声を心がけて口を開く。

少女はまだ随分幼い、まともな会話ができるだろうか。

「どうしたチビ、こんな所で」

黒髪なのであたりをつけて、日本語で話しかけてみた。

きょとんとしていたつぶらな瞳を、小さな手が懸命にぬぐって、真っ直ぐ皆守を見詰め返してくる。

「誰ですか?」

「聞いてるのは俺だ、名前は?」

少女が少し怯えた表情を浮かべたので、皆守は内心舌打ちをして、いかんぞと自身を戒めた。

(もう少し、優しく)

「あ、アリアは、アリアです」

震える声が答えた。

「アリアっていうのか」

「は、はい」

必死に受け答えする様子がいじましくて、皆守は僅かに和んだ。

「じゃあ、アリア、お前、こんな場所で何しているんだ?」

「パパを待っていました」

「パパ?」

施設には管理人数名と、作業員、それに、現在ここを利用している皆守と水代博士が滞在している。

誰のことだろうと皆守は考えを巡らせてみる。

「パパは、ここで働いているのか?」

「違います」

(は?)

一体どういう事だろうか。

再び混乱する。

「アリアは、今日パパがここに来るとアルからお電話を貰いました、そうしたらカナが、ここまで連れてきてくれました、アリアは早くパパに会いたくて、パパの事探していたら、わからなくなって」

それで、と再び俯いてしまう。

―――聞いたことのある名前が出てきた。

アリアはまた目に一杯涙を浮かべて、こちらをじいっと見詰めていた。

(そういや、似ている気がする)

瞳の雰囲気、そして、今当人が口にした二人の名前。

「アリア」

鼻をすすって、はい、と懸命に答えている。

「アルっていうのは、水代博士のことか?」

よくわからない様子のアリアに、改めて、水代アルフレート博士の事かと尋ねてみた。

「はい」

それなら、カナは、多分博士の細君である水代迦奈の事だろう。

アリアの存在が、これで漸く繋がったと、皆守は僅かにホッとしていた。

同時に、以前博士が自分には息子が一人いると話していたことを思い出す。

(なら、こいつは、その息子の娘ってわけか)

黒い髪に赤い瞳。

何か引っかかりを覚えたけれど、それが何なのか、考える前に意識は別の方に向いてしまった。

(博士の孫娘)

それならば、研究室に連れて行くのがいいだろう。

どのみち、このまま置き去りにはできない。

博士は急用ができたと言って暫く席をはずしていたが、なるほど、そういう事だったのかと、皆守はほんの少し笑ってしまった。

愛妻家で有名な水代博士のことだから、今頃は久しぶりに会えた妻を前にして、蕩けているに違いない。

アリアが不思議そうにこちらを見ている。

皆守は荷物を抱えなおして、何とか片手を開けようとしたけれど、どうにも無理なようだった。

だから仕方なく、少し身を屈めて、アリアの姿を覗き込むような格好をとる。

「なら、安心しろ、アリア、俺はその水代博士の手伝いをしている、博士の所まで連れて行ってやるよ」

「えっ」

「立てるか?」

間を置いて、アリアは立ち上がった。

スカートと膝についた土をパタパタと払い、またこちらをじっと見上げる。

先に歩き出すと、後を稚い足音が着いてくる。

普通に歩いているつもりだったのに、アリアは小走りになっているようで、気付いて少し歩調を緩めると、何とか追いついた彼女の小さな手が、不意に伸びて皆守のズボンをキュッと握り締めた。

立ち止まって振り返ると、大分息が上がっている。

その姿は木陰にいたときより随分健康的な印象を受けた。

白く瑞々しい肌に、濡れたような黒髪、洋の東西が混ざり合った妙を醸す造詣の、長い睫を瞬かせる瞳は紅茶色、背の高さは一メートルあるかないか程度。

可愛らしい、という表現がこれほどしっくり当てはまる少女も、そうないだろう。

皆守は軽く微笑んだ。

「もうちょっと、ゆっくり行こうな」

頷く仕草にまた笑い、アリアが追いつける程度の速さで再び歩き出す。

二つに増えた影は、やがて施設の中へと消えていった。

 

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