砂と砂利を踏んでいた靴底が、硬質な音を立てた。
静まり返った暗黒の石室。
仄かに、冷たい空気が頬を撫でる。
「スコープ無しじゃきついかな」
ゴーグルのスイッチをオンにして、先を行くジョンの後から皆守も続いた。
目的の地、崩れかけた石柱の隙間に潜り込むと、一メートル幅程度の空間があった。
天井までは恐らく二メートル弱程度、窮屈な足元から段が下へと続く。
暫く降りると、駄々広い空間に出た。
目の前に続く、人一人通るだけでやっとの足場の先、薄闇の中に、何かが見えた。
暗視スコープで足元を確認しつつ、注意深く渡っていく。
細い通路の両脇は底知れぬ奈落だった。
落ちたら多分、命は無いだろう。
「スナイプ」
呼ばれて最初、自分の事と気付けなかった。
「スナイプ、見てくれ、ホラ、あれは」
対岸に到着して、最初に目に付いた、半壊した異形の像。
四つの目、四つの耳、片手に何かを象徴した武器を振りかざす、その姿を見て、皆守は思わず呟いていた。
「マルドゥーク」
そうだね、と、ジョンの声が返ってくる。
皆守は像を見渡す。
古くは豊穣神として崇められていた、バビロニア神話における英雄神にして事実上の主神。
(その像が設置されているという事は)
「この神殿は、マルドゥークを祭っていたのかもしれない」
早速端末を開いて調査開始したジョンを見て、皆守もすぐ自分の作業に取り掛かる。
像を形成する物質や、経過した時間の計測、そして、形状及び技法などから推測される、年代や文化、歴史的背景。
故人の遺したあらゆる残滓を拾い上げて、ひとつの像を創り上げる。
水代は、考古学は芸術的側面も持っているのだと言っていた。
確かにその通りだろう。
彼の師事で携わったさまざまな遺跡発掘の場面で、皆守はつくづく思い知らされてきた。
生来の性質もあって、些細な事でも見逃さず、捕らえる。
闇の中、微かな人工の灯を頼りに、細かなツールを駆使して太古の謎を暴いていく。
ふと顔を上げて、周囲を見回した先、こちらを見ていたジョンとそのまま目が合った。
「うん」
何故か、突然頷かれた。
「流石」
「何」
「プロフェッサーの秘蔵っ子」
協会じゃ、結構噂になっているんだよ。
ジョンは笑う。
「Mr水代が目をかけている若者がいると、後を継がせるつもりではないかと、専らの噂だよ、もっとも、それ以上の情報はまだ知られていないのだけれどね、幸運にも僕は、稀代の天才の愛弟子に御目文字願えた訳だ」
「くだらないな」
「フフ、気質は師と正反対のようだね」
フンと鼻を鳴らして、皆守は再び作業に戻る。
正直に言えば―――そんな噂が流れていたのか、とか、認められたこと、嬉しくないわけじゃない。
(けど、そんなもんはあくまで副産物に過ぎないからな)
昔の自分とは違う。
皆守は台座を調査する。
(うん?)
不自然な隙間を見つけて、注意深く、へらの形のツールを差し込んだ。
少し力を入れると、カコンと外れる。
手に入れたのは雷の描かれたレリーフだった。
皆守はもう一度マルドゥークの像を見上げる。
片手に掲げているものは、恐らく雷の象徴だろう。
(けど、片手だ)
立ち上がり、台座に上って、もう片方の手を伺ってみた。
くぼみのようなものは何も無い。
レリーフを置いてみようかと思い、留まった。
(違う)
「スナイプ!」
ジョンの声に振り返る。
「来てくれ、こちらだ」
近づいていくと、壁面に描かれた巨大な赤色の円。
「これは、扉だ」
端末で数値を計測しながら、ジョンは表面を拳でこんこんと叩いた。
「けれど、鍵がかかっている、ドアノブも無い」
「開けられないって事か」
「何か、仕掛けがあるのだろう」
それは当然だ。
扉であるからには、開くに決まっている。
皆守が周囲をあちこち探っている間に、ジョンは赤色の表面を削り取ったものを懐から取り出した小瓶に入れていた。
先に入れられていた液体と混ぜ合わせて、反応を見ている。
それからおもむろに円を見上げて、唸り声を漏らした。
「オイ」
皆守はジョンを振り返った。
「見てみろ、隙間がある」
「どれかな」
「ここだ」
円の中央を真っ二つに裂く形で、細い隙間が刻まれてあった。
「成る程、ここから開くのだろうね」
「恐らく」
「けれど、鍵が無い」
「ドアノブも無いな」
ジョンがこちらをちらりと見たあとで、そのまま隙間を目で伝い、足元に視線を落とす。
スコープ越しに何かを追って、マルドゥークの像を見上げた。
「そうか」
近づいていく姿を、皆守は何をするのかと見送っていた。
ジョンは台座によじ登り、おもむろにナイフを引き抜くと、片方の腕を石像の開いている手の上に翳す。
「こういうのはあまり好きではないんだけどね」
苦笑いを浮かべたまま、刃で肌を切りつけた。
皆守はギョッと瞠目する。
あふれ出した液体が、そのままマルドゥークの手に零れ落ちていく。
「いきなり何してるんだ、あんた!」
暫く血液を滴らせると、ジョンは腕を引いて、台座から降りてきた。
床に座り込んで止血剤を取り出し、処置を始める。
傍に駆け寄って、皆守も手を貸してやった。
「イタタ、すまないね」
「一体これは何の真似だ」
「ほら、ご覧よ、スナイプ」
促されて振り返ると、床を何かが伝い流れていく。
(あれは、まさか)
「バビロニア神話に登場する、キングーをご存知かな?」
手当てのすんだ傷口に包帯を巻きつけながら、ジョンは僅かに楽しげな気配を滲ませている。
「女神ティアマトの二人目の夫で、しばしば月神シンと同一視される、あの赤色の円は、人の血液によって描かれていた」
「マルドゥークはキングーの体を裂き、その血から人間あるいは命ある水が生み出された」
「その通り」
「まさか、人の血液が?」
鈍い音がする。
重量のある物質が引きずられていく気配と物音が響き渡り、円の描かれた扉は、先ほど見つけた細い隙間から左右に分かれてパックリと口を開きつつあった。
「あたりだったね、良かった」
ジョンは手当てした腕を動かして、掌を握ったり開いたりしてから、おもむろによしと呟いた。
「問題ないようだ、扉も開いた事だし、先へ行こう」
「あ、ああ」
「少しは見直していただけたかな?」
皆守はちらと顔を見て、再びソッポを向く。
仕事中は喫煙しないと師匠と約束しているから、どうにも手持ち無沙汰な気分でため息だけ漏らした。
ジョンは笑いながら、再び先に一歩、暗闇の奥へ続く下りの段に片足を踏み出していた。
(次へ)