見覚えのある姿だと思った。

意識が不意に、数年前の天香時代に引き戻されたような錯覚を覚えた。

「貴様、ロゼッタの調査員、だな?」

いいやと皆守は首を振る。

「違うぜ」

「成る程、バディか、ハンターはどうした」

それなら、と言いそうになって、ハッと言葉を飲み込む。

彼等がここまで辿り着いたという事は、途中、ジョンを残してきた一室にも足を踏み入れたという事だ。

(けれど、会っていない?)

そうなのだろう。

存在だけは認識しているようだ。

(当然だ、バディだけで遺跡に潜るはずも無いからな)

補助輪だけで路上を走ることがないように、本体あってこその協力者といえるのだから。

「どうした」

少し苛ついた男の声に、皆守は逆に語尾を強くして言い返した。

「お前たち、レリックか?」

「だったらどうした」

銃口は相変わらず、逸れる事無く全てこちらに向けられている。

「ハンターはどこだと聞いている、質問に答えろ」

「そう簡単に口を割ると思うのか?」

「―――反抗するというのなら、こちらにも考えがある」

「待てよ」

ニヤッと口元が吊りあがっていた。

意図して行ったわけではない、勝手に、笑っていたのだ。

皆守は酷く張り詰めている神経と裏腹に、不可解な快感を身の内に覚えていた。

(何だろう、これは)

ずっと眠り続けていた何かが、突然目覚めてしまったようだ。

(俺は、何をしようとしている?)

思えば、玖隆の話を聞かされて以来、ずっと様子がおかしい。

水代の師事を受けて、勤勉に、ひたすら真面目に、誠心誠意、学ぶ事のみに情熱を傾けていたはずの自分が、突然目の前にちらつかされたごちそうを見て、箍が外れてしまったのか。

(今の俺は、以前とは違う)

翼も無く足掻いていた頃から確実に進化しているはずだ、けれど。

(今の俺は、あの頃の俺だ)

皆守は両腕をホールドしながら、少しだけ脇に逸れた。

「俺はただのバディだ、戦闘能力も無い、この銃も、単なる護身用だ」

それでも、指先はまだ引き金に添えられたままだ。

様子を窺いながら、ホルダに手を這わせて、ボタンを外すと、中から素早く銃を抜き取り、床に放り投げる。

「ご覧の通り、戦う意思も無い」

「ならば、ハンターの居所を言え」

「はぐれちまったんだよ」

いけしゃあしゃあと。

レリックは警戒を解こうとしない。

更に半歩ずれて、皆守は、だから判らないんだと繰り返した。

「調査に熱中しすぎちまってな、気付いたら、ここにいたんだ、俺はそもそも自分の探究心を満たすためだけに今回の同行を引き受けたのであって、元よりあんな無粋な奴等に手を貸すつもりなんて無かった、あちらさんはあちらさんで勝手にやってるんだろうさ、それとも、罠にでもかかって、どこかでおっ死んじまっているのかもしれないな」

「―――そうか」

どこか拍子抜けした気配。

皆守はヘラリと笑う。

「だが、今の俺は、命が惜しい」

更にずれる。

「こっちの隅でおとなしくしてるから、あんたたち、欲しいもの勝手に持っていっちゃくれないかな」

ついでに少しだけ見せてくれたら、俺としても大満足だから。

薄ら笑いと共に、ズルリ、ズルリと、すり足の横移動で壁際へ移動していった。

武装集団は暫く皆守に銃口を向けたままでいたけれど、不意に、先程から唯一口を利いていた人物が、片手で何か指示を出すと、威嚇は一斉に解除された。

次に下された指示により、一団は壁の穴から進入してくる。

一人が皆守に銃を向けて、残りの者達は秘宝の回収に取り掛かるつもりのようだった。

(さあて)

相変わらず卑屈な笑みを浮かべたまま、皆守は極めて冷静に動向を伺っている。

(何も起こらなければその時、だが、俺の目算が正しければ)

1人の兵士が巣に踏み込んでいった。

窪みの中央付近まで辿り着いたところで―――

「ぐあああッ」

絶叫と、鈍い音。

辺りに戦慄が走る。

「な、何!」

「ひいいッ」

ちらと視界の端に確認した、おびただしい量の血液。

「一体、何が起こったというんだ」

「わかりません、ただ、体が真っ二つに」

「くそ、トラップか!」

指揮者らしき男が兵に解除を命じた。

更に2人、巣の中に踏み込んでいき、そして―――

「ぐあッ」

「ぎゃああああ!」

絶叫、そして、静寂。

皆守に銃口を向けていた兵士も、いつの間にかそちらに首を向けたまま、ゴクリと喉を鳴らしていた。

誰も一様に呆然と立ち尽くしているようだった。

男の声がヒステリックに響く。

「どうなっているんだ、これは、一体」

「わ、わかりません、ただ、台座に近づこうとすると、何かが」

「クソ、クソッ」

毒づいて、怒りも露に、ふと振り返った眼差しが、皆守と鉢合わせる。

―――予感が通り抜けた。

「おい」

呼ぶ声。

(来たか)

「貴様、口ぶりでは学者か何かだな?」

「は?」

「つれて来い」

銃口を向けていた兵士が、皆守の腕を捕らえる。

無理矢理引きずられて前に突き出されると、男から蔑むような眼差しを注がれた。

「貴様にチャンスをくれてやろう」

「どういう意味だ?」

「うまく働けば、命だけは見逃してやると言っている」

さあ、と、再び腕を掴まれて、巣の淵に立たされた。

「見ろ」

皆守は僅かに眉を顰めた。

視界に転がる、人の残骸。

無残に切断された胴から臓物が覗き、どす黒い血が積まれた枯れ木や石に染み込んでヌラヌラと光っていた。

「台座に辿り着く前に、こうなる」

「憐れなもんだ、こいつらは捨て駒か」

「黙れ、お前には、このトラップの解除をしてもらう」

―――どのみち、死んだようなものだと。

(皮肉だな)

皆守は解放された。

武装集団は少し離れた場所へ下がって、様子を窺っている。

一呼吸置いて、目を瞑り、よし、と小さく胸の中で気合を入れる。

(やるぞ)

欺く事ならお手のものだ。

今まで何度も闇の底を這いずるような思いを味わってきた、死体だって、これが初めてじゃない。

(何より俺の手はすでに汚れている)

頭上を見た。

バビロニア神話の、戦う神々。

ティアマトが殺されるに至った経緯。

月神シンと同一視されるキングーは、ティアマトの二番目の夫であり、新たな神々を滅ぼすために生み出された怪物軍団の指揮を任されていた。

そのためにティアマトが彼に与えた至高の権威たる『天命のタブレット』

(混沌の海の化身たる女神は打ち倒されて)

典板は所持すべき神の手へと移された。

しかし、それが一度だけ奪われたという逸話がある。

(あの、壁画の鳥)

半獣半鳥の怪物。

台座には、正面を向いてカッと口腔を覗かせる龍の姿がある。

巣の四方に半ば埋もれかけている何かの影。

あれは柱だろうか。

(風の象徴)

そこから四辺を伝うようにして、細い管が繋ぎあわされている。

龍の口角には細い溝が刻まれていて、うっすら黒い染みのようなものが付着しているようだった。

溝は、管まで続き、よく見れば管にも細い溝がある。

しゃがみ込んで足元を注意深く探ると、一箇所妙な形の窪みを見つけた。

(何だ、これは)

顔を上げた先、正面に見据える光景と照らし合わせて、手近な石を拾い上げる。

勢いよく巣の中央付近に投げつけた、直後。

 

風を切る気配。

皆守は、漸く真意を掴んだ。

 

(けれど、これじゃ)

呻き声を漏らしながら再びしゃがもうとした、その時。

「いつまで待たせるつもりだッ」

背後で男の怒号が上がった。

ハッと振り返った皆守の視線の向こう、兵士たちが一斉に銃口を構える。

「いい加減にしろ、その気が無いなら、今すぐ死んでもらうだけだ」

「ま、待ってくれよ、このトラップは存外面倒で」

「戯言はいい、やれるのかやれないのか」

「現状じゃ解除は不可能だ、アイテムがなければ」

「では、死ね」

(マジかよ)

すでに我慢の限界を迎えていたようだ。

小魚でも食っておけと毒づきながら、緊迫した空気に、冷や汗が流れた。

蜂の巣にされるか、真っ二つに切り裂かれるか―――

「クソ、なるようになりやがれッ」

それは、漆黒の時代が終焉を迎える少し前、施された解けない呪に因る驚異的な動体視力を駆使して、弾丸が届く前に、ワイヤーに引き裂かれる前に、全てかわしてみせようと意を決した。

 

直後に銃が火を吹き、兵隊たちが取り乱す。

指示していた男がクルクルと回転して、何事か起こった後、笑い声が響いた。

 

Junge!」

 

放り投げられた物体。

咄嗟に受け止めれば、金色に輝く細長い彫像であった。

 

「矢だ!」

声は言った。

「早く、射て」

 

皆守は殆ど反射的に動いて、先程見つけた窪みに像を嵌め込んだ。

そして思い切りよく巣の中央へダイブする。

血にまみれた枯れ木や石の欠片にしこたま体を打ちつけながら、伏せた直後、ズガンと炸裂音が響き渡った。

見上げれば龍の口の中に件の像が突き刺さっている。

ガタンと聞こえた何かの作動音を認識して、すかさず立ち上がると、台座めがけて猛然と駆け出す。

背後で交わされる銃声、戦いの気配、誰かの怒号。

「プラヴァー!」

(何?)

石版に伸ばしかけた腕を止め、ハッと振り返ろうとした、瞬間。

 

『くおおん!』

 

轟いた。

獣の咆哮。

地の底から高速で近づいてくる。

端末からけたたましく警告音が発せられた。

高周波のマイクロ波を確認、強力なプラズマ発生―――

(まさかッ)

闇の奥から突如抜け出した、それは、漆黒の巨大な鳥の姿をしていた。

獅子の頭に、鷲の体。

「アンズー!」

出現はあまりに唐突で、皆守は咄嗟に、バビロニア神話において、嫉妬からトゥプシマティを奪った神殿の門番の名を叫んでいた。

(この遺跡の守護者か!)

やはり、そうだった。

神殿に安置されていた真の宝物は、ならば、紛れもなく、この石版だ。

「うわあ、わあーッ」

「出たぞッ」

「落ち着け、お前たち!」

バラバラと浴びせられる弾幕に怒り狂った翼が踊りかかっていく。

鋭い獅子の牙を剥き、猛禽類の爪を閃かせて、二度、三度。

翼が閃き往復するたび、立っている影が減っていく。

遂に最後の兵の首をもぎ取り、無造作に投げ捨てて、舞い上がった鳥は次の標的を石版の傍にいる皆守に定めたようだった。

嘶いて翼が大きく羽ばたく。

前進しようとした怪鳥の後ろ足を、鋭く放たれた鞭の先端が巻きついて引き止めた。

「こっちにおいで、カワイコちゃん」

銃声が響く。

狙撃された鳥は再び向きを変えた。

跳ね上がる鞭と、火を吹く銃口、誰かが、化け物と踊るように戦っている。

(あれは)

皆守は瞠目する。

(知っている)

俺は、知っている。

すでに風化した思い出、記憶にある、埃と硝煙、血の匂い、そして。

―――こんな光景を、姿を。

見たことがある、気配に、声に、覚えがある。

色鮮やかに甦る、本当に懐かしい、彼の。

「うわッ」

鋭い爪に強襲されて、バランスを崩した男の姿を認めた途端、皆守は地を蹴って駆け出していた。

「食らえ!」

飛び掛って怪鳥の胴に爪先を叩き込む。

銃など持っていなくても、もとより何ら問題は無いのだ。

(俺の本分は、そもそもこっちだからなッ)

ただ知識を学ぶだけでなく、ちゃんと鍛錬も積んでいた。

皆守の技は、かつてよりずっと洗練されていた。

Danke

スコープ下の口元がニヤッと笑い、再び体制を整えた男はそのまま力強く鞭を振るった。

怪鳥が悲鳴を上げる。

「まだまだッ」

打ち付ける翼を蹴り上げ、襲いくる牙を跳ね返し、巻き起こった風を強烈な脚力によって生み出した真空波で相殺して、合間に鉛球が羽毛の隙間に食い込む。

ただの人では到底抗う事などできない絶対的な力に打ち勝つ唯一の武器は、智恵と情熱、それだけだろう。

死に物狂いの猛攻に、漆黒の翼は徐々にその力を失い、鳴き声は様相を変えていく。

威嚇から苦悶へ、くおおんと、今際のような叫びを聞きつつ、皆守の蹴りと、男の鞭が、同時に最後の一撃を決めたようだった。

バッと舞い散る大量の黒。

怪鳥の姿は羽根へと変わり、視界を埋め尽くした、その向こう側。

 

スコープ越しに男の視線と、皆守の視線が、重なり合った。

 

艶やかな黒髪、日焼けした肌、連戦練磨のその風体。

何より―――襟元から覗く、仄かな黄金。

一瞬だけ煌いた、あれは、見間違えるはずも無い。

(約束の証)

手を伸ばす。

「なッ」

途端、羽根の向こうで、男は口の端を吊り上げて笑い、くるりと踵を返した。

「待て!」

降り注ぐ闇を掻き分けて、必死に捕らえようとする。

けれど届かず、壁の向こうに背中はひょいと消えた。

「待てよ、待ちやがれ、このッ」

周囲を覆いつくしていた羽根が、何の前触れもなく、突然全てパチンとはじけた。

「うわッ」

驚いて咄嗟に立ち止まってしまった。

細かな光の粒に形を変えたそれらは、すぐに消滅していく。

まるで、炭酸飲料に浮かんでは消える泡のように。

「あきらぁッ」

急いで駆け出し、穴から飛び出して、周囲を伺ってみたけれど―――

 

彼の姿は、すでに去った後であった。

 

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