「皆守君!」
埃っぽく淀んだ闇を抜け出し、ようやく外気を感じた瞬間、眩いライトが視界を奪う。
手を翳そうにも塞がっていて、やむなく瞳を眇めていると、細い視界に駆け寄ってくる人影が見えた。
「博士?」
「良かった、本当に良かった!」
傍に来た途端体中触られて、散々無事を確認された後で、そのままの勢いで思い切り抱きしめられた。
皆守は、ただ立ち尽くしていただけだった。
「やあやあ、お帰り、大変だったようだね!」
「あ、はい、まあ」
「何てことだ、君は、なんて肝の据わった若者なんだろう、僕は改めて君のことが大好きになりそうだよ」
「はあ」
「頑張ったね、本当に、よく頑張った皆守君、おかえり!」
段々腹の底がむずむずしてくる。
離れた水代博士は、改めて、皆守が両腕に抱えている石版を見て、興味深そうに瞳を丸く大きく開いた。
「天命の書板、トゥプシマティか」
「恐らくレプリカです」
「だろうね」
本物をヴァチカンが野ざらしにしておくはずが無いよ。
心底楽しげに笑う師の姿に、皆守もようやく少し笑顔が浮かぶようだった。
アンズーが守護していた地下祭壇から戻る間、正直、まともな精神状態ではなかったと思う。
ようやく繋がりかけた糸を必死に手繰るように、猛然と追いかけた。
坂を下り、連なる長い階段を駆け上って、わき目も振らず一直線に、息を切らし、足を跳ね上げ―――
(晃)
危地を救ってくれた。
あの男はいつだってそうだった。
(晃)
突然現れて、お構いなしに暴れまくり、嵐のように去っていく。
(晃!)
巻き込まれた者の胸に残るものなど考えもしない。
強気の笑みを浮かべながら、不敵に、大胆に、そして、たまらないほど魅力的に。
今も、立ち尽くしていた皆守は、ただぼんやりしていたわけでなく、瞳は、心は、最大出力で必死にその姿を探し続けていた。
案の定いないのだと認識した途端、落胆を含んだ空しい笑みが、唇からこぼれたのだった。
(またお預け食らったのか、俺は)
差し出された博士の手に石版を預ける。
「うん、よし、大収穫だ、任務も成功したようだし、これで本部も文句は無いだろう」
(そういえば)
「博士」
「何だい?」
ジョンは、と尋ねた。
皆守は、今の今まで彼の存在を失念しきっていた事に、ほんの僅か罪悪感を覚えていた。
まあ、仕方ないよなと自身に言い訳する。
2人を秤にかければ、それはもう、優先順位は明らかなのだから。
「彼なら大丈夫、息子が、いや、プラヴァーがこちらの支部に連れて帰ったよ、大丈夫、ちょっと見ただけだが、あれなら衰弱が回復すればきっと元気になるだろう」
「やっぱり来ていたんですか、彼」
「うん、そうなんだ」
「博士?」
「うん―――僕はこってり叱られてしまったよ」
「は」
「今回の事さ、確かに、些か冷静さを欠いていたように思う」
急にションボリする初老の紳士に、皆守はつい声を立てて笑ってしまった。
「あ、いや、すみません」
「いいんだ、本部から情報を受けた時は正直肝が冷えた、まさか、レリックが先行していたなんて、諜報部も情報を掴み損ねていたようだし」
水代は簡単に状況説明を始める。
遺跡発見直後、内部スパイによるリークが発生していたというのだ。
情報を掴んだレリックドーンは早速行動開始し、皆守たちがこちらに到着する前には、すでに最下層まで侵入を果たしていたらしい。
その時、地下神殿の台座にあった秘宝は持ち去られたのだろうという。
(奴等だったのか)
だが、それがかえって良かったのかもしれない。
もしはるか昔に盗掘者が盗んでいたとしたら、先程の危地は乗り切れなかっただろうから。
アンズーの巣に仕掛けられていたトラップを解く鍵、それこそが、件の彫像であり、台座に安置されていた秘宝であったのだ。
任務完了したはずの彼等が何故現地に残り続けたかに関しては、これは推論でしかないと前置いてから、水代は、恐らくロゼッタの将来有望なハンターを潰して追加点を稼ごうとしたのではないかと話した。
皆守も、ほぼそれで間違いないだろうと、得心がいった。
欲を出しすぎると、ろくなことが無い。
(ジョンとかいったか、あれは、案外有名だったんだな)
漸く、少しだけ彼を認められそうな気がしていた。
(まあ、悪い奴ではなかったが、なんにせよ俺も現金なものだ)
その後、ロゼッタの諜報部が漸く状況を察知し、本部に伝令して、今件を取り仕切る立場にあった人間から玖隆の元に依頼が発生したのだという。
玖隆は先に請け負っていた任務を放り出してこちらに駆けつけてきたのだそうだ。
ほんの少し嬉しく思ってしまう。
皆守は、そんな自分を少しだけ笑う。
「あの子には悪い事をしたけれど、ウットリするような仕事振りだったよ」
ため息を漏らしながら、博士は俄かに夢見るような表情を浮かべていた。
「任務を受けてから現場に到達するまでの時間、僕と合流するまえに、あらゆる情報の整理を済ませて、到達直後に周囲の敵を一掃だ、そのまま、遺跡に飛び込んで、たったの一時間、まるで嵐のようだった」
戻った玖隆は途中で回収したジョンを担いだまま「弟子なら無事だよ」とだけ告げて、父の肩をポンポンと叩き、素早く撤収してしまったらしい。
「未来の相棒によろしく伝えておいて欲しいとね、そうも言われたよ」
―――胸の奥に想いがこみ上げてくる。
「全く、薄情な息子だが、あの子も多忙を極める身だからね、分かってやって欲しい」
「はい」
「そうガッカリしないでくれ、すぐに会えるよ、君はちゃんと結果を出したのだから」
水代の微笑が眩しかった。
確かに、こうしてみれば、息子は彼とよく似ている。
「僕と妻に似てチャーミングな良い子だよ、父であるこの僕が保障する、きっと君も、好きになるよ」
それならもう、と、心の中で答えた。
彼の背中を追い続けて、今この場所に立っているのだと、知ったら水代はどんな顔をするだろうか。
(いずれにせよすぐ、そう、もうすぐなんだ)
博士は秘宝を丁寧に布で包んでいる。
皆守は、振られたサイに持てる全てを賭けて、その結果、望みの端を捕まえた。
追い続ける日々はもうすぐ終わりを告げるのだろう。
逢える。
はるか遠く飛び去った翼に、今にも手が届く。
「皆守君」
「はい」
「何だか楽しそうだね」
「えッ」
「随分いい顔をしているけれど、そんなに嬉しく思ってくれるのかい?」
皆守は笑う。
前髪をかきあげながら、多分泥や血液で酷く汚れているだろう、表情を綻ばせて。
はい、と。
「僕も嬉しいよ」
秘宝を荷物にしまい込むと、さあ撤収だと博士は歩き出した。
後から足を踏み出しながら、見上げた空は満天の星々で美しく輝いていた。
(逃がさないぜ―――今度こそ)
シャツの内側を指先で探る。
鎖に通したリングの表面をそっとなぞると、ため息がこぼれた。
あれだけの状況を乗り越えてきた後だというのに、やたら軽い足取りに、前を行く水代に気付かれないくらい小さく笑って、皆守は、漸く歩く事に集中した。
(次へ)