男子寮の手前で、双樹さんと別れた。
「何なら部屋の前まで着いていきましょうか?」って言われたんだけど、さすがにソレはちょっと、ねえ?
(こんな時間に双樹さん同伴で寮に入ったら、どんな噂が立つか、わかったもんじゃないよ)
双樹さんだって、男の子たちに絶大な人気を誇っている事、自覚しているんだろうけれど、状況を半ば楽しんでいる節があるもんだから、始末に終えないと思う。
まあ―――羨ましい限りではあるんだけれどね。
(でも、あんまりたくさんの男の子に構われたら、それはそれで面倒臭いかも)
想像してみるけど、でもあたしに限ってそんな状況、起こるわけもないか。
もうちょっと胸があったら違ったのかなあ。
「そ、そんなのカンケーないもん」
「先輩」
呼ばれて見上げたら、夷澤君が立っていた。
首からタオルを下げて、桶の中にはシャンプーとリンス、どう見てもお風呂の帰りだ。
「まだ制服のままでぶらついてたんスか?」
「え?あ、ああ」
「はあ、しょうがない人ッスねえ」
濡れた髪の毛をざんばらに下した夷澤君は、昼間見かけるのとはちょっと違う印象だ。
メガネのレンズに髪の毛のしずくが垂れて、ちょっと顔をしかめると、夷澤君はメガネを外す。
タオルで拭おうとして、顔をまじまじと見詰めていたら、そのままこっちに視線が向いた。
「何スか?」
「夷澤君って、メガネ外した方が、格好いいね」
グッ
ゲホゲホゲホって、だ、大丈夫?
「ちょ、ちょっと、つばでも飲んだ?」
「う、ゲホッ、ゴホッ、うう」
駆け寄って背中をさすってあげると、夷澤君はますます激しく咽こんで、そのまま慌てて、あたしの傍から飛ぶように離れた。
「いいい、要らないッスよ、大丈夫、大丈夫だから、ゲホッ」
「でも」
「そ、それより何スか、急に!」
え?
夷澤君は何とかメガネを拭いて、もう一度かけなおした。
うわー凄い、顔が真っ赤だ。
酸欠にでもなりそうな勢いだったからなあ。
「大丈夫?」
「いや、俺じゃなくて」
暫く見詰め合った後で、夷澤君の口から大げさなため息が漏れる。
片手でメガネのフレームの位置を整えながら、「もういいです」って言われちゃった。
何が?
「俺、失礼しますね、ハァ」
「うん、後で水飲みなよ、顔が真っ赤だから」
「―――余計なお世話ッスよ、ホントに、もう」
立ち去る姿がフラフラしてる。
本当に、大丈夫かなあ?
見送っていたら、また背中から声をかけられた。
「隊長ドノ!」
「師匠ではござらぬか」
振り返ると、今度は、墨木君と真里野殿。
「二人もお風呂?」
「いや、拙者共は今し方まで、鍛錬に励んでおったのでござるよ」
「廃屋街にて、戦闘シュミレーションをおこなっていたのでありマスッ」
戦闘シュミレーション?
二人の話を総合すると、どうやら、飛び道具と近接道具、それぞれのいい点と悪い点を指摘しあって、お互いの腕の向上を図っていたらしい。
ううん、見習わなくちゃだなあ。
「凄いね、二人とも」
墨木君と真里野殿は、途端に何だかソワソワと視線を逸らしたり、咳払いしたりした。
ひょっとして、照れてるのかな?
クスッと笑うと、途端、二人とも分かりやすく、顔が真っ赤に染まっていた。
(褒められ慣れてないんだね)
そういう事なら、もっと褒めてあげちゃおう!
「それで、成果は上がったの?」
「は、ハイッ」
「う、うむ、お互い、良い刺激になり申した」
「そっか、良かったね、今度是非その成果を見せて欲しいな」
「む、無論、隊長がお望みになるのであれば、喜んで!」
「拙者も、い、異存ござらん」
「今度は俺も、一緒に鍛錬させて欲しいなぁ」
『っつ、是非!』
声のハーモニーに、思わずプッと噴出しちゃう。
墨木君と真里野殿は互いに顔を見合わせて、物凄くばつが悪そうにソッポを向き合った。
「そ、それでは、自分はそろそろ、失礼させて頂くでありマス」
「う、うむ、拙者も、そろそろ、失礼いたす」
「じゃあ、またね、墨木君、真里野殿」
「ハッ」
「御免」
そそくさと立ち去っていく姿を見送って、廊下を歩き始めた。
男子寮での生活も、最初はどうなるものかと思っていたけれど、実際過ごしてみると、ちょっと不便があるくらいで、案外楽しく過ごせている。
こうして、みんなと話をしたり、騒いだりしてると、時々自分が女だって事忘れそうになるんだよね。
(まあ、ばれたら大変な事になっちゃうから、ちゃんと自重はしているけれど)
でも、男女の差って、実はあまり感じる場面がない。
少なくとも『友達』の男の子や、それ以外の関係の相手と話しているときなんかは、そうなんだ。
あたしが自分を女だって認識する場面、それは、まあ、体つきとか見れば一目瞭然なんだけれど、それ以上に―――
(キールの事、考えてると)
女の子なんだなあって思うよね。
胸の奥がドキドキして、何だかいてもたってもいられないような、不思議な感覚。
恋とか、愛とか、まだイマイチよくわからないけれど、多分これがそうなんだろうと思う。
沸き起こってくる熱い思いが、あたしを突き動かして、結果ハンターにまでなっちゃった。
あたしって案外情熱的だよね、やっぱり。
(まあ、同期の子にも笑われちゃったからなあ、そんな理由で?って)
でも、誰かを強く思う気持ちって、1度火がついちゃったら、ちょっと止めらんない。
我ながら暴れ馬みたいだなって思うけど、どうしようもないんだもん。
好きな気持ちが勝手に溢れて出てくるんだ、仕方ないよね、ガマンは体に良くないし。
(うん)
考えながら角を曲がって、階段を上って、自分の部屋までたどり着いた。
鍵を探して、扉を開けて、入ってから締めようとしたら、そのままドアを押さえられた。
「ん?」
見上げると、タオルをかぶった皆守が立ってた。
(っつ!)
咄嗟に耳まで熱くなって、息を呑む。
眠たげな表情は特に様子の変わらないまま「辞書」と呟いた。
「えッ」
「辞書、貸してくれ」
「じ、辞書?」
「どうせ図書館辺りからくすねたの持ってるんだろう?国語辞典、明日の現国で提出するプリントがあるから、使いたいんだ、貸してくれ」
「あ、う」
原告?
ああ、現代国語、プリントって、そういえば、宿題が出てたんだっけ。
皆守、宿題やるのか、珍しい。
しかもちゃんと提出する意志があるだなんて、ますます珍しいな。
っていうかお風呂の後なのかな?髪の毛がちょっと濡れてる、石鹸とシャンプーのいい匂いがする。
いきなり現れて、ビックリしたなあ。
あたしに気配も感づかせないだなんて、こいつ、いつの間にそんなスキルを―――
(って、違ーうッ)
即座に色々な考えが頭の中をぐるぐるっとまわって、結局口に出せたのはたった一言だけだった。
「じ、自分の辞書、持ってないのかよッ」
ああ、我ながら幻滅。
皆守は即答で「無くした」って答えて、更に「辞書、よこせ」って、今度は命令口調ですか。
「なんだよ、それ」
「要るんだ、持っているのかいないのか」
「あるよ」
「やっぱりな」
やっぱりって、どういう意味だ!
あたしは「ちょっと待ってて」って、辞書を取りにいった。
皆守はドアの手前で立ったまま待ってる。
戻ってきて差し出すと、片手がひょいと辞書を受け取って、「サンキュ」の短い声。
「じゃあ、な」
そのまま、何事もなかったように行こうとした皆守の―――
「―――ん?」
(エッ?)
足が止まった。
ドアを離そうとしていた指先も、同じ様に止まっている。
反転しようとしていた体が、ゆっくりまたこっちを振り返った。
あたしは―――皆守のシャツを、捕まえていた。
(え?え?)
ええっ?
な、何で、何やってるんだ、あたし?
自分の手を信じられないような気持ちで見下ろす。
この指、いつの間に動いたの?
っていうかなんで引き止めてるんだ?
思わず皆守を見上げたら、向こうも少し困ったような顔であたしをじっと見下ろしていた。
(え、えーっと)
この場合、なんて言って取り繕ったら、一番うまく収まるんだろう。
お互い言葉も無く立ち尽くす。
「おい」
皆守の声を聞いた途端、頭の中が真っ白く染まった。
「何だ?」
「な、何が」
「手」
「へ?」
「何か用があるのか」
用と、言われましても。
考えるより先に、あたしの口が、あたしの意志に関係なく、勝手に言葉を紡ぎだす。
「み、皆守こそ、あたしに用事は、もうないの?」
「え?」
「辞書、借りるだけで、いいの?」
ええと、えーっと、一体何を言おうとしているのかな?
内心汗ダラダラで、それでもあたしは皆守の瞳をじっと見詰めている。
「もっと他の用事って、ないのかな」
おかしい、どう考えても、絶対おかしい。
(ちょっと待て口!落ち着け心臓!どうなってるんだーッ)
喉が、ゴクンと鳴る。
さっきまで、他の男の子たちと話していたときには全然感じなかったような、おかしな気分があたしの中に充満している。
「し、払い、は」
(ぎ)
ぎゃあああああーッ
途端、思考回路がボンって音を立ててショートした。
咄嗟に口走った言葉の意味とか、どうしてそんなことを言ってしまったのかとか、そういうの、考える間もなく、グッと唇を結んで、引き剥がすように手を離す。
自分的には猛スピードで引っ込むつもりだったんだけど、意思に反して全身がノロノロとしか動いてくれなくて、震えながらふらりと後退りすると、ドアノブに手をかけた。
今、どうして、あんなセリフ口走っちゃったんだろう。
あたし、どうしてこんな、メチャクチャになってるの?
フィルが帰ってから変だ、その前からもずっと、何か、全部おかしい。
唖然としている皆守から逃げるように、必死でドアを閉めようとしたら、隙間から伸びてきた手がドアノブごとあたしの手を捕まえていた。
(どうしよう)
皆守が部屋に入ってくる。
(どうしよう)
ドアが後ろ手に閉められて、ちゃんと施錠までして、その間もあたしの手は捕まったまんまだ。
(どうしよう)
強く引き寄せられて、肩甲骨の辺りに鼻の頭がぶつかって。
(どうしよう)
耳元で「いいんだな?」って囁き声―――
うん、って頷いたら。
そのまま世界が暗転して、溶けた。
あたし、何を考えているんだろう。
皆守のこと、嫌いなんだよね?
出逢った途端に酷い事されて、それからもいっぱい、いっぱい、散々な目に合わされて。
結局、あたしと皆守のプリントは白紙のまま、朝を迎えていた。
(次へ)