少し、混乱した気持ちを整えようと思って、一人きり屋上で風に吹かれている。
今は三時間目の授業中、だけどあたしはここにいる。
別に勉強する事が目的じゃないから構わない。
空を見上げて、肺の中の息を全部吐き出した。
「本当に、どうしちゃったんだろう」
フェンスに両腕を組んで乗せて、その上に更に額を押し付けた。
12月の風は冷たくて凍えそうだけれど、胸の内はもっと冷え冷えとしている。
―――二時間目が終わってすぐ、あたしは七瀬さんに頼まれて、付き添いで保健室まで行ったんだ。
なんでも最近、よく眠れないらしくて、そういった症例を訴える生徒がルイ先生の話では他に何人もいるらしい。
先生はあたしの体調まで気遣ってくれた。
ありがたかったけれど、それ以上に、先生の言っていた言葉が気になって仕方なかった。
なんでも、原因はストレス以外に、例の遺跡がらみの霊的障害なんかもあるそうで、先生いわく「ここのところどうもその影響が強まっているような気がしてならない」んだそう。
それってやっぱり、あたしが遺跡の扉をどんどん開いて、奥に進んでいるのと関係しているんだろうか。
その後七瀬さんに誘われて、図書室で彼女が独自に調べてくれた、天香遺跡に関するある推論を聞いた。
廊下の途中で夕薙君に出くわして、興味を持った彼も入れて三人、話の内容は、遺跡内部にちりばめられている様々な象徴や寓話の類を日本書紀に照らし合わせた、非常に興味深い『ある一つの可能性』
それは―――この遺跡に潜むものが、もしかすると『封じられた』何かなのではないかという、恐ろしくも驚くべき内容。
(って)
まあ―――その辺の推察は、すでに立っていたんだけれどね。
あの双子が姿を現すようになって、ファントムとかいう、ふざけたマント男が出没し始めた頃から、何となくそんな予感はしていたんだ。
あたしが立ち向かおうとしているのは、もしかしたら、とんでもない存在かもしれないって事。
まだ可能性にしか過ぎないけれど、今の状況を推し量れば、突拍子もない考えってわけでもなさそう。
それより、あたしが驚いたのは、事実を確実に辿りつつある七瀬さんの先見性と、夕薙君の―――洞察力の鋭さだった。
結局、彼にも、いつの間にかあたしの正体って、半ば割れていたらしいんだよね。
誰にどれだけ素性がばれてしまっているんだろうか。
考えるのも恐ろしい。
あえて、気付かないフリをしたままでいてくれるほうが、よっぽど助かる。
「君は一体何者なんだ?」って、真っ直ぐ見詰められて、咄嗟に誤魔化す事なんて出来なかった。
あたしにスキルが足らなかったせいじゃなくて、それだけ夕薙君が真剣だったから。
だからあたしも正直に告白した。
トレジャーハンターだということだけ。
夕薙君はそれでもまだ―――何か言いたそうにしていたんだけれど、結局笑って「有難う」って、あたしの髪を撫でてくれた。
以前のあたしだったら、そんなことをされて、絶対に飛び上がるほどドキドキして、真っ赤になっていたはずなんだけれど。
(不思議だな)
本当に。
嵐が去った後みたいに。
(何も)
感じなかったんだ、全然。
そりゃ、多少は嬉しいなとか思ったけれど、それだけだった。
前のようなドキドキも、胸の奥がポーッとしちゃうような気持ちも、何もこみ上げてこなかった。
驚くほどに穏やかに、ただ善意だけを受け取って、夕薙君と別れた。
すでにチャイムは鳴っていたから、遅刻は確定だったけれど、構わずあたしは屋上に足を向けた。
そして今、風に吹かれている。
考えるべき事と、そうでないことが、グチャグチャになって整理がつけられない。
何を考えていても、つい浮かび上がってくる見慣れた面影。
「はぁ」
ため息が漏れた。
寒々とした景色を眺める。
まだ、体の中に残っている、昨日の熱。
嵐みたいだった、アイツとの行為。
「甲太郎」
ぽつんと、呟いた途端顔が火を吹きそうなほど熱くなるのを感じて、あたしは飛び起きた。
(な、な、何だこれッ)
絶対変だよ。
それに、どうして急に名前なんて呼んだの?
あたしってば一体どうしちゃったわけ?
ぐるぐる、ぐるぐる、頭の中がまわる。
混乱していたら蝶番のこすれる音がした。
あたしは慌てて振り返った、そして―――
「っつ!」
声を、詰まらせる。
熱がサーッと引いていくのを感じていた。
視線を向けた、その先には。
「やあ」
風に揺れる、長い前髪。
喪部銛矢君の姿。
「こんなところで、一体何をしているのかな?」
「別に」
表情のないあたしを見て、喪部君の目がスウッと細くなる。
「そう」
ドアがバタンと閉じた。
打ちっぱなしのコンクリートの上に、二人。
風が制服の裾をバタバタと翻していく。
「ここは寒いね」
喪部君は不意に空を仰ぐ。
「こんな場所にいつまでもいたら、風邪をひいてしまうよ」
「そうだね」
瞳が再びこっちを見た。
「随分と、つれない答えじゃないか」
ククッと、またあの嫌な笑い方。
喪部君はゆっくりと、あたしの方へ歩いてくる。
靴底の立てるコツコツという音が、一メートルほど手前で止まった。
「やはりキミは、他の奴等とはどこか違うね」
初めて見たときからキミには興味があったんだと、口角を吊り上げて笑う。
この笑い方が好きじゃない。
人を見下しているような、冷徹な微笑。
自分以外の存在の価値を何一つ認めない、残酷な支配者を気取っているような雰囲気。
「この学園には間抜けな羊と愚かな羊飼いしかいないのかと思っていたけれど、キミとなら仲良くなれそうな気がするよ」
「そう」
「キミは、そうは思わないのかな」
あたしはフッと笑い返す。
まるでお返しのように、完全に嘲った表情で。
喪部君はその瞬間、僅かに凍りついたようだったけれど、直後にますます嬉しそうな笑みで、上弦の月のような形に唇を歪ませていた。
「くくくッ、それがキミ流の挨拶か、なかなか悪くないね」
今度キミの部屋に遊びに行きたいなあァ。
おかしな視線が、あたしの爪先から頭の天辺まで、舐めるように見る。
途端、背筋がぞっと総毛立って、あたしは過去に、これと同じ様な視線を何度か体感した事を、おぼろげに思い出していた。
「キミからはボクに近い匂いを感じるのさ」
風が吹いて、喪部君の隠されている片目が僅かに露になった。
そこに湛えられた光を見て、あたしの中の何かが警鐘を鳴らし始める。
(こいつ、変だ)
嫌だとか気持ち悪いとかだけでなく、何と言うかその。
「どうだい?」
(怖い)
「ボクとお互いの秘密を、共有してみないか」
すっと片手が伸びてくる。
その手はあたしの肩に触れようとしているみたいだった。
あたしは咄嗟に、彼の手を遮っていた。
パンッて小気味良い音を立てて、撥ね退けられた手を喪部君はゆっくり下していく。
「くくく―――そうか、まァ、それでもいいさ」
あたしは、喪部君を睨みつけるような目で、じっと見詰め返した。
喪部君はふいに踵を返して、そのままスタスタと、ドアの方へ向かって歩き出した。
北風が吹いている。
あたしの髪を巻き上げて、喪部君のジャケットの端をめくりあがらせながら。
「そうだ」
ドアノブを掴んで、扉を開く手前、背を向けたままで、喪部君が密かに、でもハッキリと口にする。
「臆病なハンターほど長生きするというし、ね」
バタン。
扉が閉じた。
あたしはまだ―――立ち尽くしたままだ。
「あいつ」
言葉が勝手に唇からこぼれた。
「冗談じゃ、ないわよッ」
ぞわぞわ、ぞわぞわと。
悪寒が体中を駆け巡っている。
初めて会ったとき、堺さんがあたしを見た時のような、夜会の日の墓地での鴉室さんのような、それよりずっと以前、スクール時代に何度か向けられた事のある、あの目。
おかしな色気を孕んだ眼差し。
ねっとりと、絡みつくような視線。
急に怖くなって、両手をグッと握り締めていた。
唇を噛んで、それでもまだ足りなくて、フラフラと歩き出す。
ここは、寒い。
(どこかに行きたい)
誰かに会いたい。
でも、誰に?
浮かんだ面影が予想通りで、考え込む前に、何故だかひたすらにおかしかった。
もう何もかもおかしい。
いよいよ、その時が迫っているのかもしれない。
あたしは勢いよく足を踏み出していた。
四時間目の授業はちゃんと受けよう、そんなことを考えながら。
(次へ)