教室に着く前に授業の終わりを告げる鐘が鳴って、廊下の途中で教室移動中の双樹さんと出くわした。
お約束の洗礼を受けた後で、軽く遺跡がらみで警告されて、その最中に白岐さんからメールが届けられた。
「モテモテね」って茶化されたけれど、今日はイマイチ、冗談に乗れるような気分じゃない。
心配をかけたくない一心で、その場は何とか明るく振舞ってみたものの、相手はあの双樹さんだし、案外あっさりばれているんじゃなかろうか。
(侮れないからなあ、あの人も)
勘が鋭いのは先天性のものもあるんだろうけれど、それだけ、彼女が現実をしっかり見ているっていう証拠、そんでもって、それだけあたしの事を考えてくれているんだろうって思う。
本当に、感謝してもし足りないよ。
双樹さんからはどれだけの恩を貰っているんだろう。
もしかしたら、一生かかっても返しきれないかもしれない。
(でも)
多分、そんな話をすれば、双樹さんのことだから「いいのよ」って笑うんだろう。
せめて彼女にだけは嘘をつきたくないと思う。
本当は、大切な人たちのこと、誰一人として騙したくないんだけれど。
(はあ)
教室のドアを開けた途端。
「あーちゃんッ」
ムギュッと押し付けられる感触。
同時にバランスを崩して、見事ヌイグルミみたいに抱きかかえられる。
「や、八千穂さんッ」
慌てて腕から抜け出すと、「月魅、大丈夫だった?」って、八千穂さんが顔を覗き込んできた。
「あ、う、うん」
「ホントはあたしもついて行ってあげたかったんだけど、部活の先生に呼び出されちゃってさ、あーちゃんなかなか帰ってこないし、もしかしたら大変な事になっているのかもって、心配したんだぞッ」
「ゴメンね」
「ううん、いいの」
あたしこそゴメンねって、ニッコリ笑う。
釣られてあたしも笑顔が自然と浮かんでいた。
八千穂さんの凄いところは、こうやって、何でもない言葉なのに、周りを元気にしちゃうところだよね。
まだ気分は晴れないけれど、とりあえずはいつものあたしに戻れたみたい。
「アリガト」の言葉と一緒に手を握られて、ほんわかした気持ちが胸の中に広がっていった。
「って、ああ、そうだ!」
直後に掴んだ手を離すと、八千穂さんはあたふたしながらポケットを探って、取り出した携帯電話を開いて操作した。
「これッ」
何だろう?
覗き込んでみると、メールの文章が表示されてあった。
差出人は白岐さん。
八千穂さんは何だか物凄く興奮している。
「凄いでしょ、さっきね、白岐サンからメール貰っちゃった!何か友達って感じだよねーッ」
凄い、凄いを連呼して、激しく携帯電話を持った手を振り回す。
(ああッ)
そんなにはしゃいだら、電話が―――
「あッ」
すっぽ抜けた!
放物線を描いて、窓ガラスに激突するかと思えた携帯電話は―――スポンと、伸ばされた掌に受け止められていた。
「えッ」
あたしたちがきょとんとして見詰めた、その先。
「っと、危ないだろうが」
ホラよって八千穂さんに投げ返してくる。
「携帯電話なんか振り回すな、一応精密機器なんだから、もう少し大事に扱え」
「皆守クン」
皆守は、気だるげにアロマをふかしながら、またすぐ振り返って窓の外を眺めだしたようだった。
受け取った携帯電話をじっと見下ろしてから、八千穂さんがコソコソと、あたしの耳元に顔を近づけてくる。
「ね、ねえ、あーちゃん」
「うん?」
「今の、見た?」
「見たって?」
「皆守クンの手!あたし、いつ動いたのか全然分からなかったよーッ」
そういうことか。
あたしは苦笑いを浮かべる。
確かに、あたしにもはっきりとは見えなかったけれど―――でも、これくらいのことならできるだろうなって、考えていた。
だってこの間フィルと戦ったときの皆守、本当に格好よかったんだもん。
八千穂さんはうんうん唸って、不意に「そうだッ」って目の奥を輝かせていた。
何だろう。
(すごく、嫌な予感がするんだけれど)
「ねえねえ、あーちゃん」
「何?」
「皆守クンってさあ、鋭いのか鈍いのか、いまいちよくわかんなくない?」
まあ、それはそうかも。
八千穂さんって案外鋭いな。
「だからちょっと確かめてみようよ」
「え?」
何を?
「二人で一緒に、真相を、ね?」
(ね、って)
なんだそりゃ。
どういう事よ。
第一、確かめるって、一体何を―――
考えていたら、八千穂さんが、一緒に背中から飛び掛ってみようって、コソコソ耳打ちしてきた。
「ええっ」
「あーちゃん、シーッ」
人差し指を唇に押し当てて、途端八千穂さんは少し怖い顔をする。
な、何だろう。
さっきまでと少し、様子が違う気がするんだけれど。
(どうしよう)
「だからね、皆守クンって、スキンシップに慣れてなさそうじゃない?だから、すごいビックリすると思うんだけど」
(スキンシップに慣れてないって)
そんな事はナイ、ナイって、八千穂さんに言いたかった。
スキンシップに慣れてなかったら、これまでのあたしの『支払い』の説明がつけられません。
第一、それ以外にも抱きつかれたり、肩に腕を回してきたり、キスだって日常茶飯事だし、皆守は人目につかない場所でそういうことをしてくるから、誰も知らないだけで。
(ぜんっぜん、そんなことないんだよッ)
むしろスキンシップ好きなんじゃなかろうか。
黙り込んだあたしを見て、八千穂さんは勝手に、好意的な反応に受け取ったようだった。
「じゃあ、せーので行くからね?」
「は?」
「ほら、準備してッ」
「ちょ、ちょっと待っ」
「ダーメ、ほら早く!」
背中をぐいぐい押されて、あたしは位置につかせられる。
「八千穂さんッ」
「覚悟を決めなさい、男の子でしょ」
「えッ、えええ!」
「ほら行っくよー、せえのッ」
八千穂さんも横に並んで、一緒に飛び出すのかと思ったら。
「いっけぇ、あーちゃん!」
「うわああ!」
どんッと背中を突き飛ばされて。
図らずも、かなりの勢いとともに、皆守の方へ飛び込んでいく。
(や、ヤバッ)
ぶつかっちゃう!って思ったんだけれど―――
「っお!」
どんって、軽い衝撃とともに、一呼吸おいて降ってきた「危ないだろうが」の声。
(受け止められた?)
見上げると、眉間を寄せた皆守と目が合った。
「ひゃ」
咄嗟に叫びそうになったあたしのおでこを、平手でぱちりと叩かれる。
「お前、何やってるんだよ」
「あ、あの、その」
「八千穂!」
背中から「ごめーん」の声。
あたしは、物凄くドキドキして、咄嗟に皆守の胸に顔をうずめて隠していた。
どうしよう―――何だか、熱い。
まともに目を合わせられない。
こうしているだけでも、足から力が抜けていっちゃいそうになる。
皆守はあったかくて、逞しくて、ずっとこうしていたいくらい。
(あたし、変だ)
この間から何度も感じている。
落ち着かない、皆守の傍にいると、何も考えられなくなる。
「あーちゃん、大丈夫?」
八千穂さんが傍まで様子を見に来たみたいだった。
なかなか離れないあたしのこと、心配しているみたいで、声に出てる。
「ねえ、結構痛かったのかな?どうしたの?」
「う、うん」
「おい、八千穂」
皆守だ。
「こいつ、どうも具合が悪いようだから、このまま保健室まで連れて行くぞ」
(え?)
「ええッ」
即座に慌てた雰囲気が伝わってきた。
「ど、どうしよう、あたしのせいかな?」
「多分違うだろ、気にするな」
「でも」
「次の授業の受け持ちに、玖隆は病欠、皆守は付き添いだって言っておけ、じゃあな」
皆守の腕があたしを抱き寄せる。
そのまま、顔を隠すように捕まえられて、肩を抱かれながら、ズンズン歩き出された。
あたしもよろけつつその足取りを伝う。
教室のざわめきが、素早く遠ざかっていった。
「―――オイ」
あたしたちは二人三脚みたいにして歩いている。
「あきら」
階段を上った。
こっちは、保健室の方角じゃない。
「少し頭を冷やせ、上行くぞ」
頷くと、皆守のシャツの上で髪の毛がクシャッと擦れた。
あたしはまた屋上に出ていた。
ただし、今度は皆守と二人で。
給水塔の脇に連れ込まれて、そこであたしを壁に押し付けるようにして、前に立った皆守が風除けみたいに両腕で体を庇ってくれる。
「あきら」
そろりと、顔を上げる。
「大丈夫か?」
皆守の声、でも、まだ目は見れない。
「どうしたんだ、一体」
答える事も出来なくて、鎖骨の辺りを眺めていた。
ぼうぼう吹く風が、耳の奥で渦を巻く。
「昨日もそうだが、お前、ここの所少しおかしくないか?」
「な、何が」
「急にボーっとしたり、暴れたり、無茶苦茶だぞ」
(そんなの)
わかってるもん。
俯き加減のあたしの額に、何かが触れた。
「しっかりしろよ」
優しい声。
「そんな事でこの先、やっていけるのか」
余計なお世話だ。
「命懸けで仕事してるんだろ?だったら、もっと気を張っていないと、死ぬぞ」
「わかってるよ」
分かってる、知ってる、理解してる。
でも、頭じゃないんだ。
気持ちがゴチャゴチャしてるんだ。
だからうまくいかない、こんなにも、あたしらしからぬ行動ばかり取っちゃう。
そんなのイヤだって、思っているんだけれど。
(でも、どうしようもないんだもんッ)
この胸の奥で膨れ上がった何か。
それが、噴出す場所を求めて、あたしの中で暴れている。
あたしはいまだに答えが見いだせなくて、普段はそれでも何とか普通にしていられるのに、皆守と一緒にいるときだけ、ダメなんだ。
恐る恐る顔を上げてみた。
覗き込んでくる皆守の顔、目が綺麗。
鼻筋も通っていて、唇の形も格好いい。
キス、したくなってくる。
じっと見詰めていたら、ゆっくり睫が下ろされた。
そのまま近づいてくる気配と、暗くなる視界、唇に触れる何か、そして―――
柔らかくてあったかい、この気持ち。
チャイムの音が聞こえる。
四時間目は出るつもりだったのに。
(もう間に合わないや)
ギュって抱きしめられて、あたしは何の気なしに、声に出して呼んでいた。
「甲太郎」
小さな声。
だけど、直後に皆守の背中がビクッと震えて、ゆっくり離れた先に見えた双眸が、またあたしの目をじっと見詰め返してきた。
「あきら」
静かで、深くて、優しい声。
影になって無表情だった顔に、フッと笑顔が浮かび上がる。
「今度から、それで呼べよ」
「えッ」
「前から思っていたんだ、俺が名前で呼んでいるのに、お前が苗字で呼ぶのは不自然じゃないかってな」
「な、何言ってんのよ」
「いいから、そう呼べ」
頼むから。
耳元に響く、かすれた声。
あたしは抵抗する気も失せて、ついうっかりと頷き返してしまった。
「わかっ、た」
甲太郎。
こうして、口乗せてみると、案外語感がいいんじゃない?
フフ。
笑い声が漏れた、皆守も、笑ってるみたい。
何だか凄く嬉しそうで、途端、あたしも、別に構わないんじゃないかなって気になっていた。
あたしと甲太郎は、もう一度、見詰め合って、今度はゆっくりと唇を重ね合わせた。
(次へ)