結局、四時間目の授業には出席できなかった。
あたしは甲太郎と暫く屋上でぼんやりして、四時間目が終わる前に一緒にマミーズへ向かった。
「お前、髪がグシャグシャだぞ」
手櫛でいきなり梳かすもんだから、あたしもお返しとばかりに甲太郎の髪の毛をもじゃもじゃと揉んでやる。
「うわ、何するんだッ」
「甲太郎こそ、頭モジャモジャ」
「うるせッ、これはパーマだ、いじるな、コラッ」
アハハ。
さっきより随分落ち着いたかな。
どうしてだろう、理由は判らないけれど、今は普通に楽しい気分。
まだドキドキは収まっていないんだけどね。
甲太郎って名前を呼ぶたびに、胸の奥がふんわりとあったかくなる。
不思議。
甲太郎も、いつもよりはしゃいでるみたいだし、ホントあたしたちどうしちゃったのかな。
傍から見れば、多分、すごく仲のいい友人同士に見えるんだろう。
だってあたし、男物の制服だしね。
二人で騒ぎながらお店に入って、一緒にお昼ご飯。
食事が終わると、あたしは紅茶、甲太郎はコーヒー。
昼休みになっても、ずっとお喋りしていた。
何だか席を立つのが勿体無いみたいで―――
「おッ二人ッさん!」
「舞草さん」
「どうしたんですかァ?何だか今日は、随分仲良しさんですねーッ」
「そ、そんなことないよッ」
「またまたー、照れちゃって、あーちゃん可愛いッ」
頭をぐりぐり撫でられて、目の前にプリンをトンッと置いていかれた。
あれ?あたし、注文してない。
「サービスですぅ、お二人の友情の記念にッ」
「え?」
「おい、ウェイトレス、俺にコーヒーのおかわり」
「はいはーい」
駆けていく舞草さんの後姿をきょとんと見送って、甲太郎を振り返った。
「な、なあ」
「ん?」
「これ」
「ああ、くれるって言うなら、貰っておけばいいんじゃないのか?」
そ、そういうものなのかな?
けれど、目の前のプリンはツルンとして、滑らかで、上には生クリームと―――
「さくらんぼでなくて、苺が乗っているのか」
「た、食べちゃっても、いいのかなあ?」
「いいだろ、別に」
ううーん、実を言うとさっきから、釘付けだったんだよねーッ
あたしは添えられていたスプーンを手にとって、生クリームごと苺を掬い上げる。
キラキラ光る大粒のルビー、ああ、なんて。
(おいしそうッ)
大きく口を開いて、パクリッ
「ん、んーッ」
おいしいッ
じたばたしてたらクスクスって笑い声が聞こえてきた。
顔を上げると、甲太郎のカップにコーヒーを注ぎ終えた舞草さんが「ごゆっくりー」って言って歩いていくところだった。
「お前、なあ」
振り返ったら甲太郎の呆れ顔。
「学ラン着て、プリン食って、じたばたする男子生徒なんて、随分妙な構図だぞ」
そ、そうだった。
(あたし、今男の子なんだっけ)
何だかちょっとだけ恥ずかしいかも。
「―――まァ、俺は別に構わないけどな」
「ム?」
「いいから、早く飲め」
ごくん。
甲太郎はコーヒーを啜ってる。
相変わらずブラックみたい、あんな苦くて渋い飲み物、よく平気で飲めるよねえ。
残りのプリンをパクパクと食べて、その間もちょっとだけお喋りをして、あっという間に時間は過ぎていった。
チャイムの音が聞こえる。
「五時間目だな」
「うん」
「次は自習だぞ」
「えッ」
「教科担当の具合が良くないらしい、あいつだったら、どうせ、自習になるだろう」
甲太郎ってそんなことまで分かるんだ。
やっぱり、伊達に三年もここに在籍してるわけじゃないんだなあ。
「お前はどうするんだ?」
訊かれて、うーんって考えると、昼前に貰った白岐さんのメール文が頭の中を過ぎる。
「あ、そうだ」
「うん?」
「メール、白岐さんから俺も貰ったんだ」
温室で大事に育てていた花がようやく咲いたから、ぜひ見に来て欲しいって、そういう内容だった。
甲太郎は「そうか」って呟くと、伝票を持って席から立ち上がっていた。
あたしも急いで後から続く。
「御馳走さん」
「ありがとうございましたー!」
マミーズの外に出ると、もうあたりを歩いている生徒の姿は殆どない。
「甲太郎はどうするの?」
「ん、俺か?―――そうだな」
寝床でも探すさ。
緩く笑う甲太郎の腹に、あたしは軽く肘鉄を食らわせた。
「もう、真面目に授業に出なさいッ」
「フン、お前に言われたくないさ、精々白岐と仲良くしてこいよ」
「何、それ」
「別に」
何だぁ?
(ヤキモチかな)
って、まさかね。
じゃあなって歩いていく姿に手を振って、あたしも歩き始める。
ちょっと寂しいような気もしたんだけれど、そのまま温室へ向かった。
ガラス張りのドーム型の建物を見ると、ついこの間の事を思い出す。
フィルは、アルや迦奈、それにクライスに、あたしが元気で頑張ってるって、ちゃんと伝えてくれたかな。
扉に手をかけて、そっと開くと、中から声が聞こえてきた。
(あれ?)
先客?
でもこの声、八千穂さんじゃない。
「その手を、離して」
「そうしたら君はまた逃げるだろう?」
―――夕薙君?
「白岐、俺の言いたい事はわかっているはずだよな」
異様な雰囲気。
二人の口調はどこか固い。
「白岐、君は」
「やめて」
もめてる?
「放して、夕薙さん」
静かだけど、拒絶する声。
あたしは思わず駆け出していた。
(どこだ?)
いた!
「やめなよッ」
緑の景色の中で、白岐さんの細い腕を捕まえていた夕薙君の手を駆けつけた勢いのまま叩き落す。
ビックリした顔の二人に見詰められながら、あたしはそのまま、白岐さんの手を取って夕薙君から離れた。
「何してるんだ!」
「玖隆」
「白岐さん、嫌がってるだろ、やめろよッ」
「玖隆さん」
来てくれたのね。
ホッとしたような白岐さんは、それからすぐに、夕薙君を睨み続けているあたしを「大丈夫、何でもない」ってなだめる。
「玖隆」
「夕薙君」
「―――邪魔をしないでくれないか?」
エッ
あたしを真っ直ぐ見詰めてくる、夕薙君は、少し怖い顔をしている。
「君には関係ないことだろう」
(それは、そうだけど)
でもあたしは白岐さんとの間に割って入って、姿を背中に隠した。
まあ、同じくらいの身長だから、隠すってより、盾になるって言った方が的確かもしれない。
「そういう言い方、ないだろ」
友達が嫌がっているんだもん。
二人とも、あたしの大切な人たちだけれど、こういうのは好きじゃない。
夕薙君は相変わらずあたしの目をじっと見ている。
あたし、以前だったら、こんな風に見詰められたら、ちょっと冷静じゃいられなくなっていたかもしれないなあって、ふと思った。
(でも、今はもう、平気だ)
大丈夫。
それより白岐さんを守らなくちゃって気持ちのほうが強い。
―――前回の事もあるしね。
「夕薙さん、あなたは何を焦っているの?」
「何?」
白岐さんの声だ。
「私が玖隆さんと共に在る事がそんなに不安?貴方が私に求めているのは誰かの幻影?それとも、私がこの学園にいる理由?」
「なっ」
何の話?
あたしの背後を見詰める、夕薙君と同じくらい、あたしも唖然としている。
(白岐さん?)
「玖隆さん」
「え?」
「あなたにとって、夕薙さんは必要な人?」
そ。
(それを、今、ここで訊くと言うのーッ)
ひゃああ。
び、微妙な質問―――だけど。
あたしは夕薙君を見上げる。
ハッキリとした目鼻立ち、恰幅のいい体つき、耳に気持ち好い声、深い目の色も、硬そうな髪の毛も、全部、すごくあたし好みだけど。
(違う)
もう、違う。
夕薙君の事は好きだけれど、胸がドキドキするような感じは、もう覚えない。
白岐さんのことが好きだからこんな事をしたんだとか言われたとしても、全然動揺しないだろう。
むしろ、怒るかもしれない。
そのことを、急にハッキリと悟って、あたしはこっくり頷いていた。
「大事だよ」
「そう」
ではこれ以上、私が口を挟む事ではないわ。
「玖隆、君は」
何か言いかけた唇が、そのまま閉じられる。
夕薙君はくるりと背中を向けて、温室から出て行ってしまった。
白岐さんが小声で何か呟いていたけれど、一体なんだったんだろう。
二人はどうしてもめていたんだろう。
(痴情のもつれ、って感じじゃないよね?)
「玖隆さん」
振り返ると、白岐さんがスッとあたしの足元を指した。
「あなたは、この花を知っている?」
見下ろした先に映える、赤い花。
スッと真っ直ぐ伸びた茎の天辺に、繊細な花びらが上向きにふわりと立ち上がっている。
これは、彼岸花。
「私の好きな花」
白岐さんはその傍らに、ふわりと腰を下ろしていた。
「少し遅いけれど、綺麗に咲いたの」
「うん」
「花言葉は『悲しい思い出』―――まるで燃える炎のように鮮やかなこの花が、何故そんなに悲しい意味を持つのか」
その本当の理由を貴方は知っている?
あたしは記憶を浚う。
確か彼岸花には、この花に悲しい思い出を語ると、心が癒されるって言う伝承。
迦奈が昔教えてくれた。
あたしはその通りに諳んじてみる。
「ええ、そうよ」
白岐さんの能面みたいだった表情が、和んでフワリと微笑んだ。
「それ自体が呪縛となっているほどの、悲しい思い出―――この学園には至る所にそれが溢れている、まるで、この場所そのものが悲しい思い出の象徴であるかのように」
何だろう、この感覚。
不思議な気分。
あたしの心は、いつの間にか、ここではないどこかへと誘われかけているみたい。
「あの人の求める鍵が一体なんなのか」
(鍵?)
「残念だけれど、私にもまだ確信は持てていない、それがこの学園にとって何を意味するのかも」
遠くからチャイムの音が聞こえてきた。
ざわざわ、ざわざわ。
風もないのに、辺りの植物達がざわめいているような気がする。
すっくと立ち上がった白岐さんは、あたしに「教室に戻りなさい」とだけ言い残して、するりと脇を通り過ぎていった。
長い髪の毛が緑の影に見えなくなった後で、聞こえてくる開閉音。
あたしは彼岸花を見下ろしたまま、立ち尽くしている。
「一体、何なんだろう」
言葉が自然と漏れていた。
そりゃあ、ここに来てから、色々な事件に出くわしてきたけれど、今になって、より深い謎が提示された気分だ。
それともこれが、天香に隠された最大の禁忌なんだろうか?
(遺跡とも関係ある、よね、絶対)
阿門君がなりふり構わず、強引に隠蔽しようとした白岐さんの存在。
その白岐さんに詰め寄っていた夕薙君。
遺跡を守る生徒会の存在。
そして―――喪部銛矢。
君、とかつけるのは違う気がするから、これからは喪部でいいと思う。
彼等も交えた、この三つ巴の状況で、あたしはいよいよ核心に近づきつつあるのかな。
気配がした。
即座に振り返ると、草陰から男子学生服を来た髪の長い姿がスッと現れた。
「夕薙大和、彼の本当の目的は、果たして何なのでしょうね」
「君は」
「玖隆君、君は本当に、彼を信用しているんですか?」
この人は確か、生徒会会計担当、神鳳充君。
(こんな場所に何の用だろう)
違うか。
あたしは即座に考えを改める。
(この人は、多分、あたしに用があるんだ)
午前中、双樹さんはあたしに「次に現れる生徒会役員に気をつけろ」って暗に警告してくれた。
生徒会の構成員は、以前甲太郎が教えてくれた話では、全部で四人。
書記の次は会計だろう。
内心気を張り詰めて、様子を窺いながら、あたしはうんと頷き返した。
「信用しているよ」
「そうですか」
神鳳君はさらりと髪をかき上げる。
「玖隆君、君にはまだ真実が見えていない」
「何?」
「それにたどり着くことが出来なければ、君の活躍も、ここまでという事です―――この学園の眠りを脅かした罪は思い」
何の話をしているんだろう。
『眠り』って、それは『誰』の?
「君にはそれ相応の罰を受けてもらいますよ」
「―――そんなつもりはない」
言葉と一緒に身構える。
温室の中は白岐さんがいつも丁寧に手入れしているから、ここで戦闘突入なんて、できればしたくないけれど、有事の際には構っていられないし、彼にも一切容赦なんてしない。
(そうなったらゴメンね、白岐さん)
「罪とか、罰とか、そんなものはあなたたちの勝手な言い分でしょう?俺は自分の足でここに来て、自分の力でこれまでやってきた、だから、罰せられるかどうかも、自分で決める」
「傲慢ですね」
「性分だよ」
「なるほど、覚悟はできていると、そう受け取っても宜しいんですね」
「そんなものはここに来た日からずっとここにある」
胸をトンッと叩いてみせる。
覚悟がなくちゃ、やっていられない。
神鳳君は暫くあたしを見詰めて、不意に唇に薄い笑みを浮かべていた。
「なるほど」
さっきまでとはどこか違う、不意に柔和な雰囲気の声。
「フフ―――皆さんは、これにやられてしまったわけですね」
(は?)
またわけのわからない話。
もう、さっきから、あたしばっかり、蚊帳の外過ぎるんじゃないの?
「君は光に満ちた人だ、この学園には似つかわしくない『希望』という光に」
革靴の先が、スッとこっちに向けて踏み出される。
真っ直ぐ近づいてくる神鳳君を、あたしは身構えたまま待ち受けた。
数十センチ先で、その足取りがとまって、片腕が伸びてくる。
何をするつもりだろう。
少しだけ体を引く。
だけど―――
「すぐに解りますよ」
掌が、髪に触れた。
「この学園で今、何が起きているのか」
さらり、撫でられる。
頭の形に添って、ゆっくりと、何だか可愛がられるみたいに。
(え、え、ええっ)
きょとんと立ち尽くしていたら、そのまま指先が頬を伝って、少しだけ顎を上向きにされた。
神鳳君はニッコリと微笑んでいた。
「それではまた、後ほど、君を迎えに行きますよ」
僕の使役するモノタチを引き連れて、ね。
手が離れた。
去っていく姿を見送って、あたしは、またぼんやりと立ち尽くしていた。
頭の中でさっきまでに起こったたくさんのことが、グワーッと渦を巻いて、ちょっとした飽和状態。
今日は、何なんだろう。
温室の中は適温に保たれているはずなのに、襟足に触れる空気がやけに冷たい。
あたしは、無意識にその部分に触れて、それから力一杯首を左右に振っていた。
「んもう、なんなのよッ」
とりあえず叫んでみて、一呼吸。
今度は誰の気配もしない―――皆、教室に戻ったのかな?
ため息をついて、ようやく歩き出した。
五時間目もサボって、結局ほぼ一日休みか。
(あーあ)
色々と、考えなくちゃならない事はたくさんあるけれど、とりあえず甲太郎の行方が気になった。
さっきあんな話をしていたから、保健室にでも行ったのかな?
(でも、あたしはちゃんと授業に出ておこう)
端末で確認すると、六時間目まであまり時間がない。
急ぎ足で温室を飛び出すと、外の空気が冷たかった。
あたしは、風にあおられる髪の毛を押さえながら、校舎までの道を一気に駆け出した。
(次へ)