教室に甲太郎の姿を見つけた途端、ドキンとして、嬉しくなる。
六時間目は移動教室、科学室での初歩的な実験だった。
さりげなく傍まで駆けて行って、制服の裾をクイクイッと引っ張ると、振り返った表情の瞳が一瞬大きく開かれて、アロマを咥えたままの口元に薄い笑みが浮かんだ。
「花は見せてもらったのか?」
「うん」
「そうか、良かったな」
「あれ?あーちゃん」
机の反対側にいた、八千穂さんがあたしに気付いて、ニッコリ笑いかけてくる。
「遅かったじゃない、どうしたの?」
「うん、温室でね、白岐さんに花を見せてもらってたんだよ」
「ええっ、もう行っちゃったの?」
「あたしまだ行ってないーッ」って騒いだ八千穂さんを、担当教諭が軽く叱る。
ついでに授業に遅れたあたしも発見されて、挨拶くらいしないかって怒られちゃった。
参ったなあ。
「今日の実験は、金属ナトリウムの反応を見るの?」
「ああ」
「ねえねえあーちゃん、お水の量はこれくらいでいいかな?」
「八千穂さん、それじゃ試験管が爆発しちゃうよ」
苦笑いのあたしの隣で、ため息を漏らす甲太郎、照れ臭そうな八千穂さん。
いつもと変わらない日常。
周りのみんなもそれぞれ真面目に実習しているようだった。
「あきら、お前、ちょっとポケット見せてみろ」
「きょ、今日は、まだッ」
「あはは、今日はって、それじゃあーちゃん、自白してるのと同じだよ!」
(ううッ)
だってしかたないじゃん、現地調達はハンターの常識だもん。
「ううう」
ん?
あたしは振り返った。
今のは、あたしじゃない。
「ううう、ウウウウウ」
声の主はクラスメイトの男の子だった。
隣の子が気付いて、心配そうに声をかけようとした途端。
「あウウウウウッ」
頭を抱えてしゃがみ込む。
気付くと、片っ端から皆が苦しそうに身悶え始めていた。
「な、何?」
驚く八千穂さんの声。
肩をグッと引き寄せられて、見上げると、甲太郎が厳しい顔をして辺りを見回していた。
「一体何事だ、これは」
「ちょ、ちょっと、何がどうなっちゃってる―――あいたたッ」
頭を押さえて呻いた八千穂さんに、あたしと甲太郎は慌てて振り返る。
「だ、大丈夫」
苦し紛れに笑った八千穂さんは、急に頭痛がしたんだって話してくれた。
「あきら、お前は大丈夫か?」
「平気、甲太郎は?」
「あれ?」
八千穂さんが首を傾げた。
「あーちゃん、皆守クンのこと、そう呼ぶようになったんだ?」
「えッ」
一瞬きょとんとしたあたしは、直後に猛烈な恥ずかしさに襲われる。
「や、ち、違ッ」
「何だかそういうのって、いいね、親友みたい」
「や、八千穂さん!」
「うんうん、あたし、ずっと前から気になってたんだよねぇ、だって皆守クンはあーちゃんを名前で呼ぶのに、あーちゃんは苗字だったじゃない、ねえねえ、いつの間にそんなに仲良くなっちゃってたの?」
や、八千穂さんもだったの?
屋上で甲太郎に囁かれた言葉が蘇ってきて、あたしはますます恥ずかしさがこみ上げてくる。
「だ、だから、それはッ」
「―――おいッ」
何だか和んでいたら、急に厳しい声で呼ばれた。
振り返ると周囲は凄い状況。
唸り声を上げていた一人が、不意に立ち上がって、あたしの方にヌラリと向き直った。
「玖隆、あきら」
「え?」
「お前か、全ての元凶は」
(は?)
唖然とするあたし。
一体、どういう事?
「玖隆あきら」
「玖隆あきら」
「お前が我等の眠りを犯した」
「罪深きものに死を」
「墓荒しに死を」
「玖隆あきらに―――死を!」
ほぼクラスの全員が、そのまま一挙にあたしめがけて迫ってきた!
どれもまともな表情じゃない。
一番近くにいた男の子の手が、あたしの肩に伸びてきた。
「あきらッ」
甲太郎が即座にカウンターパンチでその子を吹っ飛ばす。
「え、えーッ、みんな、どうしちゃったの?」
手や、腕や、足が、あたふたしている八千穂さんや、甲太郎じゃなくて、あたしばかりを狙って繰り出されてくる。
あたしは自分でガードする以上に、甲太郎と八千穂さんに庇われながら、三人でジリジリと教室の出入り口目指して移動を始めた。
「どいつもこいつも、何かに取り憑かれているってのがピッタリだな」
「あーちゃん大丈夫?」
「へ、平気」
「皆守クンは何ともないの?」
あたしの髪を引っ張った手を、八千穂さんが平手で叩き落す。
―――ちょっと、何だか、複雑な気分。
(あ、あたし、大丈夫なんだけどなあ)
多分。
この状況はどう考えても、本来の立場が逆だ。
「まあな」
「それってやっぱり、アロマとカレーの匂いしかわからないから?」
「お前な」
あたしは甲太郎を見上げる。
「そうなの?」
「違うッ」
八千穂さんは多少気遣っているみたいだったけれど、甲太郎は男女の別を問わない。
攻撃してくる相手は、誰彼構わず片っ端から吹っ飛ばしてる。
ある意味平等だと思うけれど、女の子まで男みたいに張り倒す事ないんじゃないの?
目の前の女の子を容赦なく蹴り飛ばして、進路を開く。
甲太郎、怖いなあ。
「おまえも、八千穂も、くだらないことを言っている暇があったら、早くここを出るぞ、さもないと―――このッ」
ようやく出入り口だ。
「クラスメートを片っ端から殴り倒さなきゃいけなくなる」
(って、もう散々殴ってたじゃない)
何とか廊下に飛び出すと、振り返った八千穂さんが勢いよくドアを閉めた。
「これで暫くは大丈夫―――」
「うう、ううううう」
声に振り返ったあたしたちは、周囲を見てうんざりと顔をしかめる。
「こっちもか」
「あーちゃん、皆守クン、とにかく逃げようッ」
甲太郎の腕から抜け出そうとしたあたしは、そのままもう一度腕の中に抱き込まれていた。
(あ、あれれ)
何で?
見上げると、甲太郎は怖い表情で向こうの景色を睨みつけている。
「まさかどこも全部こんな状況じゃないだろうな、限界があるぞ」
「甲太郎」
こっちを見ようとしない。
あたしはシャツを引っ張ってアピールする。
「俺、自力で」
「皆守クン、どうするの?」
八千穂さんの声だ。
「とりあえず、外に出る、考えるのはそのあとだ」
「わかった」
「こうたッ」
残りの言葉は、キスで塞がれた。
解放されて慌てて振り返ったら、八千穂さんは向こうを見ていた。
(だ、だから)
「少し黙っていろ」
低い声が耳元に囁きかけてくる。
「お前一人くらい何とかする、だから、おとなしくしていろ」
(なっ)
腕の力がギュウッと強くなった。
途端、あたしは、青ざめて、力一杯抵抗をはじめる。
「っつ!おい、あきらッ」
「や、ヤダッ」
そんなの絶対お断り。
あたしは、自分の身は自分で守れるよう、訓練されているもの!
(心配なんて要らないよッ)
もしも、あたしを守った事で、甲太郎や八千穂さんが怪我なんてしたら―――
(あたし、自分で自分を許せない!)
絶対に、それだけは絶対にイヤだ!
両腕を掴んで、それでもまだ捕まえようとする甲太郎を何とか振り切ろうとして、今はこんなことをしている場合じゃないっていうのに、二人してじたばたしていた、その時だった。
「玖隆!」
怒鳴り声。
駆け寄る足音と、目の前に飛び出してきた背中。
八千穂さんが「夕薙クン」って叫ぶ。
「ここは俺に任せて、玖隆、君は一旦どこかに身を隠せ」
「何でッ」
「クラスメイトの危機を放っておくわけにはいかないだろう?」
肩越しに振り返った夕薙君は、あたしを見てニッと口の端を吊り上げる。
甲太郎もポツリと名前を呼んでいた。
「俺なら大丈夫、多分、この場を沈める事が出来る」
「そ、それってどういう」
「今は説明している暇はない」
八千穂さんに向かって、夕薙君はキッパリと言い放った。
「玖隆」
あたしを見詰める真っ黒な瞳。
「君は、俺を信じるんだろう?」
「うん」
迷いもなく即答したら、夕薙君は嬉しそうな笑顔を見せて、学生服の集団に向きなおった。
「俺に構わず行け、この階に、何か強い力のわだかまりを感じる」
「えッ」
「それが何かは解らないが、この異常事態を見極めるにはそこを目指すのがよさそうだ」
この階―――何があったろう?
思い出そうとするより先に、八千穂さんの「図書室!」の声。
「月魅ッ」
七瀬さん?
(そうか)
この頃、図書室が荒らされるって話していた七瀬さん。
睡眠障害にも陥っていて、その原因をルイ先生は霊的障害だろうって診断していた。
今はまだ授業中、七瀬さんが図書室に向かっているって、断言する事は出来ないけれど。
(ここは、八千穂さんの直感を信じよう)
甲太郎を見上げると、すぐに理解してくれたみたいだった。
「図書室に行くぞ」
腕を放して、踵を返す。
解放された途端、あたしは勢いよく駆け出していた。
甲太郎と八千穂さんが後からついてくる。
「夕薙君!」
「俺の事はいい、君たちこそ気をつけろ!」
後ろに向かって叫んだら、大声が返ってきた。
直後に響き渡る雄たけびと、大勢が押し寄せる気配。
(急がないとッ)
廊下を駆け抜けて、たどり着いた扉の中に、勢いよく飛び込んだ。
図書室の中を見回してみるけれど―――いないッ
「月魅ッ―――あれ、いないのかな」
「見ろ、書庫室が開いている」
甲太郎の「行ってみよう」の声とともに、歩き出すあたしたち。
中に入って辺りを見回してみる。
その途端。
「ひゃあ!」
八千穂さんがビクリと肩をすくめていた。
大きな音がして、勝手にドアが閉まったんだ。
甲太郎の手が、さりげなくあたしの腕に添えられて、そっと引き寄せられていた。
「やはりここでしたか」
本棚の一つ、脇から、長くて細い包みを持った男の子が姿を現す。
それはほんの少し前に温室で会っていた―――神鳳充君。
あたしは即座に身構える。
「玖隆君、僕がどうして来たか、もうおわかりでしょう?」
「な、何?」
八千穂さんは動揺しているみたいだった。
「君を迎えに来ましたよ」
ニッコリ。
けれど、決して友好的な笑顔じゃない。
甲太郎の指先にグッと力が込められていた。
「なるほど、大和の言っていた墓荒らしってのはお前だな?」
「荒らした?僕が?」
とんだ誤解ですよ。
長い髪をさらりとかきあげて、神鳳君は余裕の表情だ。
「皆守甲太郎君、僕には聞こえるんですよ、彷徨う霊達の声が」
「れ、霊って」
制服の裾を握られる―――八千穂さんだ。
気持ちのいい話じゃないから、もしかして、怖いのかもしれない。
「あの墓地に眠る霊たちが、墓荒らしに裁きを下せと呪っているんです、だから、僕は、玖隆君に恨みの声を上げる霊たちを解き放ってあげたんです」
「じゃ、じゃあ、みんながあんな風になっちゃったのは、キミのせいなんだね?」
「悪いのは土足で踏み込んできた彼の方です」
―――随分、心外なことを言ってくれるじゃないの。
(確かに、あたしの仕事ってちょっと墓荒らしと似てるかもしれないけどさ)
でも、奴等とは確実に違う点がある。
それは、あたしたちハンターは、遺跡とそこに眠るものに深い敬意を払っているということ。
決して手垢まみれの私利私欲めいた、例えば金銀財宝を掘り起こして一儲け、なんて、考えていないもの。
―――まあ、依頼を遂行する事で、多少の利益は生んでいるけどさッ
(でもでも、あんな無粋な奴等と一緒にしないで欲しいッ)
例え自画自賛だと笑われたって、それがあたしのポリシーだもん、何か悪い?
偽善だ何だって、ちょっとでも善意が含まれているなら、いいじゃない!
「玖隆君」
あたしは神鳳君を改めて見詰める。
「君は、本当に自分のしたことの責任を取れるつもりでいるんですか?」
「俺の関与した事に限ってなら」
それ以上はお門違いだ。
あたしは、自分の仕事に限り、確実にきっちりこなすつもり。
「責任なんて言葉を盾に、調子のいい事まで希望して欲しくないな、俺はそこまでお人よしじゃない」
「フフ、なるほど」
神鳳君は何かしきりに納得した様子だった。
「君が、いえ、君たちが、これだけの霊圧の中で正気でいられるわけが、何となく分かったような気がしますよ」
「何?」
「この学園には、好奇心が強く、それでいて信念を持たない人たちがたくさんいますからね、僕も仕事がやりやすかったのですが」
荒事は好まないのですが、と、神鳳君は片手に持っていた袋をするりと解いた。
中から弓道で使うような大型の弓が姿を現す。
「鳴弦というものを、知っていますか?」
ひいーん。
神鳳君の指先が弦を弾いた。
途端、あたしの頭の中に、重い何かが入り込んできた。
「な、何ッ」
ひいーん。
「ここで大人しくしていなさい」
「痛ッ」
八千穂さんがあたしのシャツを掴んだまま膝をつく。
苦しそうな表情で、呻き声を上げる。
「あッ、たま、が!」
ひいーん。
「うくッ」
あたしも頭を抱えて体を折った。
途端、ギュッと抱き寄せられて、甲太郎の声が聞こえる。
「くそッ」
甲太郎も、苦しんでいるのかな。
―――何とかしないと。
ひいーん。
(頭が、割れそうッ)
「やがて霊たちが君を迎えに来ます、罪深き墓荒しを黄泉へと連れて行くために」
神鳳ッと、叫ぶ声がした。
甲太郎の声?
(ダメだ、このままじゃ、皆―――)
ドスン、バラバラバラ、と。
不意に頭が軽くなる。
割れそうなほど響いていた痛みが唐突になくなって、ふらついた足元を、そのままグッと支えられた。
八千穂さんも顔を上げて、きょとんと辺りを見回している。
「あ、れ?」
見ると、書庫室の奥へと駆けていく神鳳君の後姿。
あたしを支えていてくれたのは、やっぱり甲太郎だった。
見上げた途端に「急げ」って言われて、とにかく、わけはわからなかったけれど、あたしは何とか行動を開始した。
走り出す後から、甲太郎だけがついてくる。
八千穂さんは―――もう少し休んでいるといいだろう。
本当はあたしだって、すぐに動くのはきつい状態なんだけど。
「神鳳君!」
飛び込んだ風景には。
「ない、どこだ、どこにある」
神鳳君の姿、そして。
「あの鍵さえあれば」
(七瀬さん?)
本棚を乱暴に引っ掻き回して、本が無造作にバラバラと落ちる。
壊れた本を修繕して、大切に扱っていた七瀬さん。
図書室を荒らす人がいるんだって、本気で悲しんでいた。
その彼女が今―――正に、図書室を荒らしている。
凶行の犯人って、まさか、七瀬さんだったの?
「な、七瀬さ」
「鍵は、どこだ!」
振り返って怒鳴った、七瀬さんもまた、尋常でない雰囲気を纏っていた。
あたしは改めて、天香に潜む闇の深さを、思い知らされたような気がしていた。
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