甲太郎のいない朝は、なんだか物足りない感じ。
ホウッと吐き出す息が白い。
起きてからずっと、気もそぞろで、とにかくあたしは身支度を整えると、寮を出て校舎に向かって歩いていた。
甲太郎に連絡を取ってみたんだけど、大丈夫だからお前はいつもどおりにしろって。
(気を使われてるんだろうな、きっと)
でも、あいつがそんなタイプだとは思わなかった。
甲太郎って案外思ったことを全然口に出さない人なのかもしれない。
表面だけ見れば、乱暴者で、ぶっきらぼうだし、意地は悪いし、思わせぶりだし、でも案外優しかったり、親切だったりするから、よくわかんないんだけど。
結構色々な事考えてるのかな、アレでも。
(でも、単に眠いだけのような気もする)
猫とかと同じで、フリだけなのかもしれない。
相変わらず奴の事だけさっぱりだ。
考えている内に、余計な事まで思い出しちゃって、あたしの心臓が勝手にダンスを踊りだす。
(やッ)
ダメダメ、何朝っぱらからモヤモヤしてるの、しっかりしなさい!
ぶんぶんと首を振った直後、背後から呼び声が聞こえた。
「先輩!」
振り返ると、向こうから、ダッフルのコートにマフラーを巻いた姿の夷澤君が、鼻の頭を赤くして駆けてくる。
「おはようございますッ」
「うん、おはよ」
夷澤君はあたしの正面に立つと、軽く呼吸を整えてから、メガネの位置を直しつつ、ニコリと笑いかけてきた。
あたしもつられて笑ったら、頬の赤みがちょっとだけ強くなる。
「けッ、今朝は」
「うん?」
「今朝は、お一人なんスね」
「ああ」
そっか。
あたしって、何だかんだ言って、結構連日甲太郎と一緒に登下校してるんだもんね。
寂しい隣に想いを馳せつつ、苦笑いで「あいつは後から来るんだ」って誤魔化した。
「あと?」
「なんだか、用事があるみたい、一時間目には間に合うと思うんだけど」
「はあ、寝てるんじゃないスかね、いつもみたいに」
「違うよ」
思わず語尾が強くなったら、夷澤君が不思議そうな顔をする。
あたしは急いで顔の傍で両手を振った。
「や、その、ホントに急用だって、連絡あったんだ、だから」
「そうッスか」
何となく、お互い黙り込む―――気まずい沈黙。
(ど、どうしよう)
「先輩」
「えッ」
「じゃあ、その、もしよければ、俺と一緒に登校しませんか?」
え?
見上げた夷澤君は、いよいよ顔が赤い。
(そうか)
不思議に思ったんだけど、すぐにピンと来た。
(ひょっとして、気を使ってくれたのかな、やっぱり)
照れ臭いのをガマンして、多分、あたしに元気がなかったから。
チラッと目が合ったから、なんとなくニコッと笑い返すと、夷澤君は頭から噴火しそうな雰囲気になる。
(いい奴)
アリガト、夷澤君。
「いいよ」
「え?」
行こっか。
首を傾げて促すと、夷澤君がゴクリと喉を震わせた。
「じゃ、じゃあ」
ぎこちなく歩き出す隣で、あたしも歩く。
何だかちょっとだけ、こういうのって新鮮かもしれない。
「今朝は寒いよね」
当たり障りのない話題を振ったら、何度も頷き返された。
(水飲み人形みたい)
面白いなあ。
「そ、そうッスね」
「気をつけないと風邪引きそうだよね、夷澤君は寒いの苦手?」
「い、いや、俺は、熱いほうがむしろ」
「そうなんだ」
「先輩は、どうなんですか?」
「俺はねえ」
答えようとした瞬間、鼻がむずむずして、くしゃみが飛び出していた。
「うぃー」
ズルズルすすり上げて唸る。
ううん、人に話を振っておいて、自分が風邪なんて冗談じゃないぞ。
まあ、体力にだけは自信あるんだけどさ。
「先輩、大丈夫ッスか?」
夷澤君が心配して顔を覗き込んでくる。
あたしは鼻水をズルズルさせながら、照れ笑い混じりに頷いた。
「あー、だいじょぶ、だいじょぶ、心配ないよ、俺って結構丈夫だし」
「ああもう、鼻水出たんですか?これ使ってください」
差し出されたティッシュに、準備いいなあとか思いながら、一枚取り出して鼻をかむ。
「まったく、言った傍から具合悪くして、どうするんスか」
「アハハ」
「笑い事じゃないですよ、ほら」
ふわり。
(えッ)
―――今度はさすがに、ちょっとだけビックリ、あたしは首に長くてあったかいものを巻きつけられた。
夷澤君を見上げると、首にあったはずのマフラーが無い。
「これも、使ってください」
ちょっと顔を赤くして、むっすりしてる夷澤君。
(これって)
くんくん。
「夷澤君の匂いがする」
「んな!」
ぼふっと真っ赤に染まった姿に、思わず笑いながら、やーいと胸の辺りを小突いてやった。
「ちゃんと洗ってるのー?」
「なっ、ななッ」
「整髪剤とコロンの香りがするぞ、格好つけて」
「く、玖隆先輩!」
「でもコレ、あったかいね、いいの?」
「っつ!」
少し間を置いて、項垂れる姿と、ホントに小さい「ハイ」の声。
優しいな、嬉しいな。
ここの所本当に色々あったから、なんだか癒されたよ。
みんなから凄く親切にしてもらってる、あたし、こんなにいっぱい、貰うばっかりでいいのかな?
夷澤君は、やっぱり照れ臭そうに苦笑いを浮かべていた。
首に巻かれたマフラーのお陰で、さっきよりずっと、ホコホコあったかい。
「アリガト」
「いえ、それよりこんなところで油売ってると、遅刻しますよ」
「うん、行こう」
メガネのフレームを押し上げる夷澤君に、あたしは笑いかける。
また一緒に歩き出した並木道。
でも、それからあまり距離を進まない内に―――
「や、やめてくださいッ」
聞こえてきたか細い声に、あたしたちは振り返っていた。
(次へ)