「大和の事なら、もう大事無いそうだ」

向かい合って座った窓際の席。

オーダーを取りに来た舞草さんに、甲太郎はコーヒー、あたしはケーキセットを注文して、姿を見送ったすぐあとに、甲太郎が教えてくれた。

あたしが部屋に戻った後も、甲太郎は夕薙君の意識が戻るまで、ルイ先生と一緒にずっと容態を見守っていて、無事を確認してから登校してきたらしい。

それは、あたしがその事を甲太郎にお願いしたからで―――

こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、その、凄く。

(嬉しいな)

運ばれてきたタルトの上に乗っかった、たっぷりの苺を一個ずつフォークで刺して、そっと口の中に運ぶ。

コレってクリスマス限定メニューなんだって。

そういえば、今日は1222日、クリスマスの三日前だったりする。

(でも、何というか、殆どそんな話題聞かないよねぇ)

まあ、今の時期の高校三年生っていえば、受験が戦争だったりして気分じゃないのかもしれないけれど。

多分、それだけが理由じゃないだろうなっていうのも、何となくわかってるつもり。

この数ヶ月で色々な事件が起こりすぎて、誰も、どこかしら不安めいたものを抱えちゃってるんだ。

あたしの日常といえば相変わらずだけど、他の皆にとって、この状況は日常的じゃないんだろう。

(現実と非現実、か)

タルトをフォークでグサグサ刺す。

「おい」

顔を上げたら、行儀が悪いって怒られちゃった。

あたしはクリームをひとすくいして、何となく甲太郎に差し出してみる。

「ハイ」

一瞬きょとんとした甲太郎は、直後に盛大に赤くなって、慌てて、なんか知らないけどソワソワして、結局最後はフォークにパクって食いついてきた。

何だこいつ、クリームそんなに好きなのかな?

あたしは続きをパクパク食べつつ、時折ストレートのダージリンで喉を潤す。

暫く無言でコーヒーを啜っていた甲太郎が、フッと顔を上げて、あたしをまじまじと見詰めてきた。

「なあ、あきら」

「んん?」

「お前さ、大切なものを無くしたこと、あるか?」

ん?

再びカップを口元に運ぶ、甲太郎の仕草は、さりげないけれど、どこか妙な雰囲気。

あたしはフォークを加えたまま、暫く考えて、いつの間にか眉間に縦皺を作っていた。

「大切なもの、ねえ」

そんなこと、急に聞かれても。

「無くしたものならたくさんあるよ、こんな状況だもん、色々、たくさん諦めたし、我慢もしてきた、俺はそういう人生を選んだんだから、全部仕方のない事だって思ってるよ」

まあ、ちょっとだけ、辛かったりとかは、どうしようもないんだけどね。

「でも、本当に大切なものは、この中にどっかり座ってるから」

胸をポンと叩く。

「だから、いっぱい無くしたけど、大切なものをなくした事は、ないよ」

「そうか」

唇に浮かぶ、薄い笑い。

―――まただ。

寂しそうな様子の甲太郎から、あたしは目を離せない。

「幸せな奴だな、お前は」

伸びてきた掌が、頭をぐいぐい撫でてくれた。

でも、そんな事されたら、切ない気持ちがますます強くなったみたいだった。

ボシャボシャにされた髪の毛の下から、あたしはじっと皆守を見詰める。

どうしてそんなに辛そうなの?

戻りかけた手を捕まえて、ギュッと引っ張り寄せた。

甲太郎がちょっとだけ目を見開いた。

「甲太郎にも」

あるはずだよ?

忘れちゃっているだけだよ、きっと。

「ここに」

あたしの胸に、手をあてる。

「おんなじくらい、あったかい、大切なものが、ちゃんとあるよ」

アロマの煙が立ち昇っている。

ラベンダーの香りの向こう側から、甲太郎はあたしをじっと見詰めている。

ドキドキ、ドキドキって、心臓の音が、掌から伝わっているはず。

この音は、甲太郎の胸にだって同じ様に響いている。

だって聴いたもん、それこそ、本当に、何度も、何度も。

手を離すと、姿勢を戻した甲太郎は、暫く自分の掌を見詰めて、何も言わずにコーヒーを飲み始めた。

あたしも紅茶のカップに唇を押し付ける。

それからまた暫く無言で、あたしがタルトを食べ終わるのを待って、あたしたちはマミーズを出た。

「じゃあな」

ドアの前で、甲太郎は背中を向ける。

歩いて行っちゃうの、凄く切なかったけれど、追いかけることができなかった。

それはどことなく、姿が拒絶していたから―――見送るのも苦しくて、結局あたしは反対方向に歩き出していた。

どうして甲太郎はあんな事訊いてきたんだろう。

(甲太郎は、何か大切なもの、無くしちゃったって思ってるのかな?)

だからあんなに辛そうなのかな。

(あたしが助けてあげる事は、できないのかな)

昨日も、そんなことを考えていた気がする。

そうじゃない、一昨日も、その前も、最近、考えるのは甲太郎のことばっかり。

とぼとぼ足元の影を追いかけるみたいにして歩き続ける、冬枯れの校庭。

気付けば遠くでチャイムの音が響いていた。

これって、多分、三時間目の始まる合図だ。

見上げた空があんまり青くて、ちょっと泣きそうになっちゃった。

本当に、理由なんて全然思い当たらないんだけれど―――

「あれ」

なんか、聞こえる?

振り返ってみると、物凄い勢いの土煙、そんでもって。

「じゅッ」

うわ。

「ってーむ!」

異様に顔の大きい、あの人は!

飛び込んできたところをすかさずジャンプ!

足元の背中をトンッと蹴って、1メートルくらい先に着地した。

あたしを、顔面から地面に突っ込んだ朱堂君は振り返りざま恨めしそうに睨みつけてくる。

「ひっどい!アタシの愛情、どうして受け取ってくれないのッ」

「当たり前だろッ」

いけない、思わずつられて怒鳴っちゃった。

朱堂君はヒドーイとか言いながら案外元気に立ち上がると、土埃をパタパタと叩き落とす。

「せっかく、茂美が、この天香イチの俊足で、ダーリンに言伝を持ってきてあげたっていうのにィ」

「言伝?」

「そ、ルイセンセからよッ」

あたしのアンテナがピコンと反応する。

「麗瑞先生が?」

「ええ、急用だから、なるべく急いでって言ってたわ、何かしらね?」

「知らないよ」

そっけなく答えつつ、まだ何か色々喋り続けている朱堂君は放っておいて、考えを巡らせた。

ルイ先生があたしに急用って、一体どういう事だろう。

夕薙君の事じゃ―――多分、ない。

彼の容態は安定したって、甲太郎が教えてくれたから。

(じゃあ、何だろう)

妙な胸騒ぎを覚えつつ、わかった、有難うって短い言葉と一緒に、あたしは踵を返す。

「ああん、ダーリン、もう行っちゃうの?」

「急用だからッ」

「ね、ね、ご褒美は?頑張った茂美に、熱い口付けのご褒美は!」

「そんなもん、ありませんッ」

「そんな、イケズーッ」

あはは。

そういえば、朱堂君はどうして言伝なんて頼まれたのかな?

(なにか、悪いことでもしたんだろうか)

想像すれば色々と理由が捏造できちゃうみたいで、あたしは、空寒い気分になりつつ、さっきまでの感情をとりあえず振り切って、校舎に向かって走っていった。

 

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