昇降口から駆け込んで、角を曲がってすぐの場所にある保健室に向かおうとする。
けど、その手前で、不穏な物音があたしの耳に飛び込んできた。
「おいッ、もっとこっちに来いよ!」
(ん?)
くるっと顔を向けると、校舎棟に向かう通路の端に、学生服の端が見える。
「手間取らせんなよ、オラッ」
「うっせえ、ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねえよ」
柄の悪い言葉の合間に、小さく聞こえてくる「やめてください」のか細い声。
―――どうしよう。
(ルイ先生に呼ばれてるんだよなあ)
興味本位で首を突っ込んでも、面倒を被るだけだろうし。
参ったなあ。
あたしは頭の中で、そろばんを弾こうとして、結局やめた。
寝起きが悪いのはゴメンだ。
(仕方ない)
玖隆あきら、ここは一発、男らしく仲裁に入ってまいりますッ
コソコソーッと近づいて、通路を覗き込んでみる。
「ん?」
「なんだぁ」
あ、やっぱり。
予想通りの光景、体の大きい、顔色の悪い何人かの男の子の間に見える華奢な姿。
(あの子って、今朝の)
またかって立ち尽くしたあたしに、男の子たちが睨みを効かせながら近づいてくる。
「てめえ、誰だよ」
「女が男物の制服か?ハハハ、笑わせてくれるぜッ」
(ぴ!)
一瞬ギョッとしたけれど―――ただバカにされただけみたいだ。
まあ、こんな濁った瞳じゃ、どんな真実だって見抜けないだろうけどね。
あたしはグッと奥歯を噛んで、負けずに彼等を睨み返す。
「お前たち、何してるんだよ」
「はああ?なんだ、見りゃわかるだろうが」
「俺達はお友達同士、仲良くしてただけだよ、なあ?」
響、と呼ばれながら、ドスンと肩に腕を回されて、響君は痛そうに顔をしかめていた。
「わかったらとっとと行けよ、お前」
「それともお前も、俺らと仲良くするか?」
伸びてきた腕が、あたしの肩を捕まえる。
気味の悪い薄ら笑いの顔が、交互に覗き込んできた。
「あんたの事知ってるよ、三年の玖隆だろ?」
(えッ)
「噂には聞いてたが、ホントに女みたいな顔してるな、背も小せぇし」
「お前、実は女なんじゃねえの?」
「ちょっと剥いて確かめてやろうか」
「そりゃいいぜ、股間のブツをご開帳、と行こうか」
「響も剥いて、仲良く並ばせて、写真撮ってやるよ」
「出会い系のサイトにでも乗せとくか、美少年、お相手待ってますってな」
「ぎゃはは!」
―――最低。
でも、何かちょっと新鮮だ。
着任してから今日まで色々、大変だったけど、こういう、わかりやすく性根の腐った奴等って、まだ見かけてなかったよね、そういえば。
あたしは呆れ半分、ムカつき半分で、髪やら首筋やらを触りまくってくるバカ共を睨み続ける。
どうしてくれようか、こいつら。
(半殺しにするより、むしろ、こいつらの提案どおり、剥いてご開帳して写真とってやろうか)
こんな不細工の股間にある気持ち悪いものなんて見たくないけど。
(まあ、どっかで需要があるでしょ、多分)
とりあえず伸す事は決定。
あたしを侮辱した罪は重いぞ。
男の子の一人が、何睨んでんだって、あたしの顎を掴んで上向かせた。
そのまますかさず鳩尾に一撃、油断しまくりの隙をついて打ち込もうとする。
けど、あたしが動作を始める前に。
「おい!」
鋭い声。
その場の全員が振り返った。
「テメエ等、何やってんだ!」
(あれ?)
メガネを押し上げながら走ってくる、あれは、夷澤君?
ビックリしてキョトンと見てたら、凄く怖い顔のまま突っ込んできて―――夷澤君は、とりあえず一番近くにいた男の子を右ストレートで背後の壁に吹っ飛ばした。
縮こまる響君の前を通り過ぎて、どんどんこっちに近づきながら、フック、ジャブ、アッパー!
連続技の数々に、あたしを捕まえている男の子の手がブルブルと震えている。
「オイ」
最後に、あたしの傍に立つと。
「その汚ねぇ手、どけろ」
腕をひねり上げて、よけて。
「ひ、や、やめてくれ、助けてッ」
「るっせえ!」
そのまま鳩尾に容赦のない一撃。
男の子は透明な液を吐き出しながら、バッタリ床に崩れ落ちる。
「夷澤君」
さすがに、やりすぎなんじゃないかなって、思いながら声をかけようとしたんだけれど。
「おらあ!」
「ぐぎゃッ」
「立てよ、オラッ、オラァ!」
ガツガツ、グシャリッて。
夷澤君は自分が殴り飛ばした男の子たちを、無差別に引き起こしては、攻撃の手を止めようとしない。
廊下には血が飛んで、折れた歯が何本か転がっていた。
響君が隅で震えながら様子を見ている。
どう見ても、暴力そのものを楽しんでいる夷澤君に、あたしはグッと息詰まるものを感じて、強く彼に呼びかけた。
「夷澤君」
夷澤君は止めない。
「夷澤ッ」
「てめえらみたいなクズはなあ、俺達の裁きが必要なんだよッ」
「も、ゆるし」
「黙れ、クソがッ」
「いざわ!」
振り上げた拳に飛びつく。
夷澤君は、ようやく動作を止めて、片手に掴んだ男の子を突き飛ばしながら離した。
「―――何スか、先輩」
横顔があたしを見る。
色々な臭いの混ざった生臭い空気が辺りに充満している。
「ダメだよ」
「何が」
「もう、これ以上は必要ない」
「あんたが決める事じゃないだろ」
腕がユルユルと下りていく。
夷澤君は、乱れた髪をかきあげて、メガネについた血をハンカチで拭った。
辺りの惨憺たる様子を一瞥しながら、フンと鼻を鳴らす。
「こいつら、どうせ、クズみたいなもんじゃないスか、学園の面汚しだ、おまけに先輩にまで手を出した」
「夷澤君」
「どうして止めるんですか、俺は職務を全うしていただけです、先輩に口出しされる事じゃない」
「でも、これじゃやり過ぎだ」
「はッ、お優しいんスね、先輩は!」
あたしはまだ夷澤君の腕を捕まえたままでいたんだけれど、夷澤君はブンッと腕を振って、あたしの手を振り解いてから、そのまま背中を向けて駆けてきた方向に戻ろうとする。
前を通り過ぎたとき、響君が一生懸命顔を上げて夷澤君に呼びかけた。
「い、夷澤君ッ」
チラッと横を向いた表情は、驚くほど冷たい。
息を呑んだ響君に、夷澤君は何も言わず、そのまま歩いて行っちゃった。
フラフラと立ち上がった響君が、一瞬あたしを見てから、急いでその後を追いかけていく。
―――なんだろう、また、睨まれた気がするんだけれど。
足元に転がる男の子たちは、すぐに立ち上がれる状態じゃないみたいで、皆ウーウーうめき声を漏らしながらのた打ち回っていた。
こんな場所にいつまでもいたら、ホントに余計な面倒に巻き込まれちゃうな。
(とりあえず、ゴメンねッ)
心の中で謝ってから、あたしも踵を返して、走り出した。
急用で呼ばれてるし、ついでだから、とりあえずルイ先生のところへ行こう。
昇降口前を抜けて、保健室は職員室と向かい合った場所にある。
ほんの、目と鼻の先であんなに大騒ぎしていたのに、どうして誰も駆けつけなかったのかなってちょっとだけ職員室を覗いてみたら、授業中のせいなのか、中には誰もいなかった。
(物騒だなあ)
保健室のドアを開く。
「失礼します」
屋内では、いつもの定位置で、ルイ先生が煙管を吹かしながら、あたしを見てスッと瞳を細くしていた。
(次へ)