夜の9時きっかり。
あたしはプールサイドに立っていた。
体が透けて見えちゃいそうな白のベアバック、お尻の辺りはフルバックで、ローレグタイプの可愛いワンピース型。
「うふふ」
真っ赤な髪を翻して、姿を現した双樹さんは、刺激的なビキニを着ていた、色は赤。
(なんと言うか、もんのすごいな)
おっきな胸元が今にも零れ落ちそう!
それに、抜群のスタイルを際どい角度で隠しているだけで、はあ、こんなもん、男の子達が見たら卒倒しちゃいそう。
あたしの体は相変わらず貧相で、おまけに傷だらけだけど、でも今は夜で辺りは真っ暗だから、少しだけ気が楽だ。
だって明るい場所だとどうしても気になっちゃうんだもん。
一緒にシャワーを浴びて、軽く柔軟運動をして、水の中に浸かると、凄くいい気持ち。
真冬の温水プールなんて、最高級の贅沢じゃない?
「あかりちゃん、フォームが綺麗ね」
「そ、そうかな?」
「勿体無いわ、うちの部員たちにも、是非ともご教授頂きたいけれど」
「アハハ」
天窓からうっすら月光が差し込む、屋内は、どこか神秘的な雰囲気。
水に浮かびながらそっと目を閉じると、ここではない別の場所に居るみたい。
「あかりちゃん」
水音に混じって響いてくる、双樹さんの声。
「貴方と泳げて、本当に楽しい」
うん。
「あたしもだよ、双樹さん、今日は有難う」
「ウフフ―――ねえ、そろそろ、休憩しましょう?」
促されて、あたしたちはプールサイドに上がってきた。
チェアにかけておいた大判のタオルで軽く水気をふき取って、そのまま腰を下ろす。
「ねえ、あかりちゃん」
月明かりを受ける双樹さんの姿は、凄く綺麗だ。
「なに?」
髪の毛をワシワシ拭いて、タオルを肩にかける。
ちょっと首を傾げるあたしを、双樹さんは瞳を細くして見詰めている。
「貴方、好きな人っていないの?」
「えッ」
と、唐突な質問だ。
思わず、激しく動揺しちゃった。
心臓がバクバク音を立てて大騒ぎしてる。
「いきなり、何?」
「女の子は恋をすると綺麗になるのよ」
はあ。
「貴方、最近、どんどん可愛くなっているの、自分で気付いているのかしら」
「ええっ」
ギョッとするあたしに、双樹さんはクスクスと忍び笑いを漏らす。
(ど、どういう事?)
そりゃ、好きな人くらい、あたしにだって勿論いる。
憬れのハンター、ヴォルフこと、カール。
あたしの先輩で、アルの友達で、ハンサムだし紳士だし、明るくって豪快で、人並みはずれて優秀な、非の打ち所のない理想の男性。
一生懸命モーションかけても、全然相手にしてもらえないから、万年片思い中なんだけれど。
(でも、最近って)
カールを好きになって、あたしは変わった。
お姫様みたいに大切にしてくれたパパの元を離れて、一人きり、こんな危険な世界に飛び込んできた。
それから本当に色々な事があったけれど、カールを想って、今日までずっと頑張ってきたはず。
だから、最近って表現は的確じゃない。
(でも)
なんだろう、この、モヤモヤとした感覚は。
どこか落ち着かない、何か、大切な事を知らされているような、もどかしい気分。
あたしが最近変わったって、どうして?
何か違うのかな、見過ごしている事があるのかな。
「あかりちゃん」
双樹さんがそっと腕を伸ばしてきた、けれど、声を遮って。
砕ける音と、降り注いでくるガラス。
闇の中を真っ直ぐに舞い降りてきた姿、あれは。
「うわッ」
「あかりちゃん!」
あたしは―――あっという間に攫われて、ファントムの腕の中にいた。
ギュウウッて拘束された胸と片腕を締め付けられる感触が痛い。
それ以上に、喉元に突きつけられている、鈍く光る切っ先。
「動くな」
抑揚のない声が、駆けてこようとした双樹さんを制止させる。
天窓を破って侵入してきたファントムは、そのままあたしめがけて飛び掛ると、強引に捕獲して、5メートルくらい背後に飛び退いたのだった。
離れた場所から双樹さんがこっちをじっと凝視している。
唇が固く結ばれていた。
あたしは、身じろぎすらできない。
(くそーッ)
「おい、女」
ファントムの声だ。
「秘宝へ繋がる封印を解くための鍵を、よこしてもらおうか」
え?
(なんだ、それ)
初めて聞いた―――封印をとくための、鍵?
そんな便利なものが、この学園にはあったの?
(っていうか、それじゃあたしのこれまでの苦労は?)
どーいう事だ。
冗談の類にしちゃ、たちが悪いぞ。
「そんなもの、知らないわ」
双樹さんはキッパリ言い放っていた。
けれど。
(あれ?)
どこか、必死な表情、本当なの?
「ふざけるな、こいつがどうなっても構わないのか」
更にギューッと締め付けられて、あたしは思わず声が漏れちゃった。
「ううッ」
「あかりちゃん!」
プールサイドに痛々しい悲鳴が響き渡る。
何とか平気っぽく装いたかったんだけど、ちょっと無理、実は結構ピンチです。
「どうするんだ」
「うう、くううッ」
「早く口を割らないと、喉を掻き切るぞ」
ひええ!
「や、やめてッ」
双樹さんの声。
何だこの状況。
(ええーい!)
訓練受けてるあたしが捕虜になって、民間人困らせて、どーすんのッ
どうした、あかり、根性見せろーッ
(くっそー)
あんたの思い通りになんて、させない。
ファントムの動作に合わせて、少しずつ体をひねって、押さえつけられている腕の手首付近だけ、何とか自由に動かせるようにできた。
(あとは)
慎重に機会を窺う。
ファントムの意識は、すっかり双樹さんに集中している―――今だッ
手探りで触れた部分に爪を立て、力一杯握り締めながら、喉元に当てられていた爪を勢いよく張り飛ばした。
「ぐッ」
すかさずファントムを蹴りつけながら、その勢いで双樹さんに向かってダッシュ!
「あかりちゃん!」
短い距離だから、すぐたどり着けるはず、急げって、そう思ったんだけど。
「おのれッ」
直後、背中に走る、燃えるような痛み。
そのまま世界がぐらりとぶれた。
「う、あ」
双樹さんの叫び声。
あたしは、がくんとつんのめって、ゆっくり床に倒れていく。
―――どうしよう、これ、毒だ。
目の前が真っ暗で、息ができない。
心拍数も上がっているし、何より、段々意識が。
(ダメ)
今倒れたら、双樹さんを守れない。
(あたしが頑張らないと)
ファントムなんかにやられてる場合じゃない、早く非難を。
(ダメだ、ダメ、なのに)
グーッと何もかも混濁して、そのまま、あたしは闇の底に引き込まれそうになっていた。
何も聞こえない、何も見えない、何も、わからない。
このまま、どこか遠くへ吸い寄せられていくんじゃないかって、ぼやけた中に身の凍りそうな恐怖を覚えた、直後。
(あれ?)
体が浮いてる。
唐突に楽になって、呼吸もちゃんとできるみたい。
目と耳はまだ使い物にならないけれど、でも、生きてる感じがする。
心臓が動いてる。
喉と唇に苦い感じを覚えて、誰かの話し声が聞こえる、誰だろう?
膜が張っているような視界は、全部曖昧に濁って見える。
あたしはどこかに運ばれて、そこで、ゆっくり体を横たえられた。
そんなに距離は移動していないから、多分まだプール施設の中だ。
(ファントムは?)
「遺跡へ向かえ」
低い声が話しかけてくる。
「影は、そこへ、鍵を持って逃げ込んだ、貴様が真実を知りたいと欲するのであれば、すぐに後を追うがいい」
「だ、れ」
髪を撫でる掌。
この気配は、双樹さん?
大きな影が遠ざかっていく、あれは、誰?
「ん、んん」
何度か身じろぎをして、ようやく、まともに体が動かせるようになった頃、目もちゃんと見えるようになっていた。
あたしはタオルを敷いたデッキチェアに寝かせられていて、隣で不安そうな双樹さんがじっとこっちを見詰めている。
「あかりちゃん」
「双樹さん、ファントムは?」
「あいつなら、墓地へ向かったわ」
悔しそうな表情。
指の細い、白くてしなやかな掌が、あたしの手をギュッと握り締める。
「そんなことより、私、生きた心地がしなかった、あなたがあいつの毒を塗った爪に切りつけられて」
「やっぱり毒だったんだ」
「解毒は済んでいるけれど、傷は止血をしただけだから、まだ無理は禁物よ」
「双樹さんが解毒剤をくれたの?」
綺麗な双眸が一瞬見開かれて、なんだか歯切れ悪い口調で「そうよ」って答えが返ってくる。
何か、変?
「とにかく、結構傷口が大きいから、すぐに動かない方がいいわ」
「そういうわけには行かないよ」
あたしは―――鍵のこと、詳しく聞きたいのを、あえて我慢して、ふらりと立ち上がった。
ファントムが遺跡の封印に関する『鍵』というアイテムを持って、墓地に逃走した。
現状でわかっている事はそれだけ、疑念を挟む余地は幾らでもあるけれど、今は悠長にしている場合じゃない。
支えようとしてくれた双樹さんの手をやんわりと断って、あたしは、更衣室に向かって歩き出していた。
とにかく急がないと。
うまく言えないけれど、妙な焦燥感が内側で警報を鳴らしている。
ファントムの正体、今夜で明らかになるのかもしれない。
「あかりちゃん」
ドアノブを掴んだ手の上に、双樹さんの掌が重ねられた。
「貴方の事、止めないわ、でも、私も一緒に連れていって」
あたしはよろよろと振り返る。
「貴方はまだ本調子じゃない、だから、少しでもいいからお手伝いをさせて、お願い」
「助かるよ」
苦笑いで答えたら、双樹さんは飛び切り嬉しそうに笑ってくれた。
プールに設置されてた救急箱の中身で簡単に手当てを済ませて、着替えると、あたしは双樹さんに付き添われて寮まで戻る。
墓地で落ち合う約束をして、急いで部屋に戻ると、準備を整えて―――甲太郎に連絡する暇もなく、再び窓から夜の闇に飛び出していった。
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