お昼頃になって、あたしたちはようやく起きだした。
顔を洗って、支度をして、腹ペコだったからとりあえずマミーズへ向かう。
「ふあーあ、眠い」
「アレだけ寝ておいて、まだ眠いの?」
「俺の睡眠時間を甘く見るなよ」
「自慢にならないよ、バカ」
「バカとはなんだ、ボケ」
「ボケとはなんだーッ」
小突きあいながら入った店内で、バッタリ、夷澤君と出くわした。
「あれ?」
「先輩」
ビックリした顔の、頬の辺りが見る間に真っ赤に染まっていく。
(あらら〜?)
とりあえず、あたしは小走りで傍まで行って、そのままペコンと頭を下げた。
「ゴメンッ」
「え?」
「昨日、俺、迷惑かけたろ?ホントに悪い」
「ああ、いえ、別に」
「双樹さんもそうだけど、夷澤君にも世話になったな、ゴメン」
「もういいですよ、気にしないでください」
「俺のことなら、墓地に捨てておいてくれても構わなかったのに」
たとえ寝ていたとしても、訓練しているから、非常事態には起きられる―――と、思う、多分。
でも、説明する前に、今度は怖い顔になって「そんなことできません」ってぴしゃりと言い放たれた。
「そ、そう?」
何で急に怒られたの、あたし。
「あきら」
いきなり脇から腕を攫われる。
「うわわ」
「もういいだろ、腹減った、飯にするぞ」
「こ、甲太郎!」
「甲太郎?」
夷澤君の眉毛がピクリと動く。
ぐいぐい引っ張る力に抵抗しながら、あたしは夷澤君にニコリと笑いかけた。
「夷澤君、ご飯食べた?」
「え?」
「まだなら、これから一緒にどうかな?」
「―――すみません、俺、もう済ませましたから」
あ、そう。
何かまだ顔が怖いな。
答えた時は困り顔だったのに、すぐに目がどこかを睨んでる。
何だろ、何かあったのかな。
(誰か、嫌な奴が居るとか)
「あきら」
「ちょっと、いい加減引っ張るな!」
振り返り様叱り付けて、また振り返ったら、夷澤君は軽く会釈をしてお店から出ていっちゃった。
ご機嫌斜めだったのかな、あたしのことじゃなく、もしかしたら、別の事で。
甲太郎は甲太郎で、そのままあたしを強制的に席まで連行すると、やっぱり不機嫌顔のまま、舞草さんが持ってきたメニューを開かず押し戻しながら「カレーライス二つ」って言ったっきり、ムスッと黙り込んじゃった。
こっちの不機嫌の原因は、お腹がすいているせいなのかもしれない。
「甲太郎、お腹ペコペコ?」
「フン」
あーあ、ソッポ向いちゃった。
何なんだろ、一体。
ホント男の子って、よくわかんない。
カレーライスが運ばれてくるまでの短い時間、あたしは、スプーンの表面に映る自分の学ラン姿を眺めながら、そんな私が男の子のフリをし続けるだなんて、やっぱちょっと無理があるのかなぁとか、そんなことを考えていた。
食事が終わってすぐに、甲太郎は用事があるとかで、そのままふらりと姿を消しちゃった。
マミーズを出る頃には機嫌も治っていたみたい、やっぱり空腹が原因だったんだな、仕方ない奴。
それで今、あたしは午後の授業には出ようって、一人階段を上っている。
本日の天気は快晴、雲ひとつない青空。
二階の廊下の窓から見えた、冬枯れの景色に、ちょっと足を止めて見入っていたら、すいませんって声をかけられた。
「玖隆先輩、ですよね」
振り返ると、響君がいた。
オドオドしながらあたしを見上げて、両手をキュッと胸の前で握り締める。
「あの、話があります」
「えッ」
「少し時間をいただけますか?」
どうしたんだろう、何の用かな。
けれど、訊く間も与えてくれないで、響君は踵を返して歩いていく。
仕方ないからあたしも続いた。
もうすぐ昼休みも終わりだし、のんびりしている時間は余りないと思うんだけど。
あたしたちは通路を抜けて、階段を下り、講堂館の廊下までやってきた。
ここは、用でもない限り殆ど人の来ない、天香にいくつかある死角のひとつだ。
「先輩」
不意に足を止めて振り返った響君は、真っ直ぐあたしを見据える。
と、いうより、どうやら睨まれている感じ。
(何で?)
理由が見えてこないんだけど、非常に居心地が悪いなあ。
「先輩は、夷澤君のこと、どう思っているんですか?」
「は?」
何?
「夷澤君のこと、好きですか?」
えーっと、それは、どういう事?
っていうか、どっちの意味?
好きというなら、確かに好きだけど。
(でも今訊かれているのって、多分)
―――普通に青春してきた、乙女ならば間違えますまい。
響君のこの雰囲気、この視線、そんでもって、声の感じとか、今置かれている状況とか。
(どうして、こういう展開になるのかは、サッパリわけわかんないけれど)
誤解されているんだろうと思う。
あたしは何て言ったものか、考えていたら、ますます強く睨みつけられた。
「先輩、夷澤君に構わないで下さい」
「は?」
「夷澤君は、ちょっと怖いし、言葉遣いも乱暴だけれど、でもとっても親切で、優しい人だって事、僕知ってます、困った時何度も助けてくれたし、だから、夷澤君は僕にとって特別な人なんです」
ん、んん?
「先輩が、変なモーションとかかけてくるの、困るんです」
(誰が、いつ、夷澤君にモーションを?)
んんんー?
「僕わかるんです、先輩は、悔しいけど、その、僕より可愛いから」
なんだとーッ
目の前が一瞬、パッと白んで、それからクルクル回転して、すぐにあたしはどこからどう突っ込みを入れたものかと、物凄い勢いで思考をめぐらせ始めた。
(ええと、とりあえず、褒められた?)
でも響君も自分の容姿に自信があるらしい、っていうか間違いなくある?そんでもって可愛い系?何?
(モーションって、誰が、誰に)
あたしが、夷澤君に?え、響君に?いや、そーじゃないでしょ!
(と、いうより、今の話を総合するとだ、もしかして、ひょっとして)
ひょっとしなくても。
―――まあ、恋愛は個人の自由だし、同性愛なんて今更珍しくも、タブー視もされてないんだから、好きにやればいいと思うんだけど。
(あたしを混ぜ込むな)
最終着地点はそこだった。
ぼやんとしているあたしに、響君は必死で言葉の爆弾を仕掛け続けている。
「明るいし、人気者らしいから、夷澤君の気持ちもわかるけれど、でも、先輩は酷いです、あんまりです」
何が。
「先輩にはもう、いつも傍にいてくれる素敵な人が、いるじゃありませんかッ」
「は?」
(傍にいてくれる、素敵な人?)
即座に浮かぶ、甲太郎の姿。
(ち、違!)
なんでそこで奴が出てくるのか、あたしーッ
唐突に動揺させられて、ヤバい、顔が熱い、これは見て判るタイプの反応だ。
(ひ、響君に、ばれちゃうッ)
咄嗟に両手で両頬を押さえた、あたしの仕草に響君は顔をしかめて、すう、と深呼吸をする。
(うー違う違う、まてまて、そんなんじゃない、そうじゃないんだったら!)
だったら何なんだとか、一人進行で思考が展開しそうになる前に、必死の叫びが正面で破裂する。
「だから、夷澤君にまでちょっかいだすの、やめてくださいッ」
「ま」
まだ混乱中だけど、このままではちょっと納得いかん!
「待てよ、俺は別にッ」
「夷澤君をからかわないで下さい、この通り、お願いしますから!」
響君が直角に近い姿勢で頭を下げた。
何だっての、これ、この状況は、もしかして日本的に有名な火サス?
前にアルが教えてくれた、愛憎ドラマのワンシーン?
(バカッ、しっかりしろあたし!)
ふざけてる場合じゃなくて、このままじゃ、想いも寄らない恨みを買っちゃいそうだよ!
あたしは慌てて両方の掌を胸の前に突き出して、左右に激しく振ってみせた。
「違う、違うって響君!そりゃ、確かに俺は夷澤君のことが好きだけど、でもモーションなんて一度も」
「ウソツキ!」
耳の奥がキインとする。
なんて声だろ、近くの窓ガラスまでガタガタ揺れたみたい。
「僕、見ていたんですから、誤魔化さないで下さいッ」
(見てた?何を?)
―――そして不意に思い至る、昨日のアレコレ。
(もしや)
「夷澤君は、先輩のこと、凄く意識しています」
やっぱりそうだ。
意識とかは、そりゃ仕方ないよ、だって夷澤君は生徒会の人間で、あたしは宝探し屋だもん。
色々親切にしてくれるから、敵愾心ばかりじゃないとは思うんだけど、でも、多分やっぱりこちらの内情を探ろうとしているんでしょう?
けれどその説明をするためには、あたしや夷澤君の素性を明らかにしなくちゃならないわけで。
(できないじゃん)
あー、まどろっこしい!
「その気がないなら、今すぐ、夷澤君に関わるのをやめてください」
「ちょっと待ってよ、それって一方的」
「先輩に気をつけてもらわないと、困るんですッ」
『きぃん』って、また。
響君が大声を出すと、周囲のガラスがガタガタ震える。
あたしの鼓膜にも、妙な残留感があるし、少し様子がおかしいな。
「夷澤君を、傷付けないで下さいッ」
きぃんッ。
(うッ)
また!
窓ガラスは砕けそうなくらい激しく震えて、どうやら、低周波みたいなものが出ているらしい。
でも、人間の声帯に、そんな能力あるの?
「夷澤君は、こんな僕にだって優しく接してくれた初めての人なんです、でも僕は男だから、ずっとガマンして、それなのに、それなのに先輩だけ、どうしてッ」
「ズルイ!」って叫んだ途端、周囲のガラスにヒビが入る。
細かい破片がぱらぱらと降り注いで、これ、もう一回叫ばれたら、結構ヤバいんじゃないの?
「夷澤君のこと、僕だってこんなに想ってるのにッ」
「わッ」
パン、パン、パンって、廊下のガラスが次々とひび割れていく。
目の前の響君はかなり興奮している様子で、目の縁まで真っ赤に染まってる。
あたしはほんの僅か防御の姿勢をとりつつ、どうにか彼を落ち着かせなきゃって、方法を必死に考えていた。
(夷澤君の事好きじゃないって、叫んでもダメかな?)
ダメダメ、刺激しちゃう、それ以上に、そんな酷い嘘つけないよ。
今更順を追って説明している時間もなさそうだし―――ああもう、どうすれば!
「響君!」
「貴方なんかに、夷澤君は渡さない!」
ガッシャンッ
それが最後の切欠だったみたいに、響君のまるで悲鳴みたいな叫び声と同時に、通路のガラス全部と、あたしの頭の上にある分を含めた、蛍光灯が破裂した。
たくさんの欠片が、あたしめがけて降り注いでくる。
「うわあぁぁッ」
咄嗟に体を丸めて、大切な血管や神経を傷付けないように、背中で受け止める姿勢をとって小さくなったあたしは、そのまま次に襲うだろう、衝撃や、痛みに耐える準備をしていたんだけど。
「ぁぁあ―――れ?」
痛く、ない。
それどころかぶつけたような感触すらない。
恐る恐る顔を上げると、視界が真っ暗だった。
背中にあるのは圧し掛かってくるような感触。
誰かがあたしの上に乗っかってる?
髪にフッと息が吹きかかって、バサッと何かがなびいてどけた。
明るくなった視界の先には、呆然と立ち尽くしている響君が見える。
そのまま振り返ったら、あたしの背後には阿門君が立っていた。
「阿門君?」
マントに残った細かいガラス屑をバサバサと振り落として、瞳が一瞬だけあたしを見た。
(えっと)
状況から推察するに、ひょっとしてあたし、阿門君に庇われた?
阿門君はそのまま、あたしの前に出て、じっと前を見詰めている。
あたしはマントの陰からひょこんと顔を覗かせて、その先にいる響君の様子を窺った。
「あ、ああ」
全身が小刻みに震えている。
何だかちょっと可哀想なくらい、怯えて、彼の方が動揺していて。
「私怨で無用な破壊を招くか」
阿門君の低い声。
響君の華奢な姿が、一瞬ビクリと大きく揺れる。
「貴様のような者には、矯正が必要だ」
「ち、ちが、僕は、そんな」
「その力、俺が鎮めてやろう」
「ひッ」
スッと突き出した腕の先、掌から、いきなりブワッと黒い砂状の何かが噴出して、あっという間に響君の体を覆いつくしていた。
あたしは一瞬ハッとして、直後、阿門君の腕にしがみつくように飛び掛る。
「ダメーッ」
「離せ」
「響君に何するの!酷い事しないでッ」
「―――あの者のせいで、お前は今頃、大怪我を負っていたかもしれぬのだぞ」
「そんな事関係ない、いいからやめて、すぐに、やめろッ」
自分でも、考えないなって思うんだけど。
ジタバタしてたら不意に頭を撫でられた。
ハッとして見上げると、視線がぶつかる。
(―――何だか)
静かな目だ。
マイナスの感情の感じられない、勿論、プラスの感情があるわけじゃないけれど、波紋ひとつない湖面みたいに、深く落ち着いた雰囲気。
あたしはそろそろと腕を放した。
信じるとか、そういう言葉で説明できない、根拠のない納得みたいなものをさせられて。
暫くすると砂は解けるように消えてなくなり、内側に包まれていた響君の姿が現れた。
彼は意識がない様子で、直後にそのまま、ぐらりと揺れて、ガラスまみれの床に倒れかけるのを、素早く近づいた阿門君が腕で受け止める。
あたしの靴底が、ガラスを踏んで音を立てた。
「阿門君」
阿門君は響君を抱き起こしている。
「響君に、何をしたの?」
「―――案ずることはない」
そのまま軽々と肩に担いで、こっちを振り返った。
「この者は自ら御しきれない力を先天的に有している、それこそが、この者の悲劇だ、俺はその根源に多少干渉しただけの事」
「どういうことなの?」
「力の何たるか、その根源は、遺伝子にある」
つまり、遺伝子に直接関与して、響君の力を矯正した、ってことなんだろうか。
(それが阿門君の墓守としての力?)
遺伝子を操る力。
―――ラボの学者たちが聞いたら、涎垂らして協力要請してきそうな能力だ。
阿門君はのっしのっしと歩いて廊下を去っていった。
ユラユラ揺れている響君の姿ごと見送りながら、あたしは立ち尽くしていた。
結局、何だったんだろう。
色々あったけれど、誤解その他は何も解決しなかった。
おまけに阿門君に借りまで作っちゃったし。
(ちょっと、疲れた)
周りを見回したら惨憺たる状況で、とりあえずあたしは、この場からの逃走を選択する。
色々考える事山積みだけど、まあ、今この状況で教員に見つかりでもしたら、怒られる程度じゃ済まないもんね。
(ごめんなさい、掃除してくれる皆さんッ)
人影がないか確認してから、パッと駆け出して、あたしは、さっき見た阿門君の瞳の色とか、声の質感とかを、思い出していた。
(次へ)