―――時は流れて、今は放課後。
結局甲太郎は、午後の授業にも姿を見せなかった。
なにやってるんだか、もう。
(用事が長引いてるのかな)
でも、授業に出なくてもいい用事、ってことは、多分私用に違いない。
甲太郎の私用なんてどうせろくでもないことだろう、屋上で昼寝でもしてるんじゃないのかな。
(さすがに、この季節じゃ寒いし、それはないか)
窓の外の空は、端の方から段々オレンジ色が強くなりだしている。
冬は、やっぱり日照時間が短い。
帰る支度をしている間に、部活があるからって八千穂さんにさよならを言われて、他のクラスメイトからも声をかけられて、立ち上がったところで、端末から着信音が流れてきた。
送信者名は皆守甲太郎。
(あいつ)
しょうがないなとか思いながら、メールの内容をチェックする。
『話したいことがある、今晩、俺の部屋に来て欲しい』
時間は指定されていない。
ってことは、何時でも構わないって事なのか。
(急にどうしたんだろう)
ふと過ぎる、妙な感覚。
文章自体は取り立ててどうこう言うようなものじゃないけど、何だろう、胸騒ぎがする。
お昼に別れたときには、もう機嫌は治っていたよね?
(でも、多分―――そんな事じゃない)
あたしは端末をポケットにしまって、急いで教室を出た。
小走りに廊下を抜けて、階段を下りていく。
天香は生徒会の『補導』があるから、授業が終わって生徒が校舎からいなくなるまでの時間が凄く早い。
昇降口には人影もまばらだった。
外に出た途端、あきら君って名前を呼ばれた。
「こっち、こっち」
どっち?
振り返ると、植え込みの影に潜んで手招きしている姿、アレって。
「鴉室さん!」
「シイイーッ」
口元に指を当てて、鴉室さんは顔をしかめる。
あたしは近くに誰もいないことを確認してから、小走りで近づいていった。
「何してるんですか、こんな所で!」
「や、今日も可愛いね、あきら君」
「撤収命令は?」
途端、アハハと苦笑い。
「いやー、実はお兄さん、どうしても君のことが気になっちゃってさあ」
「は?」
「それにほら、久々のスクールライフだろう?まだ見てない場所もあるから、じっくり観光してから」
「逃げ損ねたんですか?」
う。
鴉室さん、グサリと来たらしい、胸の辺りを押さえて黙り込んじゃった。
「いやはや、やっぱり、君に嘘はつけないなあ」
「どうして?」
軽口は放っておいて、あたしは理由が聞きたい。
だって、この状況で逃げられないだなんて、一体どういう事だろう。
(おかしい)
鴉室さんはあたしを見詰めて、急に真剣な表情を浮かべる。
「君、確か、クラスに喪部とかいう男子生徒が転入してきたね?」
喪部?
「それが、何か」
「彼、いや、奴には気をつけたほうがいい」
「どういう事ですか」
「きな臭い匂いがするんだ、どうにも、何か起こりそうな予感がする」
「何かって」
「俺に訊くより、自分の目と足で確かめにいったらどうだ、ロゼッタのハンター」
あたしはキュッと唇を噛み締める。
確かに、その通りだ。
鴉室さんは多分、喪部の正体を見抜いているんだろう。
ルイ先生だってそうだ、二人は、あたしの正体だって知っていたんだから。
その上でこんな忠告をするのなら、相応の意味があるはず。
「あきら君」
鴉室さんが人差し指を立てて、上を指した。
「さっき、階段を噂の彼が上っていくのを見かけた、どうするかは君が決めるといい」
あたしの肩をポンポンと叩くと「しっかりな」って言い残して、植え込みの影を素早くどこかへ駆けて行っちゃった。
あたしは少し考えて、くるりと踵を返すと、校舎の中に戻っていく。
そろそろ下校の合図の音楽が流れてくる頃だ。
階段を駆け上った。
辺りの景色は、まるで、燃えているみたいに赤い。
(これって、あの時みたいだ)
喪部と出会った最初の日。
夕映えの中で、違和感と共に佇んでいた姿。
三階にたどり着いた。
廊下には誰もいない―――3-Cの教室に向かって歩く。
ドアを開けて中に入り、辺りを見回していると。
「キミ」
あたしは即座に振り返った。
教室の入り口に立って、こっちを眺めている、切れ長の瞳。
「誰か、探しているのかい?」
「喪部、君」
「くくくッ、それとも、ボクを探してくれていたのかな」
風が吹いた。
背後に廊下から差し込む光を浴びて、逆行になっている喪部は、まるで影みたいな姿だ。
少しだけ身構えるあたしを、面白そうに眺めている。
「そんな怖い顔しないでくれよ、ボクは、キミを探していたんだ」
「何か、用かな」
こつ。
革靴の底が、床を踏んで近づく。
「用、ね」
すぐ手前まで迫って、立ち止まった。
「キミの事ずっと見ていたよ、ボクが、目をかけるだけの価値が、キミにあるのか」
(こいつ)
偉そうに、目をかけるって、つまりはそういうことなんだろうか?
―――上等だ。
「どうだい?」
喪部が笑う。
「秘宝は、もう手に入れたかい?」
あたしは答えない。
薄い唇が、フッて嫌な笑い方をした。
「まあ、そうだろうね」
シルバーの大振りな指輪をたくさん嵌めた指で、前髪をわざとらしくかきあげる。
「キミとボクの探している秘宝は、この学園の地下に眠る遺跡の最下層にある、しかもボクが入手した情報によると、その最下層の玄室の封印を解くための鍵は、生徒会が隠し持っているっていう話じゃないか」
喪部は―――もう、身分を偽るつもりなんてないらしい。
あたしだって初めから知っていた、この男は、レリックドーンから派遣されてきた人間だ。
あたしたちロゼッタとは思想も主義も異なる、もう一つのハンター総括機関。
その活動は専ら、略奪と破壊、自らの欲求を満たすこと、目的を果たすためならどれほどの行為も厭わない、快楽主義の暴徒たち。
(まあ、ある意味勤勉だよね、勿論悪い方向に、だけど)
「まったく、忌々しい連中さ」
涼やかな表情に僅かに浮かんだ険を、あたしは見逃さない。
「ここに眠る秘宝の力を、あんな下等な連中が独占しているなんてね、優れた宝は、優れたものだけが所持するに相応しいって言うのに、それを、あんな、あんなクズどもがッ」
グッと拳を握り締めて、唇から唾が飛んだ。
激昂する喪部をあたしはどこか覚めた気分で眺めている。
多分そんなことじゃないだろうかなとは踏んでいたんだけれど、こいつ、やっぱり変だ。
気持ち悪い。
伸びてきた腕の、末端にある指先が、あたしの髪に触れてきた。
「ふッ、失礼、キミの前で見せる態度じゃなかったね」
放っておいたらそのまま、顔の輪郭から、顎の辺りを撫でられる。
「まァ、あんな連中の事はもうどうでもいいんだ、それより今、ボクの興味を引いてやまないのは、玖隆君、キミだよ」
クッと顎を上げられた。
「キミ、人とチンパンジーの遺伝子の差を、知っているかい?」
「―――塩基配列の違い、でしょう?」
「そう、さすが、優秀なボクが見込んだキミだ、つまり優れた遺伝子の差が、そのまま生物としての優劣に繋がっているという事さ」
「何が言いたいの?」
「くくくッ、古今東西、あらゆる超人、天才と呼ばれる人種は、全て突然変異によって誕生した」
この眼、ヤダ。
じっとあたしを見詰める、じっとり湿った喪部の瞳。
阿門君や、出合った頃の甲太郎にもどことなく似ているけれど、決定的に違う何かがある。
「遺伝子情報は、親から子に受け継がれる過程で、百二十個ずつ塩基配列が変わるんだ、変異を起こす基となる組み合わせが優秀なもの同士であったら、更に優秀な存在が生み出される確率は、格段に上昇すると思わないか」
指先が喉を下りていく。
爪で、表皮をなぞられて、ゾワゾワと鳥肌が立った。
「低能な人間に存在する意味などない、そうだろう?」
「存在の意義は、そのもの自体が決定する事で、誰にも、何にも、その権利を奪うことはできない」
「可哀想に、くだらない馴れ合いの間に、つまらない思想を埋め込まれてしまったようだね」
パチンとホックが外された。
露になった喉元を、更に下りていこうとする指を、あたしは捕まえる。
喪部は一瞬動作を止めて、それからフッと、唇に笑みを滲ませていた。
「まあ、いいさ、そろそろパーティーの時間だ」
そのまま後ろに下がっていく、喪部の手を離して、あたしはその動作を見送った。
「キミを是非招待したい、そのために、キミを探していたんだ」
「どういう事?」
「見たまえ、この鮮血のように美しい夕映えを」
出入り口付近まで移動した喪部は、片手で廊下を指し示す。
「神は、優れた人間に素晴らしい資質を授けた、美しいものを美しいと感じる感情と、それを見抜く目をね、この夕映えは、ボク等の幕開けに相応しい壮麗さだ、ボクはキミを待っているよ、あの地下の埃臭い石室でね」
「喪部」
「ボクに、キミの価値を、示してくれよ」
姿が廊下に消えた。
あたしは急いで後を追う。
「キミとボク、果たしてどちらがより早く秘宝にたどり着けるか、さあ、パーティーの始まりだ!」
喪部はいつの間にか開いた窓の傍に立っていた。
そして、言葉が終わると同時に、外にひらりと飛び出していく。
駆け寄って見下ろすと、設置した降下用のロープを伝って降りていく姿が、あっという間に地上にたどり着いて、あたしを見上げて笑った。
「可愛いフロイライン、ここまでおいで!」
何か聞こえた気がして、即座に顔を上げる。
(何?)
眩い夕陽を背景に、『何か』が見えた。
はじめ、黒い点だったそれは、見る間に大きくなりながら、真っ直ぐ天香目指して飛来してくる。
(軍用ヘリ!まさか)
階下を見下ろすと、喪部の姿はもうどこにもない。
「あいつッ」
あたしは踵を返して、廊下を走り出していた。
こんな大胆な手を打って出てくるとは思わなかった、兆候や警告の類も、諜報部から報告すらなかったし。
(もう、レリックなんかに出し抜かれて、何やってんよの!)
さっきの話とあわせて、これは、どう考えても奴らからの挑戦状だ。
だったら受けて立つしかない、あたしはロゼッタのハンターなのだから。
(迂闊な行為の後悔を、バッチリ覚えさせてやるわよッ)
息巻きながら、同時に学園の皆に害が及ばないか、こみ上げてくる不安を必死に押し殺して、奥歯を強く噛み締めていた。
(次へ)