食事が済んで、暫くしたら、部屋を出ていった甲太郎が「大丈夫だぞ」って声をかけながら戻ってきた。

「風呂、入れるぞ」

「えッ」

「確認してきた、案の定生徒の殆どは出払ってるし、管理人も昼には帰ったみたいだ、今の時刻、浴場は使用禁止になっている、だから、多分大丈夫だろう」

お風呂って、まさか、そういう話だったの?

あたしは目をまん丸に見開く。

「いいの?」

「水場の音は廊下まで聞こえないからな、ドアに札が出て、鍵がかかっていれば、問題ない」

そそそ、それって。

あたしは半ば興奮気味に、甲太郎の姿を凝視していた。

だってだって、お風呂!

湯船なんだよね、湯船!

「ほ、本当に」

ゴクリ、喉を鳴らす。

「いいの?」

「ああ」

「鍵って」

「借りてきた」

甲太郎が指先でつまんでいた束をじゃらっと見せてくれる。

「貸してくれたんだ?」

「まあな」

―――怪しいけど、この際、そんなことはどうだって構わない!

あたしは勢いよく立ち上がって、そのまま甲太郎に突進していった。

ギョッとしている様子に構わず、勢いよく抱きつく。

「うわーい!」

「お、おいコラ、あきらッ」

だってだって、嬉しいんだもん!

何だか散々だったけれど、ようやく、ちょっとだけ幸運がめぐってきたみたい。

お前そんなに風呂入りたかったのかって、呆れ気味のため息と一緒に聞こえてきた。

「そうだよ、日本の風呂は、浴槽なんでしょ?」

「ああ、まあ、そうだが」

「檜?」

「違う、何だったかな、御影石とタイル張りだ」

御影!

「マイナスイオンだ!」

「あ、ああ、そうだったかな」

「ヤッター!」

一人でおおはしゃぎのあたしに、甲太郎はため息をつきながら、分かったから早く行くぞって頭をワシワシ撫でた。

勿論ですとも!

甲太郎の部屋には、あたしの下着も少しだけ置いてある。

なんと言うか、前はムカついていたんだけれど、今はちょっとだけ照れ臭いかも。

制服のありかを尋ねたら、まだ乾燥機の中だって返された。

代わりにこれでも着てろって、甲太郎の部屋着を手渡される。

シャンプーにリンス、石鹸まで用意して、あれ?

「甲太郎」

「ん?」

「一緒に入るの?」

ニヤリ。

これは、何度も見た、腹黒い笑顔。

「勿論だ」

「っつ!」

は、恥ずかしいのですけど―――

思わず赤くなって俯いたあたしに、甲太郎が不思議そうにどうしたって声をかけてきた。

どうもこうも。

(だって、今更)

は、恥ずかしくなっちゃったんだもん、そういう状況なんだもん。

「あきら?」

「な、何でもありません」

「早く行くぞ、お前、顔赤いな、大丈夫か?」

ひえー!

おでこに掌をあてられて、熱はないなって、当たり前です!

「早く、行こッ」

手を引っ張って歩き出したら、変なヤツだなって言われた。

それは甲太郎でしょ、もー。

廊下に出ると、甲太郎が部屋に鍵をかけて、一緒に少し寒い廊下を進む。

平日、この時間帯はまだ授業中だから、同程度静かではあるんだけれど、それでもやっぱり人の姿はちらほら見かける事もある。

でも今日は、何というかガランとした感じ。

深々と染みてくる寒さも手伝って、あたしは急に背筋が伸びる想いだった。

「昨日」

「うん?」

「あれから、どうなったの?」

ああ。

「大変だったさ」

「どんな風に?」

「騒動自体は奴等が引き上げてすぐ、生徒会が収めたらしい」

「警察は」

「来たな」

「追い返したの」

「多分、そうだろうな、一般生徒は全員寮に強制収容されて、明日、つまり今日の日程変更は無しと、それだけ通達された」

「混乱は起こらなかったんだ?」

「起こっただろうさ、けれど、誰かが収拾させたんだろうな、そういえば―――」

やたらいい匂いがしていたぞと、甲太郎が口の端だけで笑う。

あたしはピンときて、すぐに納得した。

(そういう事)

やっぱり、生徒会所属の人間って、凄いなあ。

元は対峙していた相手だったけれど、その後協力者になってくれた、数多の能力者の皆さんのお手伝いを借りる事のできる今件は、それだけでかなり貴重な内容だ。

まあ、それだけ難しい仕事でもあるってわけなんだけれどね。

ここまで頑張ったあたしは偉いぞ。

浴場と表示されたドアに、甲太郎が鍵を差し込んで、ガチャリと開けた。

更衣室に通されると、また内側から鍵をかけなおす。

ドアの外には使用禁止と書かれた札が提げられていた、今更気にしないんだけどね。

「ここで服を脱ぐの?」

「ああ、その向こうが風呂場だ、湯は出るようになっているはずだが、湯船に多分湯は溜まっていないだろうな」

「ええっ」

甲太郎が苦笑いで、浴場を覗きに行く。

物音がして、勢いよく水を流す音が聞こえてきた。

「少し時間がかかる、まあ、ゆっくり体を洗っていれば、膝位までなら溜まるだろう」

「膝って」

「換気扇を回していないから、風呂場自体は湯気でそんなに寒くないぜ」

ううん、ちょっと不本意。

(まあでも、お風呂に入れるだけよしとしておくか)

あたしは早速着ていたものを脱いで、適当なロッカーの中に荷物ごと突っ込んでおいた。

裸になるのに抵抗がなかったわけじゃないんだけれど、恥ずかしがっていると勘付かれるほうがよっぽど恥ずかしかったから、えいやっと景気よく全部取っ払って、タオルを引っつかんで、お風呂場に乗り込んでいった。

「うわあ」

ガラス戸を開いた先の景色に、感激。

「お風呂だ!」

ぼやっとしてたら、脇から甲太郎に追い抜かれて、隅に積まれていたプラスチックの椅子をひとつ掴むと、たくさんある蛇口のひとつの前にポンと置いて、そこに腰を下してあたしを振り返った。

「おい」

うッ

「み、見ちゃダメ!」

「は?」

あたしは急いで、甲太郎のマネをして、椅子を引っつかむと壁を挟んだ反対側の蛇口の前に腰を下ろした。

隣って何だか、座りたいんだけど、座れない。

「あきら?」

あたしは黙って、蛇口を開いた。

タオルを浸して、意味もなく擦り合わせる。

「オイ」

「な、何よッ」

「お前、そっちに行って、どうやって体を洗うつもりだ」

はうッ

(そ、そーでした!)

桶も、石鹸も、シャンプーもリンスも、全部甲太郎が持ってきた分だけ。

あたしの荷物は部屋にあって、途中で取ってこなかった。

どうしようと固まったあたしの耳に、やれやれの声。

物音がして、甲太郎が背の低い壁の向こう側からニュッと覗いた。

「常々思っているんだが、お前は時々驚くほど考え無しだな」

「ううう、うるさいなっ」

「はいはい」

隣に椅子を置いて、腰を下ろした甲太郎。

そっち半分側の体が異様に緊張している。

あたしは、とりあえず、手渡されたボディソープでタオルをアワアワにして、体を擦り始めた。

「お前さ」

「な、何?」

「やっぱり、傷だらけだな」

それは、今更、知ってるもん。

改めて眺める、あたしの体は、今更確認するまでもなく傷跡だらけだ。

痣になったり、不気味に肉が引き攣れていたり、おぞましい事この上ない。

そういえばと思って、甲太郎を振り返った。

「ん?」

甲太郎は、あたしの体、気味が悪いと思っているのかな?

「ねえ」

「何だ」

「やっぱり、こういうのは、嫌かな?」

少し胸の奥が苦しくて、切ない。

甲太郎はじっとこっちを見て、不意に笑うと、濡れた手であたしの髪をワシワシかき回した。

「うわッ」

そのままおでこにキス。

「精々綺麗に洗っておけ」

ムッとしたら、またキスされた。

本当に良くわかんないヤツだな、でも、あたしはそれなりに納得したような、してないような気分で、正面を向きなおして、体を泡のタオルでごしごし擦り始めた。

何だろ、変な感じ。

大体洗い終わったところで、いきなり頭からお湯をかけられた。

「うわあ!」

驚いて、ずぶ濡れの前髪を除けて振り返ったら、甲太郎が笑ってる。

「なにすんのよ!」

「ノロノロしてるからだ」

「ゆっくり洗えばいいって言ったの甲太郎でしょ?お風呂、まだお湯が溜まってないからって!」

「そうだったか?」

「バカッ」

叩いたら、飛沫が散って、こっちは笑いながらシャンプーを手渡される。

(んもーッ)

ますますわけが分からん、お湯が耳に入ったら、どうしてくれるんだッ

シャンプーを掌に出して、髪につける。

洗いながらあたしは考える。

このまま、ずっと一緒がいいな。

天香に着任したばかりの頃には、考えもしなかった。

強引で乱暴で、身勝手で意地の悪いこいつのこと、本気でいなくなってしまえとか、そんなことばかり考えていたような気がする。

手探りでシャワーのノズルにあたりをつけていたら、ポンと手渡された。

降り注いでくる暖かい雫。

髪を流して、リンスをつけて、その間に、先に全部洗い終わった甲太郎は、湯船の様子を覗きに行った。

甲太郎とあたしは、本当に、色々なことがあって。

腹が立ったり、怒ったり、悔しかったり、悲しかったり―――怖かったり。

でも、嬉しかったり、楽しかったり、気持ちよかった事もたくさんあって。

今、こうしてあたしは甲太郎を見ている。

憎くて大嫌いな奴としてじゃなくて、大好きな男の人として、見てる。

気付いてしまった世界は、何もかも一変しちゃったみたいだ。

広い背中が好き、少し固めの髪が好き、仕草も、どれも、全部好ましく見える。

あたしどうにかしちゃったみたい、たまらなく甲太郎が好き、大好き。

振り返った姿、素敵。

こっちに近づいてくる。

「どうした?」

「えッ」

「風呂、浸かろうと思えば浸かれる、どうする?」

「は、入る、入る!」

急いでシャワーで髪を流した。

どうにも、ぼんやりするみたい、ダメだなぁあたし、ホントどうしようもないな。

湯船にお湯は、半分くらいまで溜まっていた。

片足を差し込んで、あったかい感触にジンとして、そのまま、少しずつ浸っていく。

でも、浴槽に腰を下ろしても、やっぱりおへその辺りまでしか沈まない。

傍に座った甲太郎が、苦笑いを浮かべた。

「残念だったな、まあ、もう少し浸かっていれば、そのうち肩まで沈むさ」

「時間かかるね」

「だな」

伸びてきた腕が、あたしの体を引き寄せる。

 

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