「あきら」
そう、呼ばれるのも、慣れた。
でも本当の名前じゃない。
凭れかかってくる甲太郎の姿、肩の辺りで俯いた頭が見える。
髪の間でキラキラ光る雫を眺めながら、お互い無言で、あたしはずっと考え込んでいた。
レリックが介入してきた今、最早一刻の猶予も無いだろう。
調査した限りでは、多分、昨日潜ったあの部屋が最後の一室。
次に潜るドアが、おそらく天香遺跡最後の区画、つまり―――玄室。
順当で行けば秘宝が待っているはずだけど、これまでの感触から、あたしは少し違うものを想像している。
そういえば鍵、どうなったかな。
甲太郎は回収してくれたんだろうか。
(でもあれ、必要なものだったのかな)
何となく嘘臭い気がしないでもない。
双樹さんには悪いけれど、あたしたちは上手いこと利用されちゃったんじゃないのかな。
根拠は全部、あたしの勘だけなんだけれど。
今夜が最後―――
やっぱり、ただの予感だ。
でも、あたしは遺跡に行く。
ぽたりと雫が落ちた。
ざあざあ聞こえる蛇口の水音。
甲太郎が頭を摺り寄せてくる。
片方の掌が、胸のふくらみをそっと包み込んでいた。
あたしは、甲太郎、って名前を呼んだ。
「まさか、こんなところでお支払い?」
「支払い?」
「違うの?」
いや、と声がする。
「そうだな」
ぐっと強く揉まれた。
あたしの背筋を、電流が走りぬけたみたいに、体がビクンって震える。
「すまないが」
唇が耳たぶを噛んだ。
「払ってもらおうか」
―――初めて謝られた。
多分、昨日の事、気遣ってくれているんだろうと思う。
でもあたしは大丈夫だから、うんって小さく頷いた。
甲太郎に触って欲しい。
まだ残ってる気持ち悪い感触を全部消し去って、あたしの内側を甲太郎で満たして欲しい。
肌の上を滑る指先や掌、舌や、唇の感触に、あたしは声を漏らしながら、いつも以上に感じていた。
甲太郎がくれる快楽。
熱い息遣いや、声、気配、なじみのある触り方、ゆっくり、優しく、少しずつ。
湯船の水位が上がっていくのと同じ様に、あたし達の呼吸も上がっていく。
やがて、盛大に水音を立てながら、あたしたちはすっかり混ざり合っていた。
こんなに騒いじゃっていいのかなとも思ったんだけど、今更自制できるわけもなくて、二人して、それこそ大暴れ―――水場の音は、外には聞こえないんだよね?
ようやく一段落着いて、湯船の淵にあたしが体を預けたら、ザバーッて一緒にお湯が流れ落ちていく。
背中には甲太郎が乗っかっていた、重いけど、心地よい重さだ。
「あきら」
「うん?」
ギュって抱きしめられる。
横を向いたら、唇が触れ合った。
長いキスをして、顔を上げて、赤い顔した甲太郎が額に滲む汗を拭う。
「さすがに、熱いな」
「そうだね」
「張り切りすぎたか」
「無茶だよ」
「だな」
鼻先をくっつけあって笑いあった。
甲太郎は湯船から上がって、ちょっとふらっとして、のっしのしと脱衣所のほうに歩いていく。
あたしはまだ湯船に沈んだまんまだ。
これ、お湯抜いておかないと、もし他の人が使っちゃったら大変だなあ。
仰向けになって、天井を眺めながら、張り付いていた前髪を除けた。
低い音が聞こえだして、蒸気がどんどん吸い上げられていく。
空調をつけたみたい。
濡れた足音が戻ってきた。
「あきら、悪い」
「んん?」
甲太郎はお風呂の淵に腰掛けて、大きく息を吐いた。
「熱いな」
「甲太郎、辛かったら、上がっていいよ」
「そういうわけにも行かない」
「あたしだったら、後始末くらい、ちゃんとできるから」
「いいんだ、気にするな」
掌で顔を擦り上げるようにして、前髪を押し上げながら、おでこを押さえて、肘を膝の上について、ハアってため息。
大分のぼせちゃってるみたい。
あたしは湯船から出た。
「じゃあ、上がろう?」
「気にするなって言ってるだろう」
「あんまり長居してたら、さすがに見つかっちゃうでしょ?」
今、『お支払い』までしちゃったし。
顔を上げた甲太郎は、あたしを見て、そうだなって小さく呟いて、立ち上がった。
手際よく荷物をまとめて、脱衣所に抜ける。
入る前は寒かったけれど、今は温まってきたから、まだポカポカしてる。
あたしたちは着替えを済ませて、来たときと同じ様にして、浴場から出た。
鍵を返してくるから、荷物を頼むって、甲太郎と扉の前で別れて歩き出す。
あたしは、頭から被ったタオルで髪の毛を拭きながら、早速後の予定を頭の中で組み立て始めていた。
甲太郎の部屋に荷物を置いて。
戻ってきたアイツと二言三言、会話して、自室に戻ってきた。
確認したら装備品の類は全部手元にあった、鍵も、回収しておいてくれたみたい。
でも蓋を開けて、あたしはすぐに、状況を理解していた。
誰の目論見かは、大まか想像しかできないんだけれど―――苦笑いで箱ごと放り投げる。
これは、多分、必要のないものだろう。
「ん?」
端末に着信の表示。
誰だろう。
窓の外は、もうすぐ日暮れ。
今の季節、日本のこの辺りの日照時間は短いから、夕刻ってわけじゃないけれど、薄水色の空は暮れ行く予感をはらんで寒々としている。
あたしは窓辺で端末を開いた。
発信元は、白岐さんの携帯電話からだった。
(めずらしいな)
録音されていた音声は、日が暮れてから温室まで来て欲しいって、ただそれだけ。
白岐さんと温室は結びつくけれど、携帯電話を持っているのは未だに結びつかなくて、何となく笑う。
カーテンを閉めて、改めて、装備品関係のチェックを始めた。
天香学園に派遣されて、数えてみたらもう三ヶ月近くも経っているんだ。
長かったなあ。
ひとつの仕事にかかる期間は下調べも含めて大体一ヶ月くらいが目安だから、これは異常な長さだと思う。
調書は毎回きちんと上げていたから、まあ、サボってたわけじゃないって本部も理解してくれていると思うんだけどね。
時間がかかったのは、それなりに理由があってのことだ。
そして、これだけ長い間、留まり続けたからこそ―――あたしは甲太郎を好きになった。
多分最初の印象のまま、サクサクッと仕事が終わって撤収しちゃってたら、あいつの評価は最悪で、あたしの胸には傷だけが残る事になったんだろう。
甲太郎はホント、バカなヤツだ。
でも、最初と、今とじゃ、あたしの主観的心象も含めて、甲太郎は大分印象が変わった。
なんていうのかな、始めは本当にモノ扱いじみていたんだけれど、この頃は凄く優しくしてくれる。
表立って協力姿勢を示してくれているわけじゃないけれど、いつでも守ってくれた。
あたしは、そりゃ、一人で何でもできる、凄腕ハンターなんだけどね。
でも、意固地になってるつもりはないし、一人でできることに限界があるって事も、ちゃんと理解してる。
助けならいつだって欲しいし、人の親切はありがたく受け取っておくべきだ。
それが仁義ってものじゃない?
ここで困っていた時、真っ先に手を差し伸べてくれたのは、いつも甲太郎だった。
いっぱい泣いて、喧嘩して、抱き合って、キスして―――誰よりも親密に過ごしてきたんだから、これで好きにならない方がどうかしてるんだ。
甲太郎はバカだけど、根っこの部分はいい奴だったから。
(まあ、そうでなかったらとっくの昔に、首の骨へし折ってやってるところだけどね)
うん、大丈夫。
武器も、防具も、ツールの類も問題ない。
体力もほぼ回復した。
まだ完全とは言いがたいんだけど、その辺りは気力でカバーだもんね、平気、平気。
やっぱりお風呂が効いたんだろうか?
(でも、ただ浸かってる時間より、お支払い時間のほうが長かったような)
んー、まあ、それでも普段よりは全然気遣ってくれたみたいだし、無茶もされなかったからなあ。
内側にこみ上げてくる、熱の名残。
あたしは両腕で体を抱いて、少しだけ震えた。
好きな人とひとつになるっていうのは、こんなに気持のいい事だったんだ。
二日前の記憶が蘇ってくるみたいだ、あの時も、信じられないくらい気持ちよかった。
もっと、もっとって、何度もねだって、気が遠くなるくらい甲太郎のこと、欲しがって―――
(何であの時気付けなかったんだろう?)
あたしも大概、バカだなあ。
「よし、チェックOK、いつでも潜れるぞッ」
最後にメールチェックすると、協力者の皆から心配メールが届きまくっていた。
苦笑いして、ゴメンと謝って、とりあえず全員に無事を報告する同一内容のメールを一斉送信しておく。
後で一人一人に会って、ちゃんと話をしよう。
今はもう、そんな時間は残っていないから。
立ち上がってカーテンの外を眺めると、立ち込め始めた雲の隙間から覗く茜色。
白岐さんはもう温室に来ているだろうか。
端末を閉じて、ポケットに入れて、あたしは部屋を出た。
廊下には外から寒さの気配が、深々と忍び込んでいた。
(次へ)