少し湿り気を帯びた、漆黒の温室。
その中に佇んでいた人影。
「白岐さん?」
振り返った姿は、彼女のものだった。
けれど、聞こえてきた声は、彼女のものじゃなかった。
「玖隆、あきらさん、ね?」
少し寂しげに微笑んだ表情―――そうして、白岐さんの体を借りて降臨したらしい『古代の巫女』は、意味深な昔語りを始めたのだった。
えーっとね、何だ、古代の神がどうとか。
ちょっと待って!
さすがに、あたしも今回ばかりは、ちゃんと聞いてました。
つまりだ、要約すると、天香の遺跡最深部に眠っている『何か』は、モノやヒトでなく、太古の昔に飛来した天界人の忘れ形見であるらしい。
それが生み出されるまでには、まあ、一言じゃ語りつくせないような気分の悪い、おぞましい出来事が繰り返されていて、英雄は、化け物に作り変えられてしまったんだって。
白岐さんが化け物の封印を守る鍵、そして、阿門君が番人。
彼らの一族は脈々と、この地を守り続けてきたそうなんだけど―――貶められた英雄の怨念はとても封じきれるものでなくて、隙間から水がにじみ出るように、長い時間をかけながら、天香学園を中心に、地上を侵食し続けていたらしい。
綻びつつあった結界の、最後のトリガーを引いたのは、他でもないこのあたし。
番人達の魂、つまり、生徒会の皆を打ち負かしたせいで、戒めの力はどんどん弱まっていって、極めつけに昨日の大騒動。
勿論、故意に起こしたわけじゃないけれど、それでも封印はいつ解けてもおかしくない状態なんだって『巫女』は言った。
助けて欲しいと。
このままでは世界が壊されてしまう、そうすれば、たくさんの犠牲者が出てしまう、だから―――
でも、正直あたしは面食らってしまった。
だってまさか、そんな一大事、寝耳にみみずくじゃない?あれ?
話についていけてないあたしに構わず、『巫女』は一振りの剣を託してくれた。
それは、少し黒ずんだ金色に輝く、不思議な形状の剣。
柄が八つもある。
「まやかしの封印を解き放てば、剣は真の力を取り戻す」
微笑んだ瞬間、それはようやく白岐さんの笑顔だった。
そのままプッツリ糸が切れたみたいに倒れる彼女を、あたしは慌てて抱きとめる。
嫌な予感がする。
これまでとはスケールの違う、形容しがたい恐怖の気配。
それが、背後までにじり寄っている気がする。
いつの間にか肌があわ立っていた。
どうにも、さっきから足元が少し震動しているみたい。
地震じゃないよね、この感触。
(とりあえず)
どうしようか?
まずは白岐さんを横になれる場所へって、周りを見回したら―――ふわり。
鼻腔をくすぐる芳香。
温室に咲いている花の匂いじゃない。
「あかりちゃん」
「双樹さん?」
草陰から唐突に、見知った姿がヒールの爪先をスッと踏み出した。
双樹さんはニッコリ笑うと、そのまま近づいてくる。
両手を差し出して、立ち尽くしていたあたしの腕から白岐さんを受け取ると、キラキラ輝く瞳でまっすぐ見つめられた。
「お行きなさい」
「えッ」
何だろう。
「早く、最後の仕上げが、貴方を待っているわ」
「双樹さん」
「この子はちゃんと私が運んでおくから、貴方の勝利を確信しているわ、あかりちゃん」
頑張って。
胸の奥まで染み渡る、優しい声。
あたしは間を置いて、踵を返すと、そのまま駆けだしていた。
双樹さんの言葉の意味、そして、片腕に握り締めた剣の感触。
彼女が何故、そしていつからここにいたのかとか、白岐さんの容態だとか、気になることは山盛り盛りだくさんなんだけれど。
(今は、優先しなきゃならないことがあるよね)
直感が告げている。
やっぱり、今夜で終わるんだ。
あたしが起こした行動の結果が出る。
天香学園での仕事が終わる。
辛い、とか、寂しいとか、そういう気持ちよりも、ただひたすら興奮していた。
一直線に寮に戻って、部屋に飛び込むと、装備を整え、四角く切り取られた窓枠を大きく開く。
押し寄せてくる夜の気配、冬の風、冷え切った空気。
空には、暗く低い雲が立ち込めていた。
桟に引っ掛けた降下用のロープで一気に地上に飛び降りると、夜闇に紛れて走り出した。
墓地へ。
全ての発端、天香遺跡へ。
頬を切る大気が痛い。
けれど、それ以上に体の内側が熱い。
墓地にたどり着いたあたしは、一度足を止めて、荒れた呼吸を落ち着けた。
地面はまだ微震動を続けている。
ふと視界を横切った影。
見上げたら―――雪。
真っ白い塊が、ちらほら、ちらほらと、降ってくる。
(綺麗)
あたしは暫く、景色に見惚れた。
(そういえば)
「今日、12月24日だっけ」
ホワイトクリスマスだ。
こんな時、大好きなだれかと一緒にいられたら、良かったんだけれど。
「甲太郎」
呼んでも、勿論、返事なんて期待していなかった。
でも。
「―――何だ」
ビックリして振り返ったら、暗闇の中から、真っ黒い影が抜け出してきた。
(甲太郎?)
どうして?
霜の降りた地面を踏んで、甲太郎はゆっくりと、あたしの傍まで歩いてくる。
「何で」
尋ねても、口元でほんの少し微笑んだだけ。
なんて―――寂しそう。
(甲太郎)
胸の奥がギュッとした。
「お前の後、つけてきた」
遺跡に潜るんだろう?
肯くあたしに「俺も行く」って、甲太郎はあたしの髪に触れようとして、その手をそっと引っ込める。
「時間が無いんじゃないのか?」
「どうして」
「降りてから話す、さあ、さっさと行こう」
どういうわけか、さっきから、何故か涙が出そうだ。
それは甲太郎の声が沈んでいるから?
それとも、逢いたいと願った途端、姿を現してくれたから?
(わからない)
でも、今しなくちゃならないことなら、わかる。
雰囲気のせいで感傷的になっているのかもしれないと、自身を戒めた。
そうだ、しっかりしなくちゃ。
あたしはいつもの場所に立つと、地面にフックを打ち込んで、降下の準備を整える。
「あきら」
振り返った途端、そのままキスされた。
「―――これで、最後だ」
「えッ」
「支払い」
甲太郎は笑う。
「今日、ここに潜ったら、お前は明日から身分を偽る必要がなくなるんだろう?」
(―――そうだ)
半ば忘れかけていた、甲太郎と最初に交わした、取引の内容。
「だから、今ので最後だ」
雪に紛れてしまいそうなほど微かな声。
あたしは甲太郎をじっと見詰めている。
「お疲れさん」
(そんな言い方しないで)
何故か無性に悔しくて、睨み付けたら、苦笑いが返ってきた。
そんな風に笑う甲太郎は嫌い。
あたしはロープを腰に巻いたベルトの金具に通す。
「じゃあ、行こう」
穴の淵に摑まると、一気に底まで降りていく。
薄闇の中、邪悪で巨大な何かの気配が、舌なめずりをしながら、あたしたちを待ち構えているようだった。
(次へ)