七瀬さんの話は、結局あたしの知識のおさらいみたいな内容だった。

黒い砂に関してもそう。でも、カビじゃないかって説は、ちょっとだけ気になるところ。

砂鉄のような気もしないでもないんだけど、どちらにせよ謎は深まっただけだった。

ううんと考え込んでいると、皆守が何か聞いてきた。

「え?」

あたしはまた上の空だった。

(え、ええとッ)

おぼろげな記憶の底をさらって、何とか数言思い出して、それであたりをつけて返事する。

「授業だろ、教室に戻ろう?」

「はあ?何言ってんだ、俺は行かないって言ってるだろ」

「お、熱血転校生の不良生徒更生作戦?」

「なんだそれは」

あれれ?

何か妙な雰囲気。あたし、もしかして、しくじった?

皆守は何か言いたげな目であたしをじっと見て、けれど結局俺は行くぞとかぼやきながら図書室を出て行ってしまった。

残されて呆然としていると、ポンポンと肩を叩いて八千穂さんが笑いかけてくる。

「ね、追っかけてあげなよ、ずっと一人は寂しいもん」

「へ?」

「エヘヘ、それじゃまた、後でね!」

ちょっとちょっと待って!

追いかけてって、それどういうことーッ

「あの、八千穂さ」

あたしの呼び声虚しく、思い立ったら即行動の彼女はすでに図書室のドアを抜けた後だった。

ああ―――

(そんな、ご無体な)

何が悲しくて、あんな奴を追いかけなくちゃいけないわけ?

もうすぐ授業だし、八千穂さんと一緒に教室に戻るほうがずっとよかったのにい。

逡巡して、グッタリと諦めて、あたしは重い足を引きずって図書室を出た。

このまま教室に戻っても構わないだろうけど、それで八千穂さんに色々聞かれたら説明に困る。

まさか、話全然聞いてませんでしたなんて言えないだろう。

図書室に入ってこっち、遺跡に関連する部分くらいしか記憶がないんだけど―――トホホ。

廊下に出て、辺りを見回して、こっちかなと適当に歩き出す。

そして唐突にひらめいていた。

そうだよ、何も、律儀に見つけ出すことなんてない、チャイムギリギリくらいに「見つからなかった」って一人で教室に戻ればいいんだ。

(なんだ、簡単なことじゃない)

あたしはくるりと踵を返して、予感と逆の方向へ歩き出した。

ま、あんな奴探すなんて時間が勿体無いし、どうせだったらのんびり散策でも楽しんじゃおうかな?

二階の階段に差し掛かって、上ろうとして顔を上げた途端、バチッと視線がぶつかった。

―――お前、ついてきたのか?」

あんぐり口が開く。

「物好きな奴だ、俺が授業に出ようが出まいが、お前には関係ないことだろうが」

皆守甲太郎ーッ

どうしてあたしってばこうタイミングが悪いんだろう!

こいつに関して、やることなすこと全部裏目に出る。もう、本当、何とかしてよ!

憮然としてる皆守を見上げていると、ショックと後悔に続いてイライラがぐわーっと巻き起こってきた。

あたしはギッと視線を強くして、踊り場にいる奴の所までズンズンと登っていく。

「勿論、関係ない」

「じゃあ何でついてきたんだ」

「や、八千穂さんに、頼まれたからッ」

「八千穂に?」

ひええ、墓穴。

あたしってば何余計な事を!

皆守は暫らくあたしを眺めて、不意にフッと笑っていた。

「なるほど、それで、わざわざ追ってきて下さったという訳だ」

ちーがーうー!

「ぐ、偶然だよ、大体俺はお前がどっちに行ったのかだってわかんなかったんだから」

「けど、見つけただろ?」

うぐぐ。

た、確かに―――不本意ではあるけれど、事実には違いない。

唇の端でパイプを上下に揺らして、皆守は何だか随分と楽しそうだ。

紫煙がふわり、ふわりと香って、ラベンダーが鼻腔をくすぐる。

不意に髪をさらりと撫でられて、あたしはヒッと身を硬くした。

「そう警戒するなよ、まだ昼間だ―――ここでは、何もしないさ」

「なッ」

こいつ!なんて事を!

15センチの身長差で余裕たっぷりに見下ろされて、サッと青ざめたあたしは、すぐにグアーっと怒り爆発していた。ここではって、何さ!バカ!

(このーッ)

ギリギリ睨みあげていると、不意に足音と、あたしを呼ぶ声。

「玖隆君」

ピコンとアンテナが立って、振り返ると上の階から取手君が降りてくるところだった。

「やあ、ここにいたんだね」

「あれ、取手君」

相変わらず色白で、病弱そうな雰囲気だ。ご飯ちゃんと食べてるんだろうか。

チャームポイントの両腕を何となく持て余しながら、ゆっくりした足取りで踊り場まで来て立ち止まる。

あたしは皆守の前からぷいとそっぽを向いて、取手君の前まで小走りに駆け寄っていった。

こんな変態男を相手にしてるより、取手君とお喋りしてる方がよっぽど有意義だ。腹も立たないし。

背後から未練たらしくラベンダーの香りがくっついてくる。

「どうしたの?俺に何か用事?」

「うん」

取手君が差し出してきたものは、鍵。

聞けば、音楽室の鍵なんだって。

この天香学園は管理が厳しくて、特別教室の鍵は教員か、部長クラスの役員か、もしくは生徒会の人間が全部管理してるらしい。

念の入ったセキュリティだことで。子供ながらに考えてるなあとあたしは感心しきりだ。

―――おっと、あたしも同い年だっけ。

「これがあれば、いつでも音楽室に入れるよ」

そっと手渡されて、はにかむように笑うので、何だかキュンとしちゃった。

だって取手君、めっちゃ背も高いし、運動部なんかに所属してるのに、凄く可愛くない?仕草とか、こういう表情とかさ。

隠れファンも結構いると思うんだけど。こう、何ていうかな、母性本能を刺激されるって感じで。

(ママみたいに、ギュッと抱っこしてあげたくなる感じ?)

うーん、あたしもあの細い腰に抱きついてみたいかも―――

「玖隆君?」

「え?」

見上げると、取手君がちょっと困ったような、照れた顔をしてあたしを見ていた。

あ、いかん、今猛烈に腰見詰めてた。

(うーわ変態だ、ヤバイヤバイ)

あたしはエヘヘと取り繕うように苦笑いしながら、素のまま言い訳してみる。

「いや、その、取手君って腰が細いから、何センチくらいなのかなあと思って」

「えっ、そんなに細いかな」

「ちょっと計ってみてもいい?」

どさくさに紛れて、あたしは何言ってんだア!

「えっ」

ビックリしたように目を見開いた取手君の、両方の頬がちょっとだけ赤く染まる。

いかん!墓穴!墓穴!!

「あ、やーその、アハハ、アハハハハ!ええとねえ、その」

「いいよ」

「え?」

―――今、何と?

「上着脱いだほうが、計りやすいかな?メジャーとか持っているの?」

え?え?え?

―――マジですか?

取手君は親しげな顔で上着を脱いで、長い両腕をちょっと持ち上げて「どうぞ」と丁寧に勧めてくれた。

いいの?そんなにガードが緩くていいんですか?

っていうかホントにこの人可愛いかもー!

「あ、じゃ、じゃあ」

あたしはすっかり引っ込みつかなくなって(元は自分で言い出したんだけど)そろそろと両腕を伸ばして、取手君の腰に抱きついてみた。

「く、玖隆君?」

取手君がビックリしてる。まあ、そうだろうなあ。

「あーうん、メジャー無いから、目分量で」

「そ、そうなのかい?」

「なるほどなるほど、やっぱり細いわ」

これは、あたしといい勝負かも。

シャツを隔てて、取手君の体温と匂いが伝わってくる。色白なのになんだか暖かい。

心臓の音がドキドキって凄く早くて、思わずクスリと笑ったら、急に全身がビクって震えた。

シャイなんだなあ、本当に。

「玖隆君」

ちょっとだけ、トーンの落ちた声があたしを呼ぶ。

なんか妙な感じだ。

今、あたしは男として振る舞ってるけど、実は女の子で、しかも男の子に抱きついたりなんかしちゃってて、けどその男の子はあたしを男だと思っているわけで。

(うー、ややこしい)

混乱しかけたあたしの襟首を、誰かがむんずと捕まえていた。

「ひゃ?!」

い、いきなり何事?

―――オイ」

まるで地獄の底から響いてくるような声。

そういえば、皆守がいるのを忘れていたような気が―――

直後に息が止まりそうな勢いで引っ張られて、あたしは無理やり取手君から引き剥がされた。

気分としては昆虫採集にあった虫の様な感じだ。幹ーッて、カブトムシ?

「み、皆守君!」

取手君がらしくない強い声で皆守を非難している。

目の前であたしがグエだかグアだか実に色気のない声をして引き取られていったせいだろう。多分。

「何だよ」

あたしを腕の中に収納して、見上げた不良は実にいいガン飛ばしてた。

相変わらず感じ悪すぎる。この男に社交性という言葉はないのか。

―――そういう事をするのは、良くないよ」

「何が」

「その、玖隆君、苦しがってたじゃないか」

取手君は何だか一生懸命だ。

そりゃ、怖いよね、怖いもんね、皆守の眼力って。あたしだって時々怖いもん。

それなのに頑張ってくれるなんて、何て友達想いのいい人なの。

ちょっと感激。

お腹と胸を拘束している皆守の両腕が、ぎゅうっと強く締め付けてくる。

「お前には関係ねえだろ、それより取手」

―――何だい?」

「お前、もう身体の方はいいのか?」

な、何で急に取手君の体調心配してるわけ?

「え?―――あ、う、うん、そうだね、以前みたいに頭痛がすることもなくなったし、何より最近は気分が凄くいいから」

「そりゃ良かったな」

取手君も動揺している。

あたしは訳がわからない。こいつ、何考えてるの?

「なら、これでめでたく保健室仲間も解消だな」

やけに冷たい声と視線がはっきりそう言い捨てていた。

―――それか。

取手君はハッとした表情をして、それからあたしを見ると、急に目に力を込めて(といっても取手君だから、相変わらず優しい顔は変わらないんだけど)皆守を正面から真っ直ぐ見詰め返す。

「で、でも、瑞麗先生はもう少しだけ継続してカウンセリングを受けなさいって」

「ほう」

「もう一度改めて、自分の過去と真っ直ぐ向き合う事が必要だって」

皆守が一瞬だけ視線をそらす。

あらら?何だ、今の反応。

「そうかよ」

「だから、僕はもう暫らく保健室に通うよ」

またあたしをちらりと見て。気づけば皆守も時々チラチラとこっちを見てる。

何なの?何で二人とも牽制しあってるの?

(っていうかこれってあたしの話しなわけ?)

抱き枕みたいにてろんと両手を投げ出して、後ろから皆守に抱かれたまま、あたしは二人の顔を交互にきょろきょろと見比べている。

なんか、知らないところで、知らない取り決めが行われているような。

「それじゃ、僕はそろそろ行くよ」

取手君は、今度はちゃんとあたしを振り返って、じゃあねと言って笑いかけてくれた。

急にほにゃんとした可愛い、優しい笑顔だ。あたしもなんだかほにゃんとしてしまう。

「またね、取手君」

「うん、鍵、好きに使っていいからね」

「アリガト、大事にする」

「うん」

じゃあね、またねと手を振って、そのまま階段を降りて行っちゃった。

あたしはまだ抱かれたままだったんだけど、急に腕を離されて、そのままドスンと足元にしりもちをついた。

「った!」

振り返ると皆守がこっちを見ようともしないで、反対側の階段に足をかけている。

「ちょ、ちょっと!」

「ん?」

振り返った顔が面倒臭そうな視線を投げてよこした。

あのねえ、さっきから何なの、人のコト捕まえたり放り出したり、あたしはオモチャじゃないっての!

「何だよ、どうした」

呼び止めてみたものの、何を話したものやら。

「あ、あのねえ」

とりあえず不満をそのままぶつけてみる。

「急に放り出されたら、痛いんですけど」

「ああ、悪い」

ってそれだけ?

皆守は何か考えるように視線を泳がせて、憤慨して睨んでいるあたしを見ながら後頭部をボリボリ掻いた。

そのままぶらりと足の先を変えると、傍まで歩いてきて実に投げやりにあたしの腕を捕まえた。

「な、何」

「よっと」

引っ張り上げられて。

立ち上がった反動でよろめいたあたしは、そのまま皆守の胸に倒れこんだ。

それをしっかり受け止めて、ついでに両腕を掴んで、少し離されて、驚いて見上げたあたしに皆守の顔が重なる。

―――う、わ、あああ、あー!!!!!

「こ、この、バカッ」

ドンッと突き飛ばして後ろに飛びのいたあたしは、そのまま手の甲で唇をぐいとぬぐう。

皆守といえば、ふてぶてしい態度でアロマのパイプを咥えなおしながら、やれやれと口の端で笑っていた。

やれやれって何!ッていうか今何した!この変態!

「何だよ、痛いって言ったから、わざわざ助けに来てやったんだろうが」

「そ、そんなもん、今のはッ」

「言っただろ?世の中ギブアンドテイクだ、今のは助け賃だよ」

「お前は悪徳高利貸しか!」

ハハハ。

皆守はのん気に笑っている。

笑い事じゃないっての。口止め料、助け賃、こいつに仮を作るとろくなことにならない。そもそも金利が高すぎるじゃないの!

―――この、穀潰しッ」

「それを言うなら人でなしとかだな、多分」

間違えた!っていうか自覚あるのか?!

悔しさのあまり、涙目になっているあたしをちょっと変な顔で見てから、皆守はくるりと背中を向けていた。

「じゃあな、お前はとっとと教室にでも戻れ、俺なんかにかまってる暇はないんだろ?」

「そ、そりゃあ」

当然、と息巻いたあたしに、背中がそーかよとそっけなく答える。

階段を登りきって、姿が角に消えるのを見送りながら、何ともいえない気分が胸の中で渦巻いていた。

皆守って、どうしていちいちあんな調子なんだろう。

口止めのことにしたって、いくらなんでもアレはさすがに―――やりすぎだと、思うんだけど。

でも手当たり次第女の子に手を出しているのかというと、そうでもないらしい。

エッチが好きなわけじゃないみたいだ。

(それとも今は、あたしがいるから用事が足りているとか?)

そう考えてゾッとする。冗談じゃない、あたしはあんたの性欲処理の道具じゃないっての!

(でもなあ、それならもう少し、浮いた噂とか、ちょっかい出してくる子とかいても良さそうなんだけど)

女の子は結構、ウェットな気質の子が多い。

それでなくても昔ちょっとでも関係した事があれば、モーションくらいかけてくるだろう。視線とか。

皆守はその、結構、というか、比較検証できるような体験なんてしたことないんだけど、かなり、その―――上手―――な気がするし、ここは全寮制なんていう閉鎖空間だから、痴情のもつれみたいなものが起こる確率は高いと思うんだけど。

あたしがここに来たのって9月の末だし。

それより何よりさっきの取手君とのやり取り然り、いちいち絡んでくるくせに今みたいにさっさと一人でどっか行っちゃったり、もう本当に何考えてるのかまるでわからん。

「ああもう、どうしてあたしがあのバカのこと考えなきゃなんないのよッ」

思わず女の子言葉で呟いてから、しまったと口に手をあてて辺りを見回した。

―――良かった、誰もいないみたい。

ホッとしてあたしも皆守が登っていった階段を登り始めた。

もうすぐ授業が始まるし、教室に戻らないと。

なんか色々ごたついたけど、結果としては当初の予定通りになったわけだ。

(でも、釈然としない)

段を上りきって角を曲がると、黒塚君とバッタリ鉢合わせしてしまった。

また水晶の入ったケースを胸に抱いてる。相変わらず変な人だ。

「やあ、玖隆君、君もこれから授業かい?」

っていうかここって学校だし、今って休み時間だから、それ以外考えられないと思うんですけど。

「そうだけど」

「僕もこれから授業なんだ、奇遇だねえ」

「はあ」

「しかも、次の時間は僕の大好きな地学なのさ、地質学は石達と触れ合える実に有意義な分野だからね、ラララー楽しみさー」

みゅ、ミュージカル仕立て!

プッと吹き出したあたしを覗き込んで、黒塚君はニコニコ笑っていた。

そんなに地学が好き、というか、石が好きなのか。やっぱり変わってるなあ。

「あれ、君」

「え?」

「首ンとこ、痣になってるよ?」

あたしは襟元に触れる。

知らないうちにホックが外れて、首が少し覗いていた。さっき皆守に引っ張られたせいだろうか。

「あれ、何だろ」

呟いてからサーッと青ざめた。

―――思い当たる節が、昨日の夜に、ある。

「し、知らないうちに怪我でもしたかなあ!」

あははははははーッ

あたしは慌ててホックを止めて、黒塚君から飛んで離れた。

うー、おのれ、いつの間にこんな痕なんてつけたんだ、あの野郎!

「ふうん」

黒塚君は、大して興味なさそうに鼻を鳴らしてから、そういえば君、僕の知らない石の匂いがするねと話を振ってきた。

「え?」

石の、匂い?

「はッ、まさか!僕の知らない素敵な石スポットを見つけたのかい?!」

石スポット?

相変わらず芝居がかった大げさな仕草だ。黒塚君は案外舞台俳優とかに向いてるかもしれない。

あたしは困惑して、とりあえず笑っておいた。

その途端、黒塚君は頭を抱えて「なんて事だー」とか叫んでいたから、勘違いされたのかもしれない。

どっちにせよ、初めからトンチンカンチンなんだけど。

「やはり!石は愛を囁くものには惜しげなく応えるのか!」

「はあ」

「僕も君の石になりたいよ!」

「はあ?」

「ふふ、ふふふふふ、いいだろう、僕も負けはしない、いつか君の秘密の花園を暴いてみせるよ」

「はい?」

―――いよいよ本格的に訳がわかんなくなってきたな。

困惑してたら、伸びてきた手があたしの手を取って、水晶のケースに触れさせた。

そして、何だか凄くウットリした顔をして、アアとか呟いてる。

な、何なの?

これは、どう返事をしたらいいんだろうか。

「えーと、その、黒塚君?」

「わかるかい、玖隆君」

「な、何が?」

「君と、僕と、僕の子供だよ、僕らは今ひとつになっている―――

「え?」

「この子を通じて、僕らは今地球規模の家族なんだよ、うふ、うふふ、子はかすがいって言うだろ、それさ」

「黒塚君」

多分、さっきのあたしと一緒で、使う言葉を間違えてるんだろう。

あたしが適当な言葉を一生懸命考えていると、ケースの上に乗せられたあたしの手を、黒塚君がキュッと握り締めてきた。

そしてそのままウットリと目を細くしてるので、ちょっと困ったあたしは考えるどころじゃなくなる。

その途端。

―――何してんだ」

うーわまたこのパターンだあ!

ギョッとして見上げたあたしのところまで、つかつかと凄い速さで歩いてきた皆守が、黒塚君の握っている手を無理やり引き剥がしてそのまま引きずり寄せた。

よろけたあたしは脇に抱えられるような形で、二人にお尻を向ける格好になる。

何これ!ちょっと、恥ずかしいんですけど!

「オイ」

皆守の声だ。

「次はお前の好きな地学なんだろ、こんな所で油売ってていいのか」

黒塚君の声。

「嫌だなあ、油なんか売らないさ、ただ、僕は玖隆君と一つに交わる喜びを噛み締めていただけさ」

―――なんか、考えようによっては物凄い卑猥な台詞だ、それ。

皆守の声。

「チッ、気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ、とにかく、これは貰って帰るからな」

え?

今何て言った?

「お前も早く教室に戻れ、じゃあな」

そのままくるりと踵を返されて、脇に抱えられたままのあたしは自然と黒塚君のほうを向く。

黒塚君はちょっと不満そうにしかめていた顔を、あたしと目が会った途端にこりと笑顔に変えて、軽く手を振ってくれた。

「玖隆君、またね」

そのまま鼻歌交じりで歩いて行く背中を見送って、皆守が歩き出すものだから、あたしは慌ててジタバタ暴れた。

「こ、転ぶ、転ぶってば、離せ!」

パッと手を離されて、またしりもちつくかと思ったら、今度は腕を捕まえてちゃんと立ち上がらせてくれた。

本当によく解からない。皆守って、どういう精神構造してるんだろう。

「お前、なあ」

呆れ顔が煙いくらいアロマを吹かしながらあたしをちょっと睨んでいる。

「いい加減にしてくれよ」

「何がだよ」

「取手といい、黒塚といい、そういう体質なのか?」

「体質って何だよ」

―――わからないならいい、とにかく」

手が、ボンと頭の上に乗せられた。

グシャグシャとかき回して、ちょっと屈んだ皆守があたしの顔を覗き込む。

「もう少し自粛しろ」

「はあ?」

「女なんだから」

そこだけ、凄く小さな、誰にも聞こえないような声で囁いて。

「野郎に気安く触ったり触られたりするな、男同士だとしてもスキンシップ過多だぞ、変態だと思われたらどうする」

「あたしはおまえをそう思ってる」

皆守もかなりスキンシップ過多だ。人のフリ見て我がフリなおせ。よし、今度は当たりだろう。

「俺の事はいい、っていうかそうだったのか?」

「当たり前だろ、あんなことしておいて、よく言う」

「フン、正当な報酬だ」

「偉そうな口利くな、変態」

じっとりした視線で睨まれて、まあ、いいと苦々しい表情で皆守は呻いた。

「とにかく気をつけろ、いつも俺が傍にいるわけじゃないんだから」

「あたしが気をつけることと、皆守が傍にいることと、どう関係があるのよ」

「お前なあ」

つくづく呆れ果てた顔で。

もう、なんだろうこういうの。こいつの顔見てると、何でもいいから一発殴りたくなってくる。

あたしってこんなに乱暴者だったっけ?

「そうだ、ほら、これ」

何か差し出されて、それはまたもや鍵だった。

「美術室の鍵だ、さっき拾って届けに行ったら、白岐に持っていて構わないと言われた、俺はいらないから、お前持っておけよ」

「え、いいの?」

白岐さん、さすがにそれは監督不行き届きというか、ぞんざいなんじゃないだろうか。

こんな重要なものを、学園一の不良に預けてどーすんの。

カンバス破いたり、絵の具ぶちまけたり、シンナー盗んだり―――まあ、皆守はそんなことするタイプじゃないけど―――されちゃっても文句言えないよ?

伸ばした掌にカチャリと鍵を落とされたとき、チャイムの音が廊下に鳴り響いた。

「あー」

顔を上げた皆守が、心底面倒臭そうな声で呻く。

「なんかもう、屋上まで登るのも面倒だな、教室戻ろうぜ」

「お前も?」

「寝るだけならどこでも一緒だ、どうせ雛川意外は俺を起こそうなんて考えないし、構わねえよ」

何をどう構うのかっていうより、結局一緒に戻る事が決まって、あたしはへこんだ。

廻り廻って最初の目的を、図らずも、不本意ながら果たしてしまったというわけだ。

本当に、皆守相手だと調子が狂って仕方ない。

ションボリ俯いたあたしに、機嫌の悪い声がオイと呼びかける。

「迎えにまで来たくせに、そんな顔してんじゃねえよ、さっさと行くぞ」

「別に来たくて来たわけじゃないし、言われなくてもそうしますッ」

「ああそうかよ、じゃあさっさと歩け、もう授業が」

ゴチンと皆守を殴りつけて、あたしは歩き始めた。

これ以上聞くに堪えない。大体なんでさっきから強要ばっかりするわけ?気が短いのは勝手だけど、あたしの行動にまでとやかく口出ししないで!

「オイ玖隆、お前さっきからなあ」

「うるさい、知らないッ」

「くそ―――覚えてろよ」

今晩、と付け足す声に、足を止めて、振り返りながら思い切り睨みつけてやる。

皆守もラベンダーの香りの向こうでふてぶてしい顔をしてる。

どうしていっつもこうかな。

踵を返して再び歩き出したあたしの後ろから、少し遅れて歩幅の広い足音がついてきた。

精神衛生上、非常に悪い関係のまま、あたしたちは3-Dのドアを潜り抜けた。

 

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